27話
授業中。目線は黒板ではなく、椿木へと向けられている。
意味はない。本当にない。見つめている意味なんて一切ないのだ。見たいから見る。それだけのこと。ある意味単純明快と言えるだろう。
それらしいことを言うのならば、初めてできた友達を実感する……とかになるのだろうか。教室に実在するその姿を見て、私にも友達ができたのだとしみじみする。
授業が終われば彼女は私の元へとやってくる。今までは他の友達との交流を優先して、学校で私と積極的に会話をするということはなかったのだけれど、今日は違う。他の子を押し退けて、私の元へとやってくる。友達だったらこれも当然のことなのだろうか。
「他のお友達さんがお話しようとしてましたけれど大丈夫なんですか?」
私にばかりかまけて、椿木が変な扱いされるのは困る。友達付き合いは大事にして欲しい。私のせいで友達減っちゃったとか言われても困るし。なにより責任はとれない。
「うーん、あー」
彼女は自分の席へ目線を向けて、気の抜けるような声を出す。
「まぁ、大丈夫」
「本当ですか」
不安になるような答え方だった。
「大丈夫、大丈夫。少なくとも琴葉ちゃんが気にするようなことじゃないから」
そう言って、私の頭をくしゃくしゃ撫でる。
「気にするようなことじゃないんですか」
「そう。私は琴葉ちゃんと今話したいんだよ」
「私はそうでもないですけど」
ちょこっと毒を吐いてみる。撫でる手は一瞬止まった。でもすぐに動く。かと思えば、手は頭から離れて、頬に流れる。そしてつんつんと頬を指先で突っつく。
「ひどいひどーい」
「話すことないじゃないですか」
「むぅ、琴葉ちゃんも言うようになったな、このこの」
「元々こんなんでしたよ」
「違うよ。もっと可愛かったもん」
もっと可愛かったと言われるとそれはそれでなんだか解せないな〜という気持ちになる。
最近、私は少しだけ悩みがある。
昔の私に相談したら「そんな贅沢な悩み聞かせるな。惚気か? 死ねよ」って罵倒されてから一蹴されるだろう。
けれど悩みは悩み。うんうんと頭を悩ませているのは紛うことなき事実だ。
具体的になにか。それは単純明快。私と椿木、ちょっと距離近くない問題である。ちなみに問題提起したのは私で、題を付けたのも私。
しょうもない情報は置いておいて。やけに距離が近いなぁと思う。
ただ椿木にそれを問いかけても、彼女から返ってくるのは「友達ってこのくらいだよ」という答えだけ。だからこんなものなのかぁって受け入れようと思うんだけれど、やっぱり違和感は拭えない。私の中で、本当にそうなのって懐疑的になってしまう。授業と授業の合間には必ず私の元へやってきて、頭を撫でて、手を握ってくる。
私のことを子供だと思っている節があるのではないかと疑っている。弱いところを見せ過ぎて変な親心でも芽生えさせてしまったのかも……と不安すら抱えてしまうのだ。
仮にそうなのだとすれば、私にも責任の一端はあるわけで、改善のお手伝いはするべきなのだろうなと思う。
だから今日こそは、今日こそは屈しないぞ。
私はこそこそと意気込んだ。
授業と授業の合間。
いつものように椿木はやってくる。
座っている私に目線を合わせようとしゃがんでくれる。それでじーっと私の瞳を見つめる。かと思えば無言で頭を撫でて、頬をむにむにと触ったりするのだ。
やっぱり私のことを子どもだと思っているよね。これ、友達の距離感ではない。経験不足だから断言はできないのだけれど。
「あ、あおぉぉ」
喋ろうとするのだけれど、頬をむにむにされているせいで、上手く喋ることができない。噛んでいないのに噛んだみたいになってしまう。
なぜか私が恥ずかしい思いをする。解せない。
「うあいさん」
名前を呼ぶことすらまはまならない。
というかいつになったらやめてくれるのだろうか。されるがままだといつまでも続きそうで、私はガチっと手首を掴んで、無理矢理引き剥がす。
