008 物置って書いてません?

「見習いって、どのくらいの間なんですか?」

「お前……それも知らずにここへ来たのか? こりゃあ、なかなかの大物だな」


 遠回しに馬鹿にされているとは気づかず、レネットは「どういたしまして……?」と首を傾げる。


 白サッシュの騎士がいう、宿舎だという建物。

 長く続く廊下にはドアが沢山あって、これら全部が見習い騎士が住まう部屋のようだ。今はまだ誰の姿も見えない、足音だけがただ響くがらんどうだ。


「一年だ。一年後に、正式な試験がある」

「試験ですか……落ちたら?」

「おい、心配するな。試験ってのはおおよそ形式的なもので、よっぽどのことがなければ全員受かるもんだ。

 それよりも、日々の訓練で脱落していく者が多いからな。そういう意味では日々が試験ってことだな」


 少し心配そうな顔をするレネットに、白サッシュの騎士は高笑いをしながらその背中をばんばんと叩いた。

 だがそのタイミングで、彼は重要なことをふと思い出した。


「そういえば、俺の名前を言ってなかったな」

「た、確かに、そうでしたね!」


 言われてみればそうだ、とレネットは手を叩いた。


「俺はアルトゥールだ。――よろしくな、レイン」


 白サッシュの騎士は、自身をアルトゥールと名乗った。そしてレネットに手を差し伸ばす。

 対するレネットも握手をするのかと思い、その手を握ると……アルトゥールの表情からは徐々に笑顔が消えていった。


「なあ、レイン、俺を知らないのか……?」

「えっと、あの、先ほど初めまして……だと思うんですが」

「そうか……お前は隣国から来たんだったな。まあ、気にするな」


 不思議そうに首を傾げるレネット。一方のアルトゥールは、肩を竦めながら「俺もまだまだだな」と漏らした。

 実のところアルトゥールは、この国では誰もが知るレベルの有名人なのだが、レネットはそんなこと知る由もない。


「着いたぞ、ここがお前の部屋だ。見習いの間はここで過ごすんだ」


 そうこうしているうちに、アルトゥールはひとつのドアの前で立ち止まった。ずらりと並ぶドアの一番端、二階まで上がる階段の真横の部屋だった。

 レネットはその扉を一瞥するが、そこに書かれたある文字に目が留まる。


「…………物置って書いてません?」


 案内された扉には、思いっきり”物置”の文字があった。

 アルトゥールが扉を開けると、やっぱり物置。そこそこの広さはあるが、雑多な家具や小物が散乱している上に、すごく埃っぽくて汚い。はじめ、何かの嫌がらせかとレネットは思ったが、どうやらそうではないらしい。


「馬鹿言うな、もうここしか空いている部屋がないんだ。遅刻したんだからしょうがないだろう?

 ただもう使わないものしか置いていない部屋だ。好きに片付けて、掃除してくれて構わない」


 確かにベッドが置いてあった。生活することは……できそうだが、期限に遅れた代償は大きすぎたようだ。


「まあそう落ち込むな。良いこともあるぞ」

「良いこと、ですか?」

「この宿舎の部屋は、基本二人の相部屋だ。だが……お前だけは個室だ!」


 ぴしっと指を指して、さも凄いことかのように宣言するアルトゥール。

 だが意外にもレネットは、そのことで部屋に対する評価をがらりと変えた。


「確かに……良いと思います」

「そうだろう」


 気を遣って言ったのではなく、本心から思ったことだ。

 あくまでレネットは女の子なのだ。男の子と同室になれば、その変装がバレないようにいろいろと気を遣うことは多いだろう。今の今までその辺りに考えが回っていなかったが、どうやら心配は要らないようだ。


「今日はここで寝るといい。……というか、今日から一年はここがお前の家だ」

「わかりました。ありがとうございます」


 そう言って部屋を立ち去ろうとするアルトゥールに、ぺこりと頭を下げるレネット。

 ばたんとドアが閉まると、その衝撃だけでむわっと埃が舞い上がった。想像以上に汚いらしい。


(これは早めに掃除しないとね)


 じめっとした、むせ返るような匂いに耐えかね、レネットは扉と反対の面にある窓を開けた。観音開きの窓枠をバンと開放すると、外の気持ちのいい空気が流れ込んできた。

 気持ちいい。深呼吸をして、その空気の美味しさを感じていると、ふと後ろにかさごそという物音を聞いた。

 ドアが開いたような音はしていない。誰もこの部屋に入ってきていないはずだ。だからレネットは、咄嗟にがばっと後ろを振り向いた。


「ね、ねこ……?」


 その気配の正体というのは、猫だった。

 ベッドの上にじっと座り、佇む小さい猫。真っ白で、ぼふっと毛が膨らんだまんまるとした猫。

 つぶらな緑色の瞳と、その繊細で美しい毛並み。暗い部屋だと言うのに、よく目立つ。どう考えても貴族のお家から逃げ出してきたような、高貴なペットにも見えるが……レネットはその”猫”から、見知った気配を感じることに気がついた。


 もしかして。

 レネットがそう思うと同時に、猫は口を開き、なんと言葉を発した。


「やっと見つけたよ! どこに行ってたんだい、レネット?」

「し、喋ったあぁっ!!」


 レネットは驚きのあまり、咄嗟に叫びながら後ずさりした。

 そのせいで壁に背中を打ち付け、痛みに悶えることになったのは関係のない話。

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