31話
「私はりんちゃんが好き」
机でぼんやりとしていると、突然耳を疑うような言葉が聞こえてくる。
いやいや、気のせいだろ。そうだ、そうに違いない。
己自身にそう言い聞かせ、耳たぶをギュギュギュと引っ張る。
目線は向けずに、耳だけを傾ける。こういうのを盗み聞きすると言うのかもしれないけれど……まぁ、良いか。別に否定する必要性もないから。はっきりさせよう。私は人の会話を盗み聞きしました。そうです。私は悪いことをしました。はい、自戒したので許してください。と、誰かに許しを乞う。なにをしているのだろうか。
「好き……」
椿木はつぶやく。
やっぱりそうなんだ。私の耳はなにもおかしくなかったんだ。
陽キャさん同士ならば、こういうのは日常茶飯事なのかな。好き好き言い合っているイメージも多少はあるし。
「友達としても好き。人としても好き。キャラクターとしても好き。そしてなによりも一人の恋愛対象として好き」
恋愛対象として好き……? 陽キャさんってそういう冗談も平気で言っちゃうの? そういうものなのだろうか。いいや、違いそう。椿木は吃驚したような表情を浮かべているし、告白? のようなことをした女の子は満更でなさそうに頬を紅潮させている。
陽キャ内での良くある絡みとは思えない反応を両者ともしている。これを見た上でそういうものだと納得するのは不可能に近い。
つまり、教室の中で告白しているということになる。
私としてはありえない。恥ずかしいし。率先してやろうとは思わないし、やれって言われたってできることではない。
なんだかわからないけれど、すごく嫌な気持ちがふつふつ湧き出てくる。
黒くてうにょうにょする液体が心から漏れ出るような感覚。
友達が告白されている。本来それってとても喜ばしいことなはずだ。両手を叩いて、笑顔を見せて、祝福の言葉をかけるべきなのだろう。
けれどしたくないと身体が拒む。
見たくない。この後椿木がどのような反応をするのか。想像もしたくない。
そう思ってしまう自分ってあまりにも心が狭いんだって、嫌悪してしまう。
気付けば席から立ち上がり、教室を抜け出す。
「今日おうち行きたいなー」
と、イチャつきながら歩くカップルと出会い頭で衝突しそうになり、慌てて回避する。
スカートのポケットには財布とスマホだけ。持ってきていた荷物はなにもないけれど、走って、走って、ただ走って、乱雑に靴へ履き替えて、そのまま昇降口をも抜け出した。
目的地はない。どこに行きたいとかもない。
だけど遠くに行きたかった。
こんな惨めで器の小さい私のことなんか誰も知らない見ず知らずの土地に。
校門を抜けた辺りから、普段運動しないツケが回って、足が棒になる。
走ろうと思って地面を蹴ろうとしても太ももとふくらはぎと土踏まずが痛む。息も上がって、肺が破れてしまったのではと勘繰ってしまうほどに痛む。けれど歩みを止めることはない。
汗を拭う。目元には水分が乾燥したようなカピッとした感覚があった。まるで泣いたあとに思いっきり走って涙が少し乾いてしまったような。
でも涙なわけがない。だって泣いてないのだから。少なくとも自覚はしていない。泣いていたとは思っていない。
「どこに行こう……」
歩きながらポツリとつぶやく。
勢いで出てきたのは良いけれど、目的は定まっていない。
家に帰りたいかと問われれば答えは否。
今の精神状態で両親とも会いたくはない。本当に誰一人として知り合いには会いたくない。
なぜそういう思考に至ってしまったのか。その原因はわからない。歩きながら考えてもわからない。心が狭くて、惨めだから。そんな自分が嫌で嫌で仕方ないから。抜け出した当初はそう思った。
でも走って、呼吸をして、新鮮な酸素を体内に取り入れることで思考は大きく変わる。
それだけでここまで逃げ出したいという感情には至らないと。
けれど心の中でドス黒くぐるぐると渦巻く謎の感情は消えることはない。
時間経過と共に大きくなっていく。旋風が竜巻になるような。
わからないけれど、意志は固い。頑固親父の頭のように、ダイヤモンドのように。
歩みは遅くなる。ゆっくりになり、気付けば歩みを止める。
どこへ行くかもわからない。なにをしたいのかもわからない。これじゃあ癇癪を起した小さな子供じゃん。
「私って子供だ……」
「琴葉ちゃんは子供だね」
私の今一番聞きたくない声が聞こえる。あぁ、ついに幻覚が聞こえ始めたのかと戦慄してしまう。それほどに精神を追い込んでしまっているのだ。
耳を指で押さえながら、振り返る。
そこにはゼェハァゼェハァと肩を上下にする椿木が立っていた。ありえない光景に目を擦る。やっぱり目の前には椿木が立っていた。
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