6話

 椿木に手を引かれて教室の前までやってくる。教室の中からは「ペルシャ帝国では――」と世界史の授業が始まっている。まぁ、当然だ。このタイミングでこの中に飛び込むのは目立つし嫌だなぁと足が竦む。それに気付いたのか、椿木は足を止めて、私の顔を覗き込む。目を合わせると白い歯を見せて笑う。


 「どうしたの?」

 「目立つのはあまり好きじゃないので」

 「あんな屋上で堂々としてたのに?」

 「あそこは目立たないじゃないですか」


 陽キャは屋上を目立つ場所とでも認識しているのだろうか。たしかに青春といえば屋上みたいな固定概念は存在するけれども。あれは創作上の話であって、現実では屋上なんて立ち入り禁止の寂れた場所でしかない。基本的には他人が居るような場所じゃないから、目立つもなにもない。


 「ここも目立たないよ」


 閉じている教室の扉をピシッと指差す。


 「そういう問題じゃないんですよ」

 「そういう問題じゃないの」

 「そういう問題じゃないです。気持ちの持ちようです。授業途中で教室に入るってどう考えても目立つじゃないですか。絶対に目立つじゃないですか」

 「自意識過剰じゃない?」


 椿木はぽつりとそう口にする。あまりにも図星過ぎて私は口をあうあうと動かすことしかできなくなっていた。


 「クラスの皆、陰キャちゃんが思ってるほど陰キャちゃんに興味ないと思うけど」

 「ん、わかりました。入りましょう」

 「お、やる気になった」


 ニヤつく彼女を横目に私は教室の扉を横にスライドする。ガラッと音を立てる。それで一斉に注目を集める。やっぱり目立つ。なんか負けたような気になって、彼女の安っぽい挑発に乗ってしまったことを微かに後悔した。つかつかと教室の後方を闊歩して、自分の席へと向かう。

 歩けば歩くほど気付かされる。勘付く。椿木の言っていたことはやはり正しいのではないかと。自分に向けられていると思っていた視線は私よりも少しだけ後ろ、教室のクラスメイトからすれば横へと向けられている。


 「りんちゃんおかえり~」


 廊下側の前方に座る一人の女子生徒がにょっと手を挙げる。私の「かもしれない」は「そうだ」という確信へと変わった。

 注目を浴びているのは椿木であり私ではないのだ。


 「ただいま」

 「どこ行ってたの?」

 「うーん、秘密」

 「えー、秘密~」

 「授業再開しますよ」


 教師もクラスメイトさえも私のことは気にしない。私は陽キャでもないし、友達もいない。そもそも目立ちたくなかったわけであって、私にとってこの状況は都合が良いはず。

 なのになぜかモヤモヤする。心の中に微かな煙が現れて、渦巻き、視界を奪う。


 授業が再開しても、椿木はこそこそと周囲のクラスメイトと会話をする。その様子を見て、私の心はさらに曇る。別に曇ってない、晴れやかだって自分に言い聞かせる。けれど彼女の方を見るたびに胸は苦しくなる。

 とてもじゃないけれど曇ってないとは言い聞かせられなかった。

 自分の心に覆いかぶさる紙を一枚一枚丁寧に捲るように、私はこの感情を解明しようとする。


 まずはなにに対して嫉妬しているのかを冷静に分析してみようと思う。

 陽キャという存在だろうか。


 いいや、それはない。


 天と地がひっくり返ったとしてもありえない。

 これに私の命を賭けたって良い。

 陽キャという存在は基本的に疎ましい存在なのだ。

 自分たちのことしか考えられない狂った人種。

 自分たちが楽しく、自分たちに都合良く、自分たちに優しくする。

 周囲のことなんか考えることはない。

 仮に自分たちの行動で割を食う人がいるのだとしても、慮ることはしないのだ。多分奴らの辞書には「配慮」の二文字が存在していない。まぁあれこれ文句を連ねたが、要するに私には陽キャに対する不満が山のようにあるのだ。これらはまだ序章に過ぎない。やろうと思えば小説一冊分の文量で力説することだって可能だ。それくらいに嫌いなわけであって、羨むことは一切ない。羨望の眼差しを送り始めたらそれは私という自我の死を意味すると言ったって過言じゃないだろう。


 では、クラスの注目を集められないことに対してだろうか。


 いいや、これも違う。


 私は目立ちたくない。

 承認欲求の塊みたいな人間もいたりするらしいが、私には承認欲求は一切存在しない。そもそも他者に認めてもらおうとか、そんな感情がないのだ。人は人、自分は自分。誰か特定の人に好かれたいという思いがあったとしても、人類全員に好かれたいという感情はない。それは無理だってわかっているから尚更だ。人には個性があって、その個性によって趣味嗜好は分かれる。ミーハー趣味な人もいれば、万人受けするものを嫌う天邪鬼な人だっている。個性だ。別にそれらを否定するつもりは一切ない。


 ただ全員に好かれるのは無理だよねって話。


 冗長にあれこれ語ってしまったが要するにクラスの注目を集めたいわけじゃないということだ。


 あと残ったのは椿木。椿木に嫉妬しているのか……? 己に問いかけた時にこれがしっくりとくる。しっくりと来てしまう。私は吃驚と寂寥で顔を机に突っ伏せてしまう。

 友達欲しいとか思ったことなかったし、人生においてそんなものとは無縁だと思っていた。実際今まで興味もなかった。けれど、私は椿木のことを友達だと認識してしまっている。友達が私を放って他の友達と会話している。その事実に嫉妬してしまっている。我ながら物凄く面倒な女だ。重たすぎる。


 友情を抱き、嫉妬も抱く。感情の動きに気付いてからの学校というものは新鮮の連続だった。真っ新な塗り絵に鮮やかな色を塗りたくられたような感じ。なにを言っているんだと自分でも思う。でも本当に新鮮だった。


 例えば授業の合間にある十分間の休み時間。いつもならば窓の外を眺めて見たり、机に伏せて眠ってみたり、ふらふらと教室を後にして授業をサボったりしていたのだけれど、今日はそんなことはしない。ずっとバレないようにちらちらと椿木のことを見ていた。最早これはチラ見というよりも観察だ。バードウォッチングならぬツバキウォッチングである。


 他には授業中。椿木は色んなことをしていて面白い。上手くできていないペン回しをしていたり、アイマスクをして思いっきり眠っていたり、教師が黒板になにも書いてないのにせこせことなにかをノートに書いていたり、指を合わせてくねくねつんつんと遊んでいたり、急に爪切りを出して爪を切り出したり、周囲のクラスメイトと目を合わせて微笑みあったり、私の方を見て目を合わせると軽く手を振ってきたり、と本当に色んなことをしていて私を飽きさせない。


 とにかくそういうわけで私は椿木という人間に興味が湧き、彼女のことについて色々と知りたくなっていた。人間とは不思議なものだ。人と関わることに嫌悪を示すような人間でもひょんなことからこうやって変わってしまうのだから。

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