その瞬間、椿木はこの世の終わりみたいな淋しそうな顔をするから、仕方なしに私の頭に手を乗せる。そうすると、表情はコロッと変わる。
「椿木さん」
自由に口を動かせるようになった。
「ん?」
くるくると私の髪の毛を指に巻き付ける彼女は不思議そうに首を傾げる。
「私のこと子供扱いしていませんか?」
私の言葉に彼女は頭に何個も疑問符を浮かべる。漫画だったらぽかぽか浮かんでそうだなぁ。
「し、してないよ」
「してますよ。頭撫でたり、指絡めたり、頬を触ったり……子供扱いしているからしてくるんですよね」
検察官にでもなったような気持ちで、証拠と呼ぶにはあまりにも不適当なものを投げてみる。
私が口を開いて、その証拠と言い難い証拠を突き付ければ突き付けるほどみるみるうちに顔を赤くする。温度計みたいで面白い。
ぷるぷると震え始める。顔が赤くなったのも相俟って、もしかして怒らせてしまったのではないだろうか、という一抹の不安が私のことを襲う。
「こ、子供扱いはしてない……んだけど」
「じゃあなんでこんなにベタベタするんですか」
私は彼女の真似をするように、髪の毛をもしゃっとしてみたり、頬にぴたりと手を当てたり、手を絡ませありする。
「こんな感じでですね」
ビクッと身体を震わせ、じとーとなにか言いたげな目線をこちらへと送る。文句でも言いたいのだろうか。でも、やられたことをやっただけであって、文句を口にする筋合いはないと思うのだけれど。
「ひ、秘密……」
花が萎れてしまうように、彼女の元気は一瞬にしてなくなってしまう。さっきまで七分咲きくらいだった赤い花は満開に咲く。咲き誇る。
「秘密ってなんですか」
「秘密は秘密」
どうやら教えてくれる気はないらしい。
「友達って秘密とかないんじゃないですか」
「友達だって秘密の一つや二つあるよ」
真顔でそう言われてしまうとそういうものなのかと納得する他ない。
そもそも経験がないから比較などできるはずもないのだけれど。
「りんちゃんー」
遠くから椿木の友達が、彼女に声をかける。
ひょいひょいと手招きをしている。私はそちらに目線を向けた。もちろん彼女も認識して、そちらに一度視線を向ける……のだが、意に返さずという感じでこちらに目線を戻す。
「呼ばれていますよ」
「わかってる」
「友達に呼ばれていますよ」
「うん、わかってるよ」
彼女はこくりと頷く。
果たして私の言葉を理解しているのか、それとも聞き流しているのか。懐疑的になるような反応しかしてくれない。
どっちなこだろうか。少しだけ考えながら、私は言葉を紡ぐ。
「行かないんですか」
私には友達は彼女しかいないけれど、彼女には友達が沢山いる。私だけを見て、私だけと遊んで、私だけど話して、私を優先して欲しい。惨めな独占欲は少なからず心の中にまだ残っている。
友達という概念を知らなかった。生まれてからこの日まで肌で感じることもなかった。だから、欲している。求めてしまう。空っぽの心を埋めたくなるのだ。でも、彼女には彼女の友達が居るということも理解している。しているから、独占しようとはしない。してはならない。したら重たいって嫌われてしまうかもしれないから。
私だってなんでもかんでも自由にしているわけではない。
最低限の線引きはしている。
「行かない」
私の気遣いを彼女は指で弾くのうになかったことにする。
「え、なんで?」
吃驚して、声が漏れてしまう。
「琴葉ちゃんと一緒に居たいもん」
「一緒に居たい……? ですか」
「うん」
「で、でも、友達が呼んでるのなら、流石にそっちを優先するべきじゃないですかね」
「なに? 琴葉ちゃんは私に行って欲しいの?」
「そ、そういうわけじゃないですけれど」
なにか裏がある。そういう結論に辿り着く。
