34話

 私はお母さんの顔を見たことがない。直接「凛香」と呼ばれたこともない。実際にこの目で、生の顔を見たこともない。どれもこれも記憶がないの方が正しいのかもしれないけどあまり関係ないね。私のお母さんは私が生まれた時に死んだから。当時私が死ぬか、お母さんが死ぬか。どちらかしか選択肢が残ってないなかった。そんな出産だったらしい。で、お母さんは「私が生き延びてもこの娘よりは長く生きれないから。この子のために死ぬのなら本望」って言ったんだって。で、お父さんも苦渋の決断をしたらしいんだ。で、私が生まれた。お母さんはその時に亡くなった。

 それからお父さんは男手一つで私のことを育ててくれた。あとから聞いた話だけどかなり大変だったんだって。おっぱいが無いからミルクを作るんだけど作り方があんまりにも下手くそで美味しくなくて私は飲むのを拒否してたらしい。家事もまともにできないから、洗濯物は溜まってく一方で、掃除もあまりしない。オムツ替えとかも酷いものだったらしくて、私のおしりは良くかぶれてて病院の先生に怒られてたとか。一応父方のお母さんが私の面倒を見てくれてたから、どうにかなってたみたいだけど。ぜんぶ聞いた話だからどこまでが本当なのかわからないけどね。四歳の春。私のお父さんは突如死んじゃった。原因は過労死。会社では夜まで働いて、帰ってきてから家事やら私のお世話やらしててもう身体が限界だったらしい。会社でぶっ倒れて、そのまま病院送り。だから正直お父さんの顔もしっかりと覚えてはないんだ。

 両親が死んだ私は父方の祖父母に引き取られることになった。両親は死んじゃったけど祖父母は良い人で、私のことを自分の子供のように可愛がってくれた。お金も沢山あるわけじゃないだろうに、不自由なく暮らさせてくれた。今考えると感謝してもしきれないよ。小学二年生の秋。先生に「椿木さん。おじいさんがっ!」って呼び出された。脳卒中で倒れて病院に運ばれたらしい。先生は優しくてタクシーを呼んでくれた。病院までのお金も払ってくれた。病院に行ったけど祖母はまだ到着していなかった。到着するまで私を安心させようと主治医さんが私の面倒を見てくれた。今思うと病院に運ばれたタイミングで手の施しようがなかったんだろうなって思う。じゃなきゃ私の面倒を見てくれない。待てど暮らせど祖母はやってこない。なにしてんのかなと不安になるのと同時に一人救急搬送されてきた。見覚えのある顔が担架で運ばれてた。祖母だった。血だらけで、骨とか剥き出しになってた。見るだけで吐き気を催した。そのせいか涙は出てこなかった。主治医の先生は優しくまた私に声をかけてくれたけど、なんて言ってたのかわからなかった。耳には届いてなかったから。祖母は病院に駆けつける時、四車線の国道の横断歩道を渡ってる時に信号無視の大型トラックに跳ねられてしまったのだそう。こっちも運ばれてきた時にはもうダメだったらしい。

 父方の祖父母を亡くした私は流れるように母方の祖父母へと受け渡された。当然の流れだと思う。でも母方の祖母は私を快く受け入れてくれなかった。母親が死んだのは私のせいだって思ってたらしくて、私のことを毛嫌いしてた。祖父にバレないところで殴ったり、蹴られたり、されてた。まぁ、祖父にはバレてたんだけど。見えないところに痣を作って、ご飯も変な調味料を入れられてたのか私のだけ全く美味しくないものを出されて……というか、辛くて食べられたものじゃなかった。どんどんと痣は増えてくし、痩せ細ってく。祖父はそんな状況を見かねて、庇ってくれた。こそっと自分の料理をわけてくれたり、美味しいご飯食べさせに連れてってくれたり、「これしかできないから」って痣に湿布を貼ったり、軟膏薬を塗ったりしてくれてた。小学四年生の時、祖父は祖母と喧嘩した。虐待を非難した。最初は止んだんだけど、祖母は祖父にも手を出し始めてた。二人で美味しくない料理を食べて、段々と二人とも痩せ細る。それでも祖父は私の味方をしてくれて、祖母にやめるよう言い続けてくれた。「私の味方はしないの」って祖母はその度に怒って、祖父への攻撃をヒートアップさせてく。結果として、祖父は鬱になった。鬱になって、私が小学校六年生の時に自殺した。市役所の屋上から飛び降りた。ニュースにもなってた。こうして私と祖母の間に挟まるものが消滅したから、祖母の攻撃はさらに増えた。痣とかは増えて、時に骨折にまで至ったりもした。栄養失調だったから尚更だ。治りも悪いし、病院になんて連れてってくれない。学校で虐待を疑われ始めてからは、家から出させてくれなくった。家では私のことを「死神」だなんて言い始めた。私の周りは次々に死んでくから死神なんだってさ。私の心はどんどんと荒んでいった。死にたくなった。死ねば私を愛してくれた人たちに会えると思ったから。この地獄から抜け出して、天国に行けると思ったから。死にたかった。だけどそれすらも許されなかった。

 そんな中、私には転機が訪れた。あまりにも不登校期間が長くて、虐待疑惑もあったから、児童相談所が家庭訪問をしてきた。私の痩せ細った身体にあちこちにある痣。私は引き取られて、児童養護施設に預けられることなった。最初は楽しく暮らしてた。あの地獄に比べたらどの環境でも幸せだと思える。刑務所だってマシだと思えるくらいだ。ある日手紙が届いた。祖母からだった。一通目は私へ。もう一通は職員さんへ。最後の一通は一緒に暮らす人たちへ、だった。私は律儀に渡してしまった。それから私のあだ名は『死神』になった。あとから聞いた話だったけど「凜香のことは『死神』と呼んであげてください。あの子なりの懺悔です」と書いてあったらしい。悔しかった。辛かった。でも周りは面白がって私のことを『死神』って呼び始める。中学生になった頃合。尚更止まらなかった。気付けば学校でも『死神』扱い。本当に辛かった。

 高校生になって一人暮らしをさせてもらうことにした。この状況だと私は死ぬことになると力説したのだ。誰も私のことを知らないところで一人暮らし。こうして、あの家に住むことになって今に至る。廣瀬先生はある意味親代わりだ。

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