32話

 ガタッという音が私の左斜め後ろから聞こえてくる。

 休み時間なんだから、椅子が雑に動く音くらい聞こえてきて当然なんだけど、今はやけに大きく聞こえた。まるでなにかを知らせるかのように。

 私はふとそっちに目線を向ける。

 琴葉ちゃんだった。

 琴葉ちゃんは立ち上がって、走って教室を抜けてく。

 「今日おうち行きたいなー」

 琴葉ちゃんと入れ替わりで、誰のものかもわからない声がするすると廊下から聞こえてくる。

 クラスメイトからしてみればいつもの光景。日常の一部とでも言えば良いだろう。とにかくそういうわけで、その状況に疑問やら違和感やらは覚えない。

 でも私は違和感を覚えてしまった。

 彼女はなにか思い悩むような顔をしてて、なんなら少し泣いてるように見えた。こればかりは光の加減かもしれないけど。でもなにか悩んでそうな表情は間違いない。好きな人の表情の変化なんて間違えるはずがない。

 あぁそっか。だから雪乃は私の表情の変化に気付いたのか。照れくさいけど、私のことそんなに好きなんだなぁって自覚する。自覚するけど、想いを受け入れるかと言われればそれは全くの別問題。

 「りんちゃん?」

 不安そうに私の顔を覗く。

 顔を近付け、目が合う。ぐぐぐと私の瞳の奥底を見られてるような感覚に陥る。

 「ごめん」

 「ううん、待ってないから大丈夫だけど」

 彼女は首を横に振る。

 「そういうことじゃなくて……」

 「告白したのに他の子とへ意識を向けてたのも気にしてないよ」

 「それも違くて……」

 目を細め、ちょっと多めに息を吸う。

 「私は雪乃とは――」

 そこまで口を動かしたところで、むにっと人差し指をくちびるに押し付ける。

 ぐぐぐと押し付けられ、ふっくらした唇は潰れる。思うように動かせなくなって、言葉を発せなくなり、私は喋ることを一旦諦めた。

 空いた隙間を埋めるように、彼女は口を動かす。

 「聞きたくない」

 呟くように、捻り出すように彼女は言葉にする。寂寥感溢れる表情に私の覚悟は一瞬揺らぐ。

 「けど言わないと」

 ケジメは大切だ。お互いにとって必要不可欠なものだと思う。

 人は想いに縋ろうと思えば一生縋り続けることができる。例えそれが不健全な形であってもだ。だからキャバクラ然り、ホスト然り、アイドル活動し然り、最近だと配信者もそうだ。彼らが生きてけるのは縋る人たちがいるから。

 ここでしっかりとケジメを付けないと友達という関係には戻れない。そんな気がする。雪乃は私に縋り、私は雪乃に縋られるのが気持ち良くなる。そういう不健全な関係になって、いずれ破綻する。

 私のワガママだって言われてしまえば、その通りなんだけど。でもやっばりしておくべきなんだと思う。

 「私は雪乃とは付き合えない」

 こうやってはっきりと口にする。

 拒否する彼女をくぐり抜けてでもはっきりと。

 「私のこと嫌い?」

 「嫌いじゃないよ。むしろ好き」

 「好きなら――」

 「好きなのは恋愛対象としてじゃない。友達として。友達として大好き」

 彼女の言葉を遮る。

 突きつけるような酷いことをしてる自覚は少なからずある。もしもこれを琴葉ちゃんにやられたら……考えるだけで苦しい思いが過ぎってしまう。けどやるなら徹底的にやらないと。微かな希望さえも残してはならない。

 「私には恋愛的な意味で大大大大大好きな人がいるから」

 私は立ち上がる。

 今は多分雪乃と一緒に居ない方が良いだろうという判断という建前、琴葉ちゃんを追いかけたいという本音。

 要するに私は教室を飛び出した。


 私はなにも持たずに来てしまった。せめてスマホくらいは持ってくるべきだったなと若干の後悔が私を襲う。

 けどここからわざわさわ引き返す勇気なんてないから。

 流れるように屋上へと向かう。ぎぎぎと扉を開ける。屋上は涼しいだけ。天使は舞い降りてない。

 「ここじゃないんだ」

 てっきりここに居るもんだと思った。でもここには居ない。目の前の状況がそう教えてくれる。私だって馬鹿ではない。実はここに隠れてるんじゃないかみたいな無意味な思考には至らない。居ないのだから。

