陽キャに「陰キャちゃん」と呼ばれて怖がる陰キャと、陰キャに「陰キャちゃん」と呼んで揶揄うが内心「天使みたい」と思う陽キャ

こーぼーさつき

1話

 私は今日も高校の屋上で物思いに耽る。

 ちょっとカッコ良く言ってみたけれど、実際はそんなカッコ良いものではない。

 ただ教室という圧力の大きな場所から逃げてきただけだから。

 どこからともなく吹く風を全身で浴び、黒くて面白みのないただ長いだけの髪の毛を靡かせながら、柵に手を当て、ふぅと息を吐く。風に紛れて私のため息はどこかへ消えるように飛んでいく。


 ぽつりと私の額に水滴が垂れる。


 顔を上げた。


 まだ太陽は顔を出してくれている。

 でもほとんど雲に隠れていて辛うじてという感じだ。


 そう時間が経たないうちに太陽は雲に隠れ、姿を消すことになるのだろうなと天気に疎い素人でもわかる。


 耳障りな学校のチャイムが私を襲う。

 屋上への入口の上部にスピーカーがあって、そこから流れる。

 だから屋上に居るとチャイムが良く聞こえるのだ。

 キーンコーンカーンコーンと、一限の授業開始を知らせる鐘が鳴った。


 さっきまでの喧噪とした雰囲気は偽りだったのか、幻想だったのか。

 そんなわけないのだけれど、思わずそう考えてしまうくらいには突如として静寂に包まれる。まるで時が止まったみたいに。

 けれど時は止まっていないよと風は教えてくれる。

 ちょっと強めな風の音だけが私の耳元へと届く。

 そいつをBGMにしながら意味もなく校庭を眺めて、ぼんやりする。


 「そこに居るは陰キャちゃん」


 私の後ろからそんな声が聞こえる。

 顔を顰め、ガシャンと落下防止の柵に額を当てる。

 額に若干の痛みが走ったところでわざとらしく「はぁ……」という息を漏らす。


 陰キャであることは認めよう。

 わざわざ否定する気もないし、否定できる要素もない。

 俯瞰してみればどう考えたって私は陰キャだ。

 正当な評価だとは思う。友達はゼロ。圧倒的な人見知り具合によってコミュ力も欠如している。これだけ要素が揃っていて陰キャじゃないと言い切れる図太さは私にはない。

 ただ私には藤花琴葉ふじはなことはっていう名前があるんだよなー。


 「無視は感心しないな。お姉さん泣いちゃうぞ」


 つんつんと背中を突かれる。

 煩わしくてぶるりと身体を震わせて反応し、もう一度露骨にため息を吐く。


 これでやめてくれるかなという甘い期待を抱きつつ。


 しかし、そう上手く行かないもので、むしろ「良い反応」と喜ばせてしまった。

 失敗だ。


 俯いて、三回目のため息を吐く。


 「そんなにため息吐いたら幸せが逃げちゃうけど」

 「げ、げ、原因を作っているの……は。だ、だ、だ、誰でもない貴方ですよ」

 「あ~、喋ってくれた。うれしー」


 弾む声が私の背中から聞こえる。

 表情は見えない。

 振り返れば見えるのだろうが見る気も起きない。

 意味もなく校庭を眺め続ける。

 私なりの意地だ。

 あとキョドったことに一切触れられなかった恥ずかしさもある。


 「もう喋りません」

 「なんでそんなこと言うの。お姉さん本当に泣いちゃうぞ」

 「そもそもお姉さんお姉さんって……貴方誰なんですか」


 根本的な質問を投げる。


 「こっち見てくれたらわかるよ」

