38話 (Last)

 ファーストキスの味はしなかった。

 喧騒な空気の中、ぽつんと私は取り残される。

 あぁ……キスをしてしまった。キスをした。え、ちょ、私今キスしてしまったんだ。

 壁当てするように、事実は何度も何度も私の元へと跳ね返ってくる。打っても打っても戻ってくる。

 まだ付き合って一日目なのに早すぎる……と、文句を言ったって、きっと椿木はあれこれ適当な言い訳をつけて正当化するのだろうから、指摘するのはやめておこう。無駄な労力なのは目に見えているし、なによりも悪くはなかったから。むしろ、その、良かったし。


 今日、キスをして私の人生は大きく変わった。

 椿木の彼女だからだろうか。扱いが著しく良くなった。甘い汁を啜っているような感じがしてあまり気持ちの良いものではないけれど、でも椿木は私の約束をしっかりと果たしてくれた。

 ちょっとばかし嫉妬の視線を浴びたりする。

 主にあのショートカット? 椿木曰くボブカットらしいけれど。どっちでも良いか。とにかくあの子からはメラメラと燃えるような嫉妬が感じられる。ああいうこも居るのに、私を選んでくれた。その事実が私の自己肯定感を大きく上げる要因になるし、優越感に浸ったりもする。良くないよなぁと思ったりもするけれど。

 驕り高ぶったりしないように気をつけるつもりだ。

 それはそうとして、約束を果たしてくれた。

 であるならば、次は私の番である。

 彼女が私を守ってくれたから、次は私が守る番。

 やりたいこと……というか、やるべきことはもう決めている。あの重たい過去をすべて背負うのははっきり言って難しい。

 親族に不幸が連続し、唯一の肉親に虐待され、預けられた場所では「死神」と馬鹿にされる。

 正直私の虐めなんてちっぽけに思えてしまうほどだ。

 そんな過去を私が背負えるわけないし、背負うよって軽々しく言って良いものでもない。

 ならばどうするか。

 背負えないなら、横に並んで支えてあげれば良い。単純な話だ。

 「今日、そのまま家に着いていきますね」

 一緒に帰ろーとやって来た私の彼女にそう尋ねる。というか、彼女に拒否権はない。ただの宣言だ。

 「え、なんで?」

 困惑しかない反応。

 「椿木さんを守りたいから……ですかね?」

 「なんで疑問形なの」

 と、苦笑する。

 けれど「まぁ良いか」って受け入れてくれた。

 信用されているのか、面倒と思われているのか。前者であると思いたい。


 家にやってくる。

 前ほどの緊張感はない。

 「泊まるの?」

 「泊まるつもりはないです」

 「じゃあなにをしに?」

 「とりあえず荷物纏めてください」

 「荷物を纏める?」

 「はい。そうですね。一週間家出するつもりで荷物を纏めてください」

 「わかんないけど……わかった」

 あうー、と諦めたように頷くと、彼女はたたたっと部屋の端っこから端っこに移動して、大きめのリュックを取り出し、ガサゴソと荷物を詰め込んでいく。

 私は邪魔にならないよう、ベッドの上で体育座りをした。なんだか懐かしいなこの弾力……って回顧する。毛布に手をかければぽわって椿木の香りが私の鼻腔を擽るというか最早これは攻撃だ。私の頭をくらくらさせる。

 「家でってことは家に帰って来れない前提だよね」

 一人でくんくん匂いを楽しんでいると、がさごそと手を動かす椿木は問いを投げてくる。

 「う、は、はい。その通りです」

 ビクッとして変な反応をしつつ、頷いて、平然を装う。

 しばらくするとリュックを背負う椿木が目の前にやってくる。

 「終わりましたか」

 「終わったよ」

 「じゃあそれは一旦預かりますね」

 私ははいっと両手を前に出す。リュックをくれ、と手をぴくぴく上下に動かしてアピールをした。訝しみながらも、彼女はリュックを預けてくれる。

 「はい」

 「ありがとうございます」

 「匂い嗅がないでね。それ多分臭い。防虫剤の臭いするから」

 「に、匂いとか嗅がないですよ……そんな変態じみたこと」

 「えっち」

 にやにやとこちらを見てくる。バ、バレてた?