 じゃあどこに行ったのかなと少し考え込む。ドアノブは若干熱を帯び始めて温い。

 申し訳ないが今回こそ思い当たる節がない。

 スマホは持ってないからどこに居るんだって連絡できない。まぁ、持ってたとして彼女が電話に出てくれるとは限らないけど。なんか嫌われてるっぽいし。認めたくないけどね。

 授業の始まりを告げるチャイムが鳴り響く。真上にスピーカーがあるせいでかなり煩わしい。

 若干苛立ち、チャイムに八つ当たりをしてしまう。

 空き教室は授業で使われてるし、他に人気のない場所はない。屋上だけが授業中静けさを保つところ。強いて挙げるとしたら体育館の二階とかかもしれない。まぁウチには卓球台とか置いてないけどね。

 思い当たるところ。あとは……もしや帰った?

 いやいや、まさか。流石にそこまで琴葉ちゃんはグレてないよ。と、私の中にいるなにかが否定する。けど、私も学校を抜け出したことはあるし。ありえないとは言いきれない。というか私がグレてる言っちゃいけないような気がする。

 なにはともあれ屋上にはいかなかったわけで、ここに居座り続けるのは明らかに間違い。

 私は踵を返し、昇降口へと向かう。とりあえず靴があるかどうかだけは確認しておこうという。あるのなら学校に居るし、無いのなら抜け出してる。単純明快だ。

 藤花……だから。出席番号は後半の方……だよね。うーん、と。あった。

 私は下駄箱の戸を開ける。中には上履きが乱雑に入れられてるだけ。靴はない。

 「ない……」

 靴がない。すなわち学校にはもう居ないということ。帰ったのか。本当に帰ったのか。

 私はさっさと靴に履き替えて、学校を飛び出す。前もこんな感じだったなぁと走りながら懐かしさに浸る。

 藤花家に向かってただただ走る。どこへ向かえば良いかわかってるからか、気持ちは軽やかだ。もしかしたら拒絶されるかもしれない。そういう思いが片隅にありながらも苦しさは微塵もない。不思議だ。

 しばらくただただ走る。

 息切れはしてしまう。不規則に走り過ぎたせいだろう。

 交差点に差し掛かりそうなところ。遠くにウチの高校の征服を身に纏った背中が見えた。琴葉ちゃんだ……って、本能的に理解する。

 「琴葉ちゃん!」

 と、思いっきり叫んでみた。けど声は届かない。車道を走る大型車に声が掻き消されてしまう。

 なにもないところで彼女は突然立ち止まる。わけわかわないけど、こちらとしては近付くチャンスだ。若干疲労が見え始めてる足を動かす。パンっと軽く太ももを叩いて走る。

 「私って子供なんだ……」

 後ろからとことこと近寄るとそんな意図の掴むことができない言葉をつぶやく。

 きっと私があれこれ考えても答えには辿り着けないから。

 「琴葉ちゃんは子供だね」

 おどけてみることにした。

 彼女は口をぽかんと開けて、エルフでも見たかのようなに何度も目を擦る。

 「そんな子供な琴葉ちゃんに質問」

 片手を握って、指を絡ませる。拒否されたらどうしようって一抹の不安が波のように押し寄せたけど、しっかりと受け入れてくれた。

 「質問ですか」

 「そう、質問」

 手のひらに温かな感覚を走らせながら、私はこくこくと頷く。

 「ねぇ」

 繋いだ手をぐぐぐと顔の方まで持ち上げる。彼女はびっくりしたように手を震わせ、動く手をじーっと目で追いかける。

 「私のこと嫌い?」

 うだうだと遠回りして聞こうかなとか思ったけどやめた。時間経過と共に私の気持ちは移り変わっていくような気がしたから。まぁ、要するに日和ってしまいそうだった。

 「椿木さんのことが嫌いだなんて……そんなことはありえないです」

 嘘を言っているようには見えない。噛み締めて紡ぐような声色が私にそう教えてくれる。

 素直に喜びの感情を覚える。心に嬉々としたものを入れてから、じゃあなんであんなに私のことを避けてたんだろうかという疑問が生まれ、矛盾として私の中で刻一刻と大きくなってく。

 嫌いでないという言葉と、今までの行動があまりにも矛盾してる。

 どうして? と確認すべきというのは言われなくてもなんとなくわかってる。だけどわかってるのと、行動に移せるか否かというのは全くの別物なわけであって、つまるところ踏み留まってしまう。