 「そ、そ、そうですかぁ……えーっと、あーっと、いや、はい。じゃ、じゃあ大丈夫です。ま、間に合ってます」

 「ふふーん……って、うぇ、なんで? 見てよ。こっち見て」


 肩をガッチリ掴まれた挙句にぐわんぐわんと大きく私のことを揺さぶった。

 私も揺れるし、柵も揺れる。


 「わ、喧しいですね」

 「喧しくないわい」

 「あの、そ、そういうところが喧しいです」

 「えー」

 「えーっと、じゃあ……わ、煩わしいでお願いします」

 「同じ意味!!」


 というかそもそもこの人誰なのだろうか。

 本当に誰なのだろうか。

 声だけじゃ誰かわからないし。

 そもそもわかるわけないし。


 「酷い。陰キャちゃんに傷物にされちゃった。もう私お嫁にいけないかも。およよ」

 「あの、な、なに言ってるんですか。へ、変なこと言わないでください」


 そもそもこんな変な絡み方してくる時点でお嫁になんていけないでしょ、とか思ってないから。

 嘘じゃないよ。本当だよ。


 「そ、それよりもなにしてるんですか。こ、こんなところで」

 「はて」

 「いや、えーっと、だからですね。あの、なにしているのかなぁと。も、もう授業始まってますよ」


 もしかして授業始まっていることに気付いていないのかな、と教えてあげる。

 まぁ遠回しにさっさと帰ってくれと言っているのだけれど。

 そんなことを直接口にするのはあまりにも無粋なのでやめておく。


 「そうだね。授業は始まってるね。まぁそういう陰キャちゃんもここにいるわけだけどね」

 「それは……そ、そうですね」

 「私もサボり。陰キャちゃんもサボり。つまり仲間。同類」

 「あの、なんかそれは凄く嫌なので授業受けてこようかなと思います」

 「うわーん。陰キャちゃん酷い」


 ぐわんぐわんとまた私のことを揺する。


 「私のこと嫌い?」

 「い、いや、えーっと、その、嫌いというか……そ、そもそも誰なのかわかりませんし。嫌いとか好きとかそういう以前の問題ですね」

 「じゃあこっち見てよ」

 「め、面倒なのでき、き、嫌です」

 「やっぱり嫌いなんだ。陰キャちゃんは私のこと嫌いなんだ」


 わーっと喚く。

 なんなんだこの人。

 ほんと煩わしい。


 「見てどうするんですか。どうせわからないですよ」

 「へへん。そんなことはないよ。私の顔を見たらわかる。私が誰か」

 「いや、絶対にわからないです」


 断言した。実際わからない自信しかないから。


 「わ か る !」


 耳元でそう叫ばれる。

 もうこうなると、振り返らないと解放されないのだろうなと思う。

 さっさと振り返って、あしらってしまおう。

 と、間髪入れずに振り返った。


 私の目の前に佇む女性は声色やら口調やらとは正反対な優雅さを持っていた。頭の中に朧気ながら浮かんでいた姿とは乖離があって、思わずぽかんと口を開けてしまう。端正な顔つきでありながらも、堅苦しさは微塵も感じさせない柔らかな表情。私よりも若干茶色がかった長い髪の毛。ただ地毛ではなくて染めているのだろう。所々黒い髪の毛が混ざっている。染めてからそこそこの時間が経過しているのがわかる。華奢な体つきで抱きしめたら簡単にポッキリと折れてしまいそうだ。なによりも胸は小さい。ウチの制服は大きい胸を持っていても小さく見える。言わば着痩せしやすい制服なのだが、それとは関係なく小さい。私にはわかる。この人のおっぱいは小さい。