友達を無視して、私と一緒に居ようだなんて普通ならない。
きっと、あれだ。友達という体裁で、私からお金を巻き上げようとしているのだ。そうだ、そうに違いない。
「お金は持ってないです……」
「急になに!」
「いや、てっきりカツアゲしてくるのかと思っていました」
「琴葉ちゃん私のことそんな風に見えてるんだ」
不満であることをアピールするために、彼女はむくっとわざとらしく頬を膨らませる。その頬を指で突っついたらどうなるのかなとか、少しだけ考えて思考を捨てたのだった。
とある日。
一人で廊下を歩いていると、なにかに躓いて転んでしまう。
バタンという激しい音が響き、額に痛みが走る。
くらくらする。起き上がらない方が良いと本能が叫ぶ。脳震盪でも起こったかのような。起こったことないからどんな感覚かわからないけれど。
「ちょ、ウケる」
「ウケるってか、ヤバいんじゃない」
「大丈夫っしょ」
人を馬鹿にするような声が聞こえる。
まぁ、冷静に考えてみれば、私は廊下で突然大ゴケしている。笑いの対象になるのはなんらおかしくない。
ただそうやって理解するのと、恥ずかしくないのは全く別物なわけであって。要するに恥ずかしいのだ。恥ずかしいからずっと顔を伏せる。もう頭のくらくらも収まって、立ち上がれそうなのだけれど、敢えて立ち上がらない。今立ち上がったら、周りの人達に顔真っ赤なのが見られてしまうから。さらに恥ずかしくなるし、また笑われることになる。
そもそもなぜなにもないはずの廊下で転んでしまったのだろうか。
なにかに引っかかったような感覚はあった。ずんっと足を取られ、そのまま足を置いてくような感覚だ。
廊下のど真ん中でなにか引っかかるようなものがあるとは考えにくい。けれど、実際としてこうやって転んでいるわけで。
ゆっくりとだけれど、記憶が蘇ってくる。
あの時、近くには椿木のお友達が居た。彼女たちの名前は知らないからとりあえずA、B、Cということにしておこう。うん、便宜上それが良いね。
彼女たちとは目が合った気がした。もちろんたまたまかな〜とか、私の気のせいで自意識過剰なだけだろう、と結論付けて居たのだが。
Aは一歩引いて、Bは不規則に足を出して、Cはニヤニヤしていた。
で、私が転んだ時に三人は大爆笑。汚く、私のトラウマをちくちくと刺激するような笑い方であった。嫌な記憶が流れ出てくる。
認めたくないけれど、認めざるを得ない。
嘘であって欲しいけれど、嘘であることは限りなくゼロに近い。
私はあのBに足を引っ掛けられたのだ。派手に転んだ私を見て、AとCは笑っていた。見世物にされた。
ただのクラスメイトにこんなことはしないだろう。
それくらいは友達という感覚がわからない私であっても理解している。そこまで世間知らずではない。
つまり、だ。
私はまた虐められてしまった。
虐めの対象になってしまったのだ。まぁ、引き金は沢山あった。溜まりに溜まって、トリガーが引かれたという感じだろう。累積型である。
常に一人でクール風吹かしているとか、陰キャ過ぎてまともにコミュニケーション取れないとか、なんか雰囲気が嫌いとか、虐められる理由は様々ある。けれど、今回の場合は多分椿木だ。椿木がなぜか私のことを懇意にしている。自分たちを差し置いてまで、懇意にしている。それが心底気に食わなかった……概ね、そんなところだろう。
推測であり、事実か否かは不明だ。
けれど、私だって伊達に虐められっ子をしていない。なんで虐められているのかくらいの分析はできるようになっている。こんな誇らしげにすることではないような気もするけれど。
八割……いいや、九割九分くらいは当たっていると思う。
人は理由を付けて、虐め始める。虐める当人は虐め始めた理由を忘れる。気付けばソイツは虐められているのが当たり前になっていて、嫌なことがあったり不都合があるから虐めるのではなく、ただ虐めたいから虐めるになってしまうから。要するに一度虐められてしまえば、歯止めは効かなくなる。虐められたら基本的に逃れられないと思った方が良い。
