10話
これは私が小学生だった頃の話である。
当時の私はまだこの世界に希望を抱き、微かながらに救いはあると思っていた。
いいや、違う。
信じていた、が正しいだろう。
小学生の私、藤花琴葉は他者と仲良くなりたいと思っていた。
しかし同級生の女子は「お人形さんみたい」と忌避され距離を置かれていた。
褒め言葉のように聞こえるかもしれないが、私にとって「お人形さんみたい」という言葉は決して褒め言葉ではない。
私はそう受け取っていないし、あっちも褒め言葉として使ってはいないだろう。
「お人形さんみたい」
人間扱いされなかったのだから間違いない。
当時の私でも理解できていた。
お人形さんと揶揄する人間とは仲良くなるのは不可能だと。
でも友達は欲しい。
そんな私は一つの結論を出す。
そうだ、男の子と仲良くなれば良いんだと。
今の私がその当時に戻れたならば、髪の毛を引っ張って、頬をビンタして、必死に静止するのだろうけれど、あの時未来の私は現れてくれなかったし、やめた方が良いと助言してくれる聖人君子も現れなかった。
まぁ、現れたらなにか変わったのかなぁと考えるとさほど変わらないような気もする。
今が最悪な状態とするのならば、比較的悪めに落ち着くくらい。
うん、あんまり変わらない。
とにかくそういうわけで、私は男の子と仲良くなるために男の子の趣味に精通しようとした。
打算的に野球を見始めたのだった。
夜の七時頃にテレビを点ければ地元球団の試合は放送されている。
手っ取り早く、簡単に勉強ができるのが野球だった。
パパも野球好きだったから、喜んであれこれ教えてくれた。
必死に野球を観て、チームを覚えて、ルールを覚えて、選手を覚えた。
歴史について軽く勉強した。
昔どんな選手がいて、どんな大きな記録を残したのかとか。
できる限りのことはやった。
友達を作るために。
こうすれば友達ができるって信じてたから。
でも期待は簡単に裏切られた。
満を持して野球知識を男子にひけらかしたらこう返ってきた。
「女子のくせして野球とか男かよ」と。
「琴葉じゃなくて琴男だー」と。
馬鹿にされ、今までやってきたすべてが無駄だったのだと痛感させられたのだ。
小学生は良くも悪くも素直だ。
世間一般で見た時に異端となる存在を極端に嫌う傾向にある。
馬鹿にしたがるだけなのかもしれないけれど。
おかしなものは排除して、自分たちと違うものは差別する。
そして自分たちの立場を守り、強くあろうとする。
女子なのに野球が好きという肩書きは小学生にとって格好の餌食であった。
狙い定めた肉食動物のように。食いかかる。
噛み付いて、骨までしゃぶりつくそうとする。
男子からは馬鹿にされて、揶揄われる。女子からはさらに距離を取られ、怪奇の目を向けられる。
動物園の動物を見るような目で私のことを見てくるのだ。
小学生だった私は気付いてしまった。
この世界には勝者と敗者の二組しか存在しないのだと。
勝者は敗者を痛ぶり、敗者は勝者にされるがままとなる。
敗者に権利など存在しない。
それが小学校という小さなコミュニティの中では当然の摂理であって、またある種の常識であるから。
敗者という立ち位置に属する私に友達を作るという行為は許されないのだと。
そこから私は孤立していった。希望もなにもない世の中に対して、夢を描くようなこともしなくなった。
夢を見て、絵空事を語れば、また私は辛い思いをして、心を痛めることになるから。
世界が灰色になった。
鮮やかとはなんだろうか。
青色とはなんだろうか。
ずっと冬になった。
私には北風しか吹かない。
温かさとはなんだろうか。春とはなんだろうか、と。
それから今まで私は他者と関わることを避けてきた。
クラスで盛り上がりそうになったら教室からコソッと居なくなり、色んなところに逃げ込むようになった。
誰も私のことなんか気にしないから追いかけてくることもない。
でも今日は違った。
絵の具を持った女性が私の元に現れた。
真っ白な私の心に彼女は絵の具を垂らし、思い思いに塗りたくった。
少し厳しめの言葉をかけて、無理矢理距離を置こうと思っても、彼女は筆を置くことはない。
むしろ私には眩しいような鮮やかな色を心に塗った。
丁寧にだけれど大胆に。
こうして灰色の世界は一変した。
見える世界が変わった……とは言わない。
けれど、夢や理想をまた抱くようになった。
辛い思いをしたくないという気持ちを上回った。
椿木凛香と仲良くなりたいと願い、彼女には友達が沢山いるのに私は椿木としか仲良くない。
もっと私を見るべきだと、嫉妬した。
「陰キャちゃ〜ん」
彼女からしてみれば私なんて数あるうちの一人の知り合い。
きっと都合が悪くなれば簡単に私のことを切り捨てる。
自分の立場を守る。
それだけを考えれば得策だ。
変なやつと知り合いというレッテルは自分の地位に大きく影響を及ぼすから。
「おーい」
私はそれに関して嘆いたり、文句を垂れたり、怒ったりするつもりはない。
人として当然の行動であると思っているからだ。
人とは時に必要なものを得て、時に不要なものを捨てて生きる。
物に限った話じゃない。
人脈も同じだ。
その行いに関して非難するのはお門違いというものである。
「もうっ」
私にとっては唯一だが、彼女にとってはそうではない。
些細なことではあるかもしれないが、大きなことなのだ。
だから、私は彼女と友達になるべきではない。
待つのは不幸だけ。
私が不幸になり、また彼女も心を痛めるかもしれない。
それは椿木を買い被りすぎだろうか。
まぁ、友達になりたいと思った相手が優しいかもと考えることくらいは許して欲しい。
「ねぇ陰キャちゃんってば」
店内の喧騒とした空気の中、ツンっと私の額の一点に突如力が加わる。
私の脳裏に支点、力点、作用点という語群がふわふわと浮かんでくる。
私は目の前から額へと伸びる手首をカッチリと掴み、額から離す。
「やっと気付いた」
「気付いてましたよ」
真顔で答えてみる。
「嘘」
「ほんとです」
「それも嘘」
椿木の細くて骨さえ触れてしまいそうな手首をそっと離すと、ふらっと机上に落ちてそのままずるずると彼女の元へと戻っていく。
「何回私が呼びかけたかわかる?」
肘を突いて手のひらに顎を乗せる。
体勢のせいで頬が膨れているのか、むくっと不満を表すために膨らませているのか。
見ただけじゃわからない。
「三回ですね」
私は大嘘吐き野郎……じゃなくて私の場合は女郎になるのかな。
まぁ、なんだって良いけれど、とにかく彼女の呼びかけに気付いていなかったのに、気付いていたと嘘を吐いていたので、適当な回数を口にして誤魔化す。
「四回だけど」
つーっとした目線を彼女は送ってくる。
惜しい。
誤差一ならばニアピン賞をくれたって良いだろう。
「冷めちゃいますよご飯」
「わーっ! それ、私が言おうとしたセリフなのに」
椿木の目の前に並ぶハンバーグを指差すとむぅとさらに口を膨らませる。
爆発してしまうんじゃないかと不安になるくらいに。
私は黙ってドリアに手をつけた。
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