 「失礼なこと考えてるでしょ」


 彼女はカーっと白い頬にピンク色を乗せる。


 「えっち」

 「えっちじゃないです」

 「スーパーえっち」

 「そういう問題ではないです」


 突然変態扱いされたことが解せなくて、私は真っ向から否定する。

 対面してそうそう変態扱いしてくる方が失礼だろ。


 「というか」


 私がそう口を動かすと、彼女はうんうんと大きく頷く。

 瞳を見つめながら。


 「あの、すごくも、申し訳ないんですが。えーっと、け、結局わからないんですけど。誰ですか」

 「え……」


 衝撃を受けた……みたいな顔をされる。

 そんな顔をされたってわからないものはわからないし。


 そもそも私には友達がいない。

 この学校には知り合いと呼べるような存在もいない。

 座右の銘は天涯孤独。

 今適当に見繕っただけだから本当は違うけれど。

 でもそのレベルで友達も知り合いもいない。

 生粋の陰キャである。


 「わからないの?」


 ほらほらと彼女は自分自身の顔を指差す。

 つーっと輪郭を沿うように人差し指で撫でたりするけれど、それでもわからないものはわからない。

 一度学習したものはふと思い出すかもしれないけれど、未学習のものは思い出すもなにもない。

 だって知らないんだもん。


 「し、知りません」

 「あはは、そういう冗談だね。お姉さんにはわかるぞ」

 「いや、あの、えーっと、け、結構本気です」


 私は真剣な眼差しで彼女の双眸を見つめる。

 きらりと光り、見つめ返される。

 数秒間黙って見つめ合った後に彼女はガクッと項垂れた。

 スラっと髪の毛も垂れたが、すぐに顔を上げる。


 「陰キャちゃんのクラスメイトだよ」

 「あぁ、そうなんですね」

 「反応薄くない?」

 「まぁ、そりゃ……」


 興味ないですし、とは言えなかった。

 言って良いことと悪いことの分別くらいはできる。

 だから寸のところで止める。


 「あの、その、クラスメイトの名前とか顔覚えてないですよ。そ、そもそも顔とか見てないですし」

 「うわぁ……重症だ。拗らせすぎ」


 口に手を当て、残念な物を見るような目を向ける。

 寂寥交じりな目線に私は徐々にいたたまれなくなる。

 彼女は私の隣に並ぶ。


 「自己紹介してあげようか」


 唇に指を当てながらえへへと笑う。

 別にいらないですって答えようと思ったんだけれど、そうしたら性懲り無く私に絡み続けるのだろうなと思って、私はこくりと頷く。


 「椿木凛香つばきりんか。椿木は椿って花の名前に加えて木曜日の木で椿木。珍しいけど覚えといてね」

 「ぜ、善処します」

 「善処じゃなくて絶対。お姉さんとの約束だぞ」


 彼女はほいっと小指を差し出してくる。

 指切りげんまんだろうか。

 私はそっちに一度目線を落としてから見て見ぬふりをした。


 「そのお姉さんってなんなんです?」


 代わりに抱いた疑問を口にする。

 彼女は文句を垂れることなく出した小指を戻す。


 「お姉さんはお姉さんだよ」

 「同級生なんですよね」

 「そうだよ。でも私の方がお姉さんっぽいからお姉さん。陰キャちゃんは私よりも子供っぽいからね」


 むふんと胸を張る。

 小さいけれど、心は大きいってことだろうか。

 あ、また失礼なこと考えてるとか言われちゃうのでやめておこう。


 「冗談だよ」


 椿木はくすくす笑う。

 その笑顔は私にはとても眩しくて思わず目を細めてしまった。

 彼女は私の反応なんか知る由もないという感じで話を続ける。私は私で特に口を挟むつもりもなければ相槌を打つつもりもなかったので軽く数回頷くだけ。


 「私よりも陰キャちゃんは身長がちっちゃいから私がお姉さん」

 「え、そ、そ、それだけですか」

 「うん。それだけ」


 いぇいとダブルピース。


 「なんか変な人ですね」


 思わず本音が漏れてしまう。

 一瞬とんでもないことを言ってしまったと慌てる。

 けれど言ってしまったものはもうしょうがないと諦めた。


 「良く言われるよ。まぁ、変なのってのは認めるかな」


 怒られることを覚悟していたので拍子抜けしてしまう。


 「でもそういう陰キャちゃんも十分変だと思うけど」


 柵に手をかけて、髪を揺らしながらこちらに目線を向ける。

 私だって変なのは自覚している。

 そもそもだ。

 授業をさぼって屋上で惚けてる私が変じゃないわけがない。

 誰がどう見たって変だと思う。


 頭のおかしな子だ。


 だから友達がいない。

 友達ゼロ人という脅威の数字を叩き出してしまう。


 「教室では声帯でも奪われちゃったのかなってくらいなーんにも喋らないし、そもそも生きてるのかなってくらい動かないし、ふと気付けば授業サボってどこか行ってるし。なんか未確認生物的な?」