 勇気がないというのもあるが、聞いたことで嫌われていなかったのに重たいとか面倒だとか思われて嫌われてしまうかも……とネガティブなことを考えてしまうのだ。

 相手が好きな人だからこそ余計にあれこれと考えてしまう。もちろん自覚はしてる。でも自覚したからってこの悪循環を簡単に正せるわけじゃない。

 言葉を紡ぐ彼女に対して、私は口を噤んでしまう。

 怖いから。

 「椿木さん?」

 どうしたの? と言いたげな様子で私の顔を覗く。

 「いや、うん……えっとね」

 歯切れが悪い。というか言葉が出てこないし、そもそも浮かばない。

 私が口を閉じれば、お互いの間に沈黙が生まれる。

 その沈黙を掻き消すのは車の排気音と、鳥の囀りだけ。

 畏怖と沈黙の気まずさを天秤にかける。

 そうすると私がすべき行動は簡単に導かれる。意を決する他ない。

 「私のこと避けてたなーって……うん、避けてた。避けてたよね。だから嫌われちゃったんだって思ってたんだよ。一週間くらい。もっとかな。ずっと避けられ続けて、話しかけても逃げられて。嫌われたんだって自分の中で落とし込んでたから。今の言葉にびっくりしてるし動揺もしてる」

 一度口を開けば、自分でも驚くほどにすらすらと言葉として出てくる。

 歯止めを効かせてたなにかがなくなったと考えれば良いだろうか。

 「嫌ってないですよ」

 「じゃあ!」

 彼女の言葉に被せるような形で大声を出してしまう。ビクッと肩を震わせて、顔を顰める。

 やってしまったと自分を責める。

 「なんで私から離れたの」

 向日葵が萎むように。私は声を小さくして、地面に目線を落とす。

 「椿木さんがいじめられるところは見たくないからです」

 「ふーん……うーん?」

 納得しかけたが、納得できなかった。

 私と琴葉ちゃんの距離が開くことと、私が虐められないことの因果関係が不明だ。わからん。

 「どういうこと?」

 ちょっと考えてみても答えに辿り着くことなく、さっさと問いかけることにした。

 「今私虐められているのだけれど――」

 「聞いてない!」

 「言ってないですから」

 私の声に対して、彼女は淡々と答える。

 今からコンビニ行ってくるみたいなテンション感だ。

 はいそうですか、っ流せるような話ではない。

 本来はもっと深堀りしたいところなんだけど、彼女が今までそのことを黙ってた。それを前提にするのなら、あまり触れて欲しくないのだろう、と考えることができる。

 私は慮れる女だ。やめておく。

 「で、ですね。虐められているわけでして。それを言ったら椿木さんは私のことを庇ってくれるんじゃないかと思ったんですよ」

 「当たり前じゃん」

 「だからですよ」

 「だ、だから……?」

 予想だにしない言葉に私はまた疑問符を浮かべてしまう。

 「はい。だからです」

 彼女はこくりと頷くだけ。さも当然みたいな顔をしてて、理解できない私がおかしいのかなと思ってしまう。実際どうなのかは知らない。

 「私のことを庇い始めたら、次虐められるのは多分椿木さんですから」

 表情に出てたのか、彼女は理由を教えてくれる。

 「なんで私が?」

 「虐められっ子の勘というヤツですかね」

 「説明責任の放棄」

 「感覚ってヤツですから。理論的に説明するのは難しいですよ」

 これだから理系は……みたいな目線を向けるけど、私も文系だよ。

 「きっとこのまま椿木さんの近くに居たら、互いに不幸な未来しか待っていないと思ったんです。そういう未来を手に取るくらいならば、私から一方的に断ち切って、椿木さんは幸せになって欲しいと願ったんですよ」

 琴葉ちゃんは珍しく饒舌にぺらぺらと喋る。

 けど私としてはどれもこれも納得できるものではなかった。

 彼女と絡ませてた手を離して、仁王立ちするように腕を組んでじっと聞いてたけど、頷きたくない。だからじーっも彼女の瞳を凝視するだけ。

 十秒目を合わせる。私の体感で十秒だから実際何秒だったのかは知らない。そもそも何秒目を合わせたかとか興味がない。

 「どうかしましたか?」

 憂慮するかのように唇に指を当てこてんと首を傾げる。

 「どうもなにも……」

 言葉を詰まらせる。突然恥ずかしさが込み上げてきた。

 こんな言葉口にするとかちょっとというか大分クサイなぁと感じて、躊躇してしまう。

 でもそこまで口走ってしまったせいで、琴葉ちゃんはもう完全に待ちの姿勢に入ってしまった。ここから私が言葉を発する前に彼女が口を動かすことはないだろう。なんなら息さえもしないかもしれない。流石に言い過ぎた。

