28話

 春と呼んで良いのか、もう夏と呼ぶべきなのか。暦の上では夏だから、夏と呼ぶべきなのかもしれない。もっとも夏感は一ミリ足りともないのだけど。まだ半袖だと少し肌寒さがあって不安かも……って感じだから。でも長袖だと暑い。地球ちゃん。もうちょっと上手く温度調節してくれないかな。そんなある日のことだった。私は猛烈な違和感に襲われた。まるで違和感という名のナイフで心を突き刺されたかのような感じ。どんな感じだよと思うかもしれないけど、そんな感じ。

 「琴葉ちゃん」

 教室でボケーッと虚空を見つめてる琴葉ちゃんに声をかける。

 彼女はハッと私のことを見て、逃げるかのように教室を後にする。今日が始めてではない。ここ最近ずっとそうなのだ。

 私が話しかければ逃げて、近寄れば逃げて、そもそも私の前に姿そのものを見せないことだってある。

 違和感は一つの名前を持ち始める。朧気ながら可能性を提示してくる。私はそれに気付いて、それが心の上にどっしりと乗っかった上で有り得ないと否定する。有り得ないと思いたい。信じたいのだ。

 だけど、日が経てば経つほど、可能性は確信へと移り変わる。世の中は残酷だ。確信は窓辺から飛び立つことはない。留まり続け、現実を見ろよ、目を背けるな、と叫び続ける。

 遠くなっていく背中。やがてそのまま見えなくなる。手を伸ばしても届かないし、目の前に現れることもない。

 前までは達観してた。どうせ屋上に居るんだ、って。驚かせちゃおって。でも、屋上には誰も居ない。ただ寂しく不規則に風が吹くだけだった。

 彼女は私から逃げてるのだ。私を避けて、私にもわからないどこかへと逃げてる。

 嫌われるようなことをした自覚はない。好意がバレた……ということもないはず。そう思いたいけど、振り返ってみればかなりべたべたしてたかもしれない。近くに居たい、触りたい、そういう欲求に負けてた節はあるし。当時は上手な言い訳を並べられてると思ってたけど、今改めて考えてみると、お世辞にも上手な言い訳とは言えない。少し考えれば嘘を吐いてるとわかるような内容ばかりだったなぁと思う。

 友達だからあんなにべたべたする……って、そんなわけない。

 雪乃とかその他の友達に同じことしてないんだから。

 バレちゃったのかなぁ。バレちゃったのかも。

 好意がバレて、どう対処すれば良いのかわからず困惑し、恐怖に怯え、逃げ始めた。筋としては通ってる。

 私は人に嫌われるのが嫌だった。怖かった。全世界の人間から愛されることが不可能なんて頭では理解していようとも、じゃあ嫌われても良いやと思えるかと言われればそれは全くの別問題。嫌われたら皆私の元から離れて、敵となり、私は孤独になってしまいそうだったから。

 だから人から嫌われたら多少なりともショックを受けてた。けど、今回は比べ物にならない。

 「つら……」

 私は喧騒な教室の中でポツリと呟く。

 紡ぐように、けど誰に語りかけるわけではない。対象を無理矢理選択するとするのならば私自身になる。

 好きな人に嫌われるのは辛くて当然だ。こんな声が漏れるのも無理はない。

 だって、振られたのと同然だから。

 教室で他人の目もあるから私はなにも感じてないよ、という雰囲気を出しつつ、へらへらして取り繕う。

 そうやって取り繕う自分をふと客観視して、さらに惨めなってしまう。悪循環過ぎる。

 己が嫌になって、耐えられなくなって、逃げるように私は御手洗へと向かったのだった。


 尿意はないけど、トイレに籠る。主目的と違う使い方をしてる私が数少ないトイレを占領するのは良くないかなとか思いつつ、でも今の顔を誰かに見られたりしたくはないから。だから今回ばかりは許して欲しい。そう誰かに願う。

 顔を両手で覆って、トイレの天井を指の隙間から見つめる。

 小さく息を吐く。そのつもりだったけど、想像以上の声が出る。ちょろちょろちょろと音姫が私の声を掻き消してくれる。音姫もこんな使われ方するとは思っていなかっただろうな〜と思う。

 ショックを紛らわすためにふざけたことを考えてると、とんとんとノックされる。

 ノックされるほど長居してるつもりはない。というか、他のトイレ空いてるだろうに。なにがどうなってるのか。疑問符が何個も頭の上に浮かぶ。

 気のせいかななんて結論付けようとしたけど、とんとんというノック音はまた鳴る。

 良く音を聞くと、扉の方から聞こえているわけではない。

 隣から叩かれてる?