 「う、う、宇宙人ですか」

 「布団を巻いてたりはしないかなぁ……あはははは」


 なに言っているんだこの人。

 会話が噛み合っていない。


 「伝わらないか。そっかぁ」

 「いや、あの、そ、そ、そもそもなんでここに居るんですか。普段ここに人が来ることなんてないんですけど。あっても……えーっと、あの、あれ、用務員さんぐらいです」


 自慢じゃないがこれでも私は授業サボり常習犯である。

 何度ここに逃げ込んできたことか。

 だからわかる。

 生徒がここにやってくるなんて普通じゃないと。

 屋上への扉の鍵が壊れていて常に開いているということを何人の生徒が知っているのかというレベルの話なのだ。

 全校生徒の一割くらいが知っていれば良い方だろう。

 というか教師すら知らない人がいるかもしれない。

 それくらいに普通に高校生をしていたら縁もゆかりもない場所なのだ。

 冗長にあれこれ力説してしまったが、要するに椿木がここに居るのはおかしい、ということが言いたい。


 「理由なんて単純だよ」

 「はぁ、そうですか」

 「陰キャちゃん。いつも授業サボってまでなにしてるのかなって気になって尾行してたらここに辿り着いただけだよ」

 「えーっと普通に犯罪ですね。ストーカー……」

 「失敬な。ストーカーじゃなくて名探偵と呼んで欲しい。うん、名探偵良い響きじゃん」

 ドヤ顔を浮かべる。なんで褒められると思っているのか。

 「呼ばないですよ」

 「そっかぁ、残念。良いと思ったんだけどなぁ」


 彼女はそう口にすると、校庭よりも遠くを見つめる。


 「この景色を見に来てたんだね」

 「いや、あの、ち、ちが……うこともないですね」


 因果と結果が逆なだけであって、椿木の言っていること自体はその通りだった。


 「なにがあって、どうしてこんなことをしてるのか~なんて私は聞く気はないし、聞いて欲しくもないだろうから聞かないけど、こうやってだーっと連なる山を見てると、私が持つ悩みなんてちっぽけなんだなぁって思っちゃうね」

 「ちっぽけ。まぁそうですね」


 そう答えながら彼女の横顔を見つめる。まるで一種の芸術作品のようで、美しさがあり、儚さもある。私が触れたら簡単に崩れて壊れてしまいそうなそんな脆さが感じられた。


 「つ、椿木さんにもあるんですか、悩みって」


 天衣無縫な明るさを持つ椿木という女子高生。

 こういう感じだからクラスの中心人物なんだろうなっていうのは安易に想像できるし、なんなら陽キャでモテモテエンジョイ青春ライフを送っているんだろうなとさえ思う。

 ちょっとばかし羨ましく感じるけれど、それは多分隣の芝生は青く見える的な感じなのだろう。


 「私にだって悩みはあるよ」


 彼女はずっと山々を見つめる。

 声は風によって小さくなる。

 それでもしっかりと私の耳には届く。


 「なさそうですけど」

 「人間には小さかれ大きかれ悩みはあるものだから」


 それはたしかにその通りだと思う。

 順風満帆な人生を送っていても、人生イージーモードだったとしても悩みの一つや二つ抱えているものだろう。

 別に悩みと言ったって様々だと思う。

 誰かに虐められている。これはもちろんしっかりとした悩みだ。

 誰かに恋い焦がれている。

 これもしっかりとした悩みだ。

 明日カラオケに行きたいけど誰を誘おうかな。

 これはちょっとしょうもないけれど悩みであることには変わりない。

 あとは今日の夜はなにを食べようかな。

 これはくっそしょうもないけれど悩みだ。

 悩みには大小関係ない。


 「聞かないの? 悩みはなにかって」


 こてんと首を傾げる。


 「聞いて欲しいんですか」

 「ハーフハーフ」

 「引退するんですか」

 「ハーフアンドハーフ」

 「ピザでも頼むんですか」


 一つ一つ丁寧にツッコんであげたのに、ジトーっとした目線を送られる。

 さっさと目の前から居なくなってくれないかなとか思っていたのに、いざこういう目線を送られるとそれはそれでなんだか解せない。

 もしかしたら私って面倒な女なのかも。まぁ、私と同じくらい椿木も面倒な女なんだけれど。


 「あ、あの、じゃ、じゃあ聞きますよ。なんですか。悩み」

 「ふふふ、良くぞ聞いてくれた」

 両手を上げて、高らかに笑う。深刻そうな表情は一切見せない。そんな陰すらない。わかった。これは絶対にしょうもない悩みだ。聞かなくてもわかる。


 「今日の夜ご飯なににしようかなって悩んでいたんだよ」


 あははははは、と笑う。

 ほらやっぱりしょうもない。

 そんなの私が知ったこっちゃないよ。


 「どう?」

 「しょうもないですね」

 「酷い……」


 椿木はわざとらしくわーんと泣き声を上げる。

 それと同時にぽつぽつと額に冷たい感覚が走った。


 「椿木さんがどうでも良い悩みを打ち明けたせいで雨降ってきちゃいましたね」

 気付けば滂沱なとはいかないけれど、しっかりと制服が濡れてしまうくらいには雨が降ってきてしまう。

 「私のせい!?」


 吃驚する椿木と共に屋上の入口まで避難したのだった。

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