 「私はそんなこと望んでないし。琴葉ちゃんが離れる方が私は不幸だなって思う」

 我ながらくっせぇセリフだなって一笑してしまう。

 「虐められる方が不幸せですよ」

 「幸せとか不幸とか決めるのは私」

 「そうですかね。虐められながら幸せになれるとは思えないですけれど」

 実体験を元に話してるんだろう。

 だからパッと反論することはできない。

 「なんで虐められるのかはわからないけど。私は琴葉ちゃんが味方で居てくれる限り絶対に幸せだから」

 反論はできないけど、自信だけはある。だからそれを前面に押し出す。

 世界中の人間に嫌われても琴葉ちゃんから好かれるのならばそれで良い……みたいなアニメの主人公みたいなことは思わないけど。でも、好きな人と一緒に居られるのならば虐めてくるような輩に嫌われることくらい造差じゃない。

 「そういうものですか」

 「そういうものだよ」

 私は頷くけど、彼女は納得しがたいのか目を細め、眉間に皺を寄せる。

 「でも、やっぱり……友達が虐められているというのは気持ちの良いものではないですし。見てて辛くなるのは火を見るよりも明らかなわけですから」

 だから、私から離れる。

 琴葉ちゃんはそう主張したくて、それで今も尚そう思ってるのだろう。

 でも私からすればただの自己満足でしかない。

 「それって琴葉ちゃんがじゃない」

 「そうですけど」

 「私が幸せかどうかって関係ないよね」

 核心に触れる。結局は己がどう思うか、なのだ。別にそれが悪いことだとは思わないし、言うつもりもない。

 ただ提案くらいはさせて欲しい。私も、琴葉ちゃんもどちらの根底の願いを叶えることのできる妙案を……だ。私は不覚にも頬を綻ばせてしまう。別に悪いことではないんだけど、琴葉ちゃんの表情を見るに少しだけ怖がらせてしまったなと反省する。

 突然目の前の人間がニヤニヤし始めたら恐怖を抱くのは当然の流れ。コイツ……なんだよって思わない方が無理があるだろうし。

 「ごめん」

 諸々の想いを込めて一言謝罪を挟む。

 彼女が口を開く隙を与えずに私はまた口を開く。

 「どっか遠くに行こう」

 また私は彼女の手を握る。握手じゃない。手を繋ぐ。

 琴葉ちゃんの温もりを手のひらで感じ、私はぐいっと引っ張る。

 「突拍子もないですね」

 手を引かれながら、彼女は私の行動に対してぽつりと答えた。

 「突拍子もないね」

 私はくすくす笑う。

 一頻り笑ってから疲労混じりの息を吐く。

 「でも良いじゃん。自由になろうよ」

 私は琴葉ちゃんと一緒に居られるのならばそれで良い。帰るべき場所もあってないようなものだし、私が忽然と姿を消したところで困る人はさして居ない。あぁでも雪乃は悲しむかもしれない。思い上がりじゃなきゃ良いな。

 琴葉ちゃんは琴葉ちゃんで目的を達成できる。遠くに行けば虐めとか関係ないし。心配する必要もなくなる。

 一々彼女になんでとか説明するのは野暮だなぁと思って口は噤む。

 「琴葉ちゃんは嫌?」

 意思確認だけ。

 嫌なのに連れてくのは私だって本望じゃない。

 おっかなびっくりしながら、どうだろう……と様子を伺う。

 琴葉ちゃんは下手くそな笑顔を浮かべてた。下手くそだけど。ううん、下手くそだからかな。言葉はなくても彼女の気持ちはどっしりと伝わる。

 「嫌だって言ったらどうするんですか」

 ニマニマ笑いながらそんなことを口にする。声も若干弾みがあって、感情を隠せたものじゃない。それを見て口角を上げてしまう私も大概なんだろうなって思うけど。

 「無理矢理連れていくよ」

 「強引ですね」

 「嫌?」

 「嫌じゃないです」

 遅れて言葉がやってくる。推測が確信に変わった。

 「じゃあ、行こっか。どこか遠くに」

 私たちは手を繋いで、走りながら駅へと向かった。あぁ……青春してるな。好きな人と手を繋ぎながらひしひしと感じた。

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