 ちろっと音の鳴る方へ目線を向ける。

 隔たりからひょっこりと顔を出し、私のことをジーッと見つめる人影があった。私はそれを見つめ、脳内でなにが起こってるのかを処理して、慌てて見られてはならぬ隠すべきところを手で隠す。

 「手遅れじゃない?」

 「見てたそっちがそれ言う?」

 「私だって見たくて見てたわけじゃないもん」

 覗いておいて良くもまぁいけしゃあしゃあと言えるなぁ。

 「雪乃」

 「ん?」

 「なにしてるわけ?」

 「覗き?」

 壁という名の隔たりに手を置く彼女はこてんと首を傾げる。

 「これじゃあ私お嫁にいけなくなっちゃう」

 「そうなったらりんちゃんのこと私が貰ってあげるよ」

 「遠慮しておく」

 「酷くない!?」

 彼女はそう叫ぶと、よいしょよいしょとわざとらしさ全開な声を出しながら、壁を乗り越え、私の目の前にとうっと飛び降りる。

 足が痺れてるのか、少しだけ顔を顰める。痛そう……。

 「というか狭いんだけど」

 「トイレの個室なんて二人で入るものじゃないってことだね」

 雪乃はえへへと笑う。

 「パンツは履かないの?」

 雪乃は私の下腹部辺りに目線を落として問う。

 わ、忘れてた……。

 「えっち」

 「ちゃんと焼き付けたから」

 とんとんと涙袋を指で叩く。その辺に出現するエロ親父よりも雪乃は変態なのかもしれない。

 「変態」

 むぅと頬を膨らませながら、パンツとスカートを履く。

 「で、なに?」

 「と言いますと?」

 「なんで突然個室に乱入してきたの。しかも隣からわざわざさ」

 乱入というか降ってきたという感じだ。

 「隣でお花摘んでたらりんちゃんのため息が聞こえたから」

 「私のため息? 気のせいじゃない?」

 音姫に掻き消してもらったから聞こえてるわけがない。

 「私が間違えるわけないよ」

 そう彼女は口にすると、ピシッと私のことを指差す。

 狭い空間で指差された私は頭を引いて、眉間に皺を寄せる。

 殴られるわけでもないし、目潰しされるわけでもない。わかってはいるんだけど、くっと避けてしまう。

 「実際、りんちゃん居るし」

 たしかに私はここにいる。

 あぁ、聞こえたかもという可能性が事実となったのか。

 これはあれだ。幾ら否定しても水掛け論になってしまうパターンだろう。大体事実として私はため息を吐いていたから質が悪い。

 「なんか悩んでるのかなって」

 「悩んでないよ」

 ふるふる首を横に振る。

 「悩んでるでしょ」

 「悩んでないって」

 「ううん、悩んでる」

 どれだけ私が否定しようとも、彼女は決め付ける。結局水掛け論になってしまった。

 「なにを根拠に……」

 このまま続けてもキリがないと気付いた私は話の行く末を少しだけずらす。

 「教室で思い詰めてたような顔してたから」

 正解だ。私のことを良く見てる。

 一瞬しかその表情は見せていないはずなのに、気付くものなのかと感心してしまう。

 「してたでしょ?」

 「気のせいじゃない」

 「うそー」

 そんなやり取りをしてると、チャイムが鳴り響く。

 「あ、授業始まっちゃった」

 彼女は慌てる様子は見せない。

 慌てるどころか「ま、しょうがないか」と達観してる。

 扉を開けて、私の手を掴んでグイッと引っ張った。

 「トイレ流して」

 「してないから」

 「便秘?」

 「ちがうわい」

 仮に便秘だとしても言わない。

 雪乃が入ってたであろうトイレの個室は扉が閉まってる。

 誰かが入ったのかなと思いながら立ち去ろうとすると、彼女は苦笑いを浮かべながらささっと私の入ってたトイレに入る。そして壁をよじ登って元のトイレに飛び込む。

 なにしてんだ……とその様子を外から眺めてると、閉まってる扉から出てきた。

 「鍵かけっぱなしだった」

 あはは〜と笑う雪乃。この子、優しいけどやっぱりちょっとどこか抜けてるよな〜なんて思ったのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る