33話
私は椿木に手を引かれて走っている。体力差は歴然としているのに、彼女は体力の差は無いものとして走り続けるので、私は既に死にそうになっていた。
「し、しぬ……これ以上走ったら私絶対に死にます」
「死ぬとか簡単に言わない」
「もう無理です」
私の意見はあってないようなもの。彼女は適当に私の言葉を流して、走り続ける。
「無理じゃないよ」
ただのスパルタ教官かもしれない。
まぁ引っ張られている以上こちらの意思ではどうしようもない。足を止めれば良くて引き摺られる。最悪のケースとしては腕を引っこ抜かれるかもしれない。冗談抜きで。
ぜぇはぁぜぇはぁ言いながら、なんとか食らいついてやってきたのは最寄り駅。
椿木の「どこか遠くへ行こう」というのは比喩でもなんでもないんだと理解する。
物理的にどこか遠くへ行くつもりらしい。
もっとも私だって同じようなことを考えていたわけであって、拒否する気はさらさらないのだが。
とはいえ、意外だなぁと思う。
椿木はどちらかと言うと咎めてくるようなタイプだと思っていた。そういうのはダメだとか、誰かが作った一般常識とやらに準えて注意してくる優等生っぽいから。でも現実は違う。なぜか学校を抜け出して、あろうことか私と共にどこか遠くへ行きたいと言い出す。冷静になってもやはり意外だなという人並みの感想しか出てこない。
質素な階段を使い、駅の改札まで向かう。急に椿木はお金ないとごね始めるので東京駅まで行ける切符を購入する。こじんまりとした改札を抜けて、駅のホームまで辿り着く。
田舎のくせしてなぜかカップルが多い。私服でこれからキャンプですかというような仰々しいリュックを背負っている辺り、彼女のパシリか大学生なのだろう。前者でないことをこっそり願っておこう。
「どこに行こっか」
黄色い線の内側で彼女はにこりと微笑む。
頬を指で撫でて目線をこちらに送っていたのだが、つーっと目線を線路の方に落とす。私も釣られるように目線を流したけれど、そこにはなにか特別なものはない。
「どこに行くか決めてないんですか」
「決めてないよ」
なにか私悪いことでもしましたか? みたいな反応。
まぁ実際問題悪いことはしていない。
どこか行こうという提案をしておいてどこに行くか決めてすらないんだという吃驚はあるのだけれど、一々指摘するようなことでもないし、怒っているかと言われればそれはない。むしろ嬉々とした感情の方が大きい。
「でも良いでしょ。どこに行くか決めずにただただ遠くへ走り出すって!」
パンっと手を叩いたかと思えば、双眸に輝きを灯す。
だいぶ眩しくて、あぁ……陽キャさんなんだって改めて実感したし、私は私で生粋の陰キャなんだなって悲しくなった。
そもそも彼女と私を比較すること自体が間違っているし、私が椿木と隣に並んでいて、こういう投げやりに近い提案をしてくれるという現状そのもが奇跡と言ったって過言じゃない。
温かいのか冷たいのか、良くわからないような風を浴びながら電車を待つ。
しばらくすると電車はやってくる。
「まぁとりあえず東京駅に向かおっか」
「東京駅に……」
「そ、東京駅」
「東京駅からどこかに行くんですよね」
まさか東京駅で終わり……なんてことはないだろう。
片道一時間のお出かけで終わってしまう。遠くに行くと言えるかどうかすら怪しい。でも切符は東京駅分しか買っていないし、そのつもりなのかもしれない。
「そうするつもりだけど」
「しっかりと決まっているわけではない……と」
「そういうことだね」
電車に乗って、がらがらな席を陣取る。
「これからどうしよっか」
がたごとと揺れる電車でぽつりとつぶやく。
私に投げかけたのか、それとも独り言なのか。少し判断が難しい。
だから私は無視をする。
提案できるほど、学がないというのが正確だったかもしれないなぁと心の中で嘲笑した。
東京駅へと向かうにつれて、車内は混雑してくる。
それでも出勤ラッシュやら帰宅ラッシュやらと比較すればだいぶマシなんだろうなぁと思う。もっともそれに乗車したことはない。小中高と地元の学校なので縁もゆかりも無いのだ。
新宿でドカッと大量に人が降りて、ふーん少なくなったなぁと思っているとあっという間に東京駅へと到着する。
電車を降りてしばらく歩けば、周囲には人しか居なくなる。これが都会というものかぁと思わず感動してしまう。
「はぐれないようにね」
「うん」
「はい」
「う、うん?」
椿木は手を差し出す。
