2話
私、椿木凛香は荷物を机に置いて、そのまま立ち上がった。
「わ〜、りんちゃん~。どっか行くの?」
と、とある知り合いに声をかけられながら、教室をそそくさと退室した藤花琴葉を自席から眺める。
今日が初めてということでもない。
何度も同じようなことがあった。
それはもう数えられないくらいに。
彼女はああやって教室から立ち去ると、それからしばらく教室には戻ってこなくなる。
どこへ行ってるのか、なにをしてるのか、それは誰も知らないし、誰も詮索しない。
私たち生徒だけじゃない。
先生方もその状況を当たり前だと思ってるのか、特に触れたりはしない。
これが日常の一つになってるのだ。
仮に私が無言で居なくなったら大騒ぎしそうなものだが、彼女の場合はそうではない。
だからちょっとだけ良いなぁ……という羨望の気持ちも彼女に抱いていた。
なにはともあれ、彼女のことが少し気になる。
どこでなにをしてるのかな、と。
「ごめんごめん。ちょっと体調が悪くて」
「ほんと? 大丈夫?」
雪乃は心配そうに私の顔を覗く。
短い髪の毛がゆらゆらと揺れる。
制汗剤の爽やかな香りが私の鼻腔を擽り、嘘を吐いたことを少しだけ申し訳なく思ってしまう。
それでも表情を陰らせたら心配かけさせてしまうから、私は表情を作って顔にペタリと貼り付ける。
「大丈夫。ちょっといつもより重たいだけだから」
私は下腹部を摩りながら、あはははと笑う。
髪の毛は私よりうんと短くて、胸も私よりぺったりしてる雪乃だけど、彼女とて女の子なわけであって、深いことは言わなくてもなぜ体調が悪いのかは詳細を口にしなくともすんなりと理解してくれる。
「わかった。先生には私から言っておくね」
と、サムズアップ。長髪の帰国子女の雪乃さんとは大違いで、こっちの雪乃は気さくで気遣いが上手で、空気を読むことに長けていて、なによりも優しい。
優しすぎてなにか企んでるんじゃないかって時折怖くなったりするのは、多分私の心が汚れてるだけなんだろう。
そういうことにしておく。
「ありがとう」
パシンと手を合わせて感謝をする。
感謝と同時に心の中でごめんね、と謝っておく。
善意を踏み躙るようなことをしてる自覚があるからこそ、尚更罪悪感は私の中でぐつぐつと煮詰まるのだが、どうしようもない。
「任せて」
ぽんっと胸を叩く彼女の声を背に、私は廊下へと飛び出して、どこかへ放浪し始めた藤花琴葉を追いかけた、というか尾行したのだった。
なんだか根拠はないけど、バレたらいけないような気がして、こそこそとバレないように。
教室から抜けた藤花琴葉は迷うことなく淡々と歩みを進める。
しっかりと目的地が定まってるようで、その歩みに迷いはない。
これで実は行く当てもありませんでした……と言われたら驚いてしまう。
二年生のフロアを当たり前のように抜けて、階段に差し掛かる。
どうするのかなと水道付近から眺めていると、三階へと向かう。
はてさて、三階になんの用があるのだろう。
ここから三階に向かったところで、辿り着くのは一年生のフロアだ。
実は一年生の側面もあったりするのかな。
そんなわけないか。
もしかしたらお尻を蹴り合った後輩が居るのかもしれない。
それもないか。
あれこれと考えながら追いかける。
すれ違う在校生には時折変な目で見られたりする。
まぁ、尾行してたら変にも思われるよね。
荒波を立てないように、私は得意の作り笑いを浮かべてなにも問題ないですよ、怖くないですよ、という雰囲気を醸し出す。
赤ちゃんをあやす時と同じだ。
なに言ってるんだろう。
階段の角から彼女のことを見守る。
尾行という気持ちはもうほとんどない。
気持ちとしてははじめてのおつかいを見守る視聴者だ。
大丈夫かな、なにするのかなって。
彼女はそのまま一年生のフロアへ向かうのかなと思ったら真逆へと突き進む。
「へっ」
と、あまりの驚きに変な声が出てしまう。
一年生に変な目で見られたのでまた得意の笑顔を浮かべる。
安売りし過ぎな気もするけど仕方ないね。
騒がれるよりは幾分かマシだから。
それはそれとして彼女はズンドンズンドコドンズンと躊躇なく突き進む。
そっちに行ったってあるのは図書室と視聴覚室だけなんだよね。
もしかして授業をサボって図書室にでも行ってるのかな。
それなら結構有意義な時間の使い方をしてるなぁと感心する。
だけど彼女は図書室に見向きもせずに目の前を通過した。
どうやら図書室が目的ではないらしい。
違うんだね。
私の感心返して。
そのまままた階段に入る。
ここは屋上へ繋がる階段もある。
彼女は迷うことなく屋上へ向かう。
あれ、屋上って施錠されてて入れないはずだ。
もしかして学校長と裏で繋がってて屋上の鍵を持ってるとかなのかな。
ドキドキしながら彼女の様子を眺めるが当たり前のように取っ手に手を伸ばし、そのままくいっと手首を捻って重たそうな扉を引く。
あ、あれ? 鍵は? 鍵はないの? それとも超能力?
グギギギといういかにも重たそうな音を立てて閉まる扉を私はただただ眺めていた。
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