私は立ち上がる。俯いて、そのまま歩き出す。
目的地は屋上。ちょっと風を浴びたい。
ケラケラ汚い笑い声を背に、足早にこの場を去った。
屋上で風を浴びる。
なにか辛いことがあったり、考えごとをしたい時に、この場所にやってくる。入学してからのお気に入りの場所。マイホーム。
校庭のど真ん中で立つよりも風は気持ち良いし、四方八方遠くまで見渡せて、ぐちゃぐちゃした心もこの場所に立つだけでスっと穏やかになる。
カラオケで熱唱することや、身体を動かすことがストレス発散になる……という人がいるように、私はここに来て呆けることがストレス発散になるのだ。
と、そんなことはどうでも良くて。
今後どうするかを本気で考えなければならない。
正直、こうやって虐められるのは慣れてしまった。慣れてはいけないことなのだろうけれど、慣れてしまった。
殴ったり、蹴られたり、肌に傷ができるようなことな痛いから嫌だけれど、そうでなければ心の持ちようでどうにでもなるから、案外どうにかなる。
精神的な虐めってレパートリーが少ない。
大体暴言から始まり、備品に悪戯されて、あることないことを吹聴される。精神的な虐めは大体そのくらい。ハブかれるとかはそもそもない。ずっとぼっちだから。
実はそこまで影響はないのだ。心の小さい悲しいヤツだなって見下して精神を保てば良いだけだから。
なので私はそこまで問題じゃない。問題は椿木だ。
きっと私が虐められていると知った時、彼女は私の味方をしてくれるはず。思い上がりかな。でも、そんな気がする。少なくとも、A、B、Cの味方をするとは思えない。もっと仲良さそうなショートカット? ボブカット? の子だったら、私が見捨てられるのかもしれないけれど。あの軍団だったら私に味方してくれると思う。
もしそうならば椿木も虐められかねない。
私の経験上、虐められている人間を味方すると、味方した人間が虐められるようになるのだ。自分に楯突くヤツはとことん潰そうと思うのがイジメっ子の思考である。
そもそも虐めなんて心が狭くて、余裕のない奴がする行為なのだ。
明確に敵だとわかるやつが現れたら、そっちに猛攻するのは当然のことなわけであって。
それを良しとするかと問われれば、答えは否となる。
私が虐められるのは一向に構わないけれど、椿木が虐められるのを見るのは耐えられない。私にも優しくしてくれる聖人の椿木が虐められて、苦しんでいる姿は想像すらしたくない。見たら嘔吐してしまうかも。
とにかく椿木には虐められて欲しくないのだ。まぁ友達が虐められて欲しいなんて思う人はいないと思うけれど。
じゃあ、どうするか。私はどうするべきなのか。一番は私が虐められないようにするということなのだけれど、この状況下であればもう手遅れだ。それじゃあどうするか。
考えるまでもない。答えは非常に簡単だ。
「もう終わりにすれば良いんだよね」
声を絞り出す。
掠れた声は風に乗って、まるでなにもなかったかのように消えていく。
我ながら単純明快な答えだと思う。そしてなによりも、これが正解だと自信しかない。
彼女と友達という関係を断ってしまえば良い。
本当は心底嫌だけれど、それが一番手っ取り早くもっとも効果的だから詮無きことである。
私はポケットに入れていた星型の髪飾りを思いっきり投げつける。外国人ピッチャーみたいな投球フォームで勢い良く投げて、髪飾りは私の手中からすっと離れる。風に煽られ、思った方向に髪飾りは飛んでいかず、ふらふらと不規則に飛んでいき、やがて姿を認識できなくなった。
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