 「と、とにかく。次は引っ越すなら持っていくものを厳選してください」

 「ぜんぶ?」

 「厳選の意味知っていますか」

 「知ってるよー、知ってる。わかったよ。やるから」

 若干不満そうな態度を見せつつも、ささーっと対応する。

 あっという間に終わる。元々部屋に物が置いてなかったというのもあるだろう。

 「アニメとか好きって言う割には本とかないんですね」

 「まぁ最近は電子書籍だから」

 手に持つスマホをふるふると振る。

 なんというか時代に取り残されているような気がして少し嫌な気分になった。

 「で、ここまで整理させておいてどうしたの?」

 「一緒に住もうかなと思いまして」

 「うんうん、そっか。ってえ?」

 「だから住もうかなと――」

 「それは聞こえてるから」

 私の声を遮る。

 「なんでそうなった」

 「椿木さんを守るため? ですかね」

 不安になって疑問符が付いてしまう。ここで言い切れたらカッコイイんだろうなと思うけれど、私にはできない。

 「それはそうなんだろうけどさ。繋がりがわからない……的な」

 「昨日椿木さんの話を聞いて思ったんです」

 「ほう」

 「椿木さんって悲しみを背負っているのだなぁと」

 興味深そうにうんうんと頷く。

 瞳で話を続けろと最速に近しいことをしてくる。

 「椿木さんがしてくれたみたいに悲しみを根本から解決するのは私にはできないですし、悲しみを代わりに背負うとか一緒に背負うとかそういうのもできないなぁと思ったんです」

 「なるほど。つまり?」

 「私にできることって隣で支えてあげて、少しでもその寂しさを和らげることしかできないなと結論付けたんです」

 だから、一緒に住む。

 一緒に住めば悲しさは和らぐだろうし、隣で支えることもできる。

 私なりの全力だ。

 「嫌なら良いんですけれど」

 「嫌じゃないよ」

 彼女の言葉に安堵する。

 正直断られるかもしれないと考えていたりもしたので尚更だ。

 私の安心を壊すように彼女は「でも」と口にする。

 言葉を待つ。

 「突発的に一緒に住んだりできるものじゃないでしょ? ほら琴葉ちゃんのご両親に許可とか取らないと」

 「それなら大丈夫です」

 ふふんと胸を張る。

 「昨日相談したら『椿木さんなら大歓迎』って言っていたので」

 「二つ返事でオッケーってそれはそれでどうなの」

 「ママはそういう人ですし」

 「そういえばそうだった……」

 こうして同棲準備は着実に進んだのだった。


 必要最低限の荷物だけ持ってきてもらって、早速一緒に暮らすことになった。

 好きな人と同じ屋根の下で暮らせるだなんてこれ以上に幸せなことがあって良いのかという感じだ。

 カップルが同棲して、結婚する理由がなんとなくわかった気がする。私たちはきっと結婚とかとは無縁なんだろうけれど。

 ふとした時、眠くなった時、歌いたくなった時、スマホを触りたくなった時、御手洗に行きたくなった時、お腹が空いた時。如何なる時であっても、隣に椿木が居る。

 新鮮でちょっとおかしいなって笑ってしまう。

 「琴葉ちゃん?」

 突然クスッと笑ったせいか、椿木はビクッと肩を震わせて、こちらに目線を向ける。

 「最初はこうなるとは思わなかったなぁと考えていただけです」

 屋上で出会った時は陰キャちゃんと呼ばれていた。陰キャちゃんだ、今考えてみると酷いなぁと思う。当時は渾名って良いなとか思って、酷いなんて感情一切湧かなかったけれど。

 「椿木さんは陽キャで、私は陰キャ。光と闇みたいなものですから。交わることのない存在だと思っていましたし」

 「そっか」

 うーん、と彼女は天井を見上げた。

 真っ白な天井を見ているはずなのに、星空でも眺めているような恍惚とした表情を浮かべる。

 「私は逆に琴葉ちゃんは天使で、私は死神。眩しく見えてたよ」

 あははーと笑う。

 初耳だ。

 私のことを天使とか思っていたんだ。本当に知らなかったんだけれど。突然衝撃的な事実をぶちこむのはやめて欲しい。

 「二人とも闇も光も抱えてるんだね」

 光と闇は交わらないですよ、と言いたいけれど視点を変えればそれぞれ抱くものが違って、現にどちらも自分のことを闇だと思い、相手を光として見ていた。つまり私の言い分は通用しないのだ。

 「つまり二人の意見をまとめるとこういうことだね」

 立ち上がってくーっと背を伸ばし、私の隣に座り直す。

 そして長い髪の毛を私の胸元に垂らして、えへへ〜と可愛らしい笑みを浮かべる。

 「死神の陽キャさんと天使の陰キャちゃん、ってことだよ」

 歪な組み合わせだけれど、でも思う。

 私たちにピッタリだな……と。

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陽キャに「陰キャちゃん」と呼ばれて怖がる陰キャと、陰キャに「陰キャちゃん」と呼んで揶揄うが内心「天使みたい」と思う陽キャ こーぼーさつき @SirokawaYasen

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