言葉と行動がリンクしているらしいが、私にはイマイチわからずこてんと首を傾げてしまう。わからないのだからしょうがないことだ。と、言い訳してみる。
「鈍感」
ムッと彼女は頬を膨らませて、私の手を奪う。やられて初めて気付く。あぁ手を握れってことだったのかと。
「鈍感ですみません」
素直に謝罪する。意図が掴めなかったのだから、彼女の指摘は至極真っ当と言えるだろう。
「謝られるのはそれはそれでなんか癪」
椿木はふんっとそっぽを向いて、私の手をぐいぐい引っ張りながらズカズカと歩き始める。
謝ってもそれはそれで怒られるって……一体私はどうすれば良いのだろうか。友達付き合いというのは難しいものだなぁ。
「どこに向かっているんですか」
と、私が問うても答えてはくれない。怒って意図的に無視しているのか、それとも喧騒な空気に私の声が飲まれて聞こえていないだけなのか。真偽は不明だ。椿木にしか真相はわからない。
「新幹線」
彼女は振り返ったと思えば唐突にそんなことを口走る。正気かと私は睨む。それでも彼女はこくりと頷く。正気らしい。
「お金ないんですよね」
「財布ないわ」
「財布を持っていないんですか」
「ちなみにスマホもないよ」
ここまでの道のり一回もスマホ触っていなかったのはそういうことなのか。てっきり私が隣に居て、会話しなきゃって気遣われているのかと思っていた。触りたくても触れないのが正解だったらしい。わかるわけないなー。
「それはそうとして新幹線に乗ろう」
「お金は……」
「貸して?」
「……」
えーっと私は今絶賛友達に新幹線代をたかられています。
新幹線代はレベルが違うのではと思ったのだが、この原因を作ったのは間違いなく私なわけで、お金を貸すべきなのだろう。そう。そもそも貸すだけであって奪われているわけではない。近しいようで全くの別物。
「返してくださいね」
「私は約束守る女だよ」
「借りながらそう言うのは信用できないのでしっかりと返してから言ってください」
そう言いながら、切符売り場へと向かう。
北は北海道、南は福岡。
行こうと思えばどこまでも簡単に行けてしまう。お金さえあれば。
改札の向こう側に見える電光掲示板を眺めて、すごい世の中なんだなぁなんて思う。
「真面目な話、どこに行きますか」
「お金はどれくらいあるの?」
「二人分ですよね」
「往復ね」
「わかっていますよ……」
遠くに行ってずっと留まるというわけにもいかない。行けばいずれは帰らなくちゃならない。それがわからないほど気狂ってはいない。
パッと財布の中身を見る。四万円があってあとはパラパラ小銭と野口英世さんが複数人居るくらい。ざっと片道一万円というところだろうか。うーむ、これじゃあ思っていたよりも遠くに行けない。下手したら東北やら関西やらに行けないのではないだろうか。
料金表を確認すると、北は仙台で南は名古屋らしい。
なんともまたまぁ中途半端な。
どっちもプロ野球チームがあるのは偶然なのか、それとも運命なのか。
まぁお財布すっからかんになってしまうので野球場には行けないのだけれど。
「仙台?」
「名古屋でも良いですけれど」
「名古屋はいつでも行けるから」
「そうなんですか」
「行けそうじゃない? 人生で一回は用事ありそうだもん」
それはたしかにそうだなぁと納得する。
「仙台はあまり機会なさそうだし」
仕事で行きます……ってのは確かに考えにくいよなぁと思ったりする。名古屋と比較すれば尚更だ。
「じゃあ仙台にしましょうか」
「レッツゴー仙台」
「お金返してくださいね」
一人で盛り上がる椿木に対して私はここぞとばかりに現実を押し付けたのだった。
二時間も新幹線に乗っていれば仙台駅に到着する。
窓から見える景色は田舎っぽい場所から突如都会へと変貌する。これが杜の都かぁとぼーっと眺める。
改札を抜けて人の流れに沿うように私たちは歩く。どこへ向かうわけでもないから、皆が歩く方向へただ歩く。逆らわないようにして。
しばらくすると改札を抜けて、大きなエントランスのようなところへやってくる。エスカレーターを使って出口の方まで向かい、陽の光がカーテンのようになっている出口に足を踏み入れる。
「うおおおおおおお」
隣を歩く椿木は感嘆の声を漏らす。まるで心に刺さる芸術品でも見つけたかのような。そんな声だ。
「ここテレビで見たことある」
「なにに感動しているのかなと思ったらそこなんですか」
「このペデストリアンデッキ。アニメとかでも良く使われてるよ」
「そうなんですか。アニメとか観ないので良く分からないですけれど。というか、椿木さんってアニメ好きなんですか」
「……まぁ、好きだよ。うん、好き」
少し悩むような仕草を見せてから頷く。
「野球好きって言いたくない理由なんとなくわかったかも。ちょっと恥ずかしいね、これ」
あははーと照れるように笑う。
「でも意外です。アニメとか意味もなく嫌っていそうなイメージだったので」
「えー、どんな偏見」
私の中の陽キャとはアニメとかアイドルを好むようなオタクを馬鹿にするものであった。
「私にとってアニメは救いの手みたいなものだよ。アニメがなかったら私精神ぶっ壊れてたかもしれないし」
椿木はああはははと一人楽しそうに笑う。
だらだらと歩いて、近くの喫茶店に流れるような形で入る。
コーヒーを頼んで、席に持っていき、こくりと飲む。もちろん私が払っている。あとで返してもらうつもりだけれど。
「まぁ、人にはね、色々あるんだよ」
「私も人ですよ」
「知ってる知ってる。化け物だとは思ってないし。各々にそれぞれ事情があるって話」
ちょびっと彼女はコーヒーに口を付けて、ふぅと息を吐く。
「事情? ですか」
「そう、事情。あれこれ事情があって趣味が増えたり、人格が新たに形成されたり」
彼女は首肯する。
「琴葉ちゃんは虐められてたっていう事情があるでしょ」
「事情というか事実と言いますか……」
事情という言葉にはイマイチ納得できない。虐められていたから野球を好きになったわけじゃないから。まぁ、どこからを虐めとするかで変わるような気もするのだけれど。
「というか、急になんでこんな話をしだしたんですか」
「なにか琴葉ちゃんが悩んでるように見えたからかな」
「悩んでいるように……ですか? 虐められる心配をしていたからじゃないですか」
「そうなのかな」
椿木はうーんと唸りながら口元に指を当てる。
「もっと違うことも悩んでそう」
じーっと私のことを見つめてくる。だけれど、そう言われたって思い当たる節はない。
「例えばどんなことですか」
自分でもパッと思い浮かばないから尋ねてしまう。
「私に聞かれても……」
困ったようにはにかむ。それはその通りだなぁと私も苦笑する。
「でもそうだね」
「はい」
「これ違ったら私の自惚れで恥ずかしいんだけど」
少しだけ頬を紅潮させて、その紅さを誤魔化すようにカップを口付ける。
「私の隣に居るべきじゃない……みたいなこと考えてない? なんて言えば良いんだろう。釣り合わない的な?」
ぐるぐると適切な言葉を探して見つけたようだ。
ちなみにそれは思ってはいる。もっとも悩んでいるつもりはなかったけれど。
「私と椿木さんではやはり住む世界が違うなとは思います。私はあんなに目立つことはできませんし……」
前も同じようなことを言ったけれど、椿木と私は太陽と月のような存在。椿木が太陽で私が月。月なんて綺麗なものだったらまだ幾分かマシかもしれない。
恒星と惑星。私は照らし続けられ、自分で光ることはできない。近くに光る星がなければ私は暗くなり続ける。
「所詮私は金魚の糞なんですよ。頑張ってこれです」
「そんな卑下しないで」
「卑下もなにも事実ですから」
言うつもりはなかったのに、一度言葉として発してしまうとすらすらと流れ出てしまう。
言霊って本当にあるんだなと、口を動かしながら他人事のように感心する。口にすればするほど段々と悲しくなっていくのだ。
「私だって同じようなものだよ」
椿木と私が同じようなもの? いくらなんでもそれはありえない。
天変地異の方がまだありえる。そのレベルだ。
「ありえないみたいな顔してる」
「いやだって……ありえないじゃないですか」
「ありえないもなにも事実だし」
彼女はむっと頬を膨らませて不満をこれでもかとアピールする。
「信じてない」
じとーっと睨みに似たような目線を私に向ける。
信じろと言われても流石に信じられない。というか想像すらできない。
私を慰めるために出鱈目言っているのではとしか思えないのだ。
「しょうがない」
くいっとコーヒーを呷る。
ことんと机にカップを置いて吐息混じりに顔を上げた。
「少し。いいや、大分かな。自分語りになっちゃうんだけど。それでも良いかな」
「はい、大丈夫です」
私はこくりと頷く。頷いてから真っ直ぐに彼女のことを見つめる。
「というか聞かせて欲しいです」
「そっか」
少し表情に陰りを見せ、それを隠すようにニコッと笑う。
「うんと私が小さい頃の話――」
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