024 【Side.???】監視
「本当に愉快な
真っ黒な髪を頬まで伸ばした、中性的な容姿の人物。声質もハスキーで、女性にも勘違いしてしまいそうなくらいだが、彼はれっきとした男だ。
そんな彼は、森の中――樹木の枝の上に器用に乗り、見習い騎士たちの様子を遠くから観察していた。
彼の視線の先には、茶髪の小柄な見習い騎士――
(あれがうちの聖女トップだったとはね……)
そんな愉快な様に、彼はくすりと木々の上で笑いを漏らしつつ。次の枝、その次の枝と順々に飛び乗り、レネットのあとを追跡していた。
「……っ!?」
だがそんな彼が体を突如強張らせたのは、背後に強烈な気配を感じたからだ。物音だとか、あるいは風だとか、そんなような五感如きで感じられるようなものではない。もっと心の奥底にある、未知の感覚だった。
「――誰の差し金だい?」
酷く冷たい声は、まるでそれ自身が力を伴っているようだった。
しかしそんな異様な気配とは裏腹に、振り向いたところ、そこに座っていたのはただの猫だった。真っ白な猫。緑の瞳で、毛並みはとても美しい。
「これはこれは、行方不明の大精霊エルヴィーラ様じゃあないですか。これはまた……どうしてこんな愛らしい御姿に?」
その猫の正体に気づき、彼は軽くため息をついた。ただの猫とは思えない異様な気配に、少し古臭い喋り方。瞳の色も毛の色も、よく似ている。彼はその猫がエルヴィーラであることに確証を持った。
だからこそ、彼は安心してその猫と向かい合うことができた。なんなら、冗談口を叩く余裕すらある。
「我々に決まった姿がないことは知っているだろう。最適解を選んだまでだよ」
対するエルヴィーラは、縦に裂けるような鋭い目で、射殺さんばかりに彼を見つめていた。
「ははっ、なるほどね。僕と同じってわけだ!」
「………………」
「あの
人々が尊敬し、畏怖する大精霊相手だというのに、彼は全く臆することはない。相変わらず茶化すように会話する男に対して、エルヴィーラは無表情のままだった。
「……つれないなぁ。その可愛らしい体が台無しだよ?」
「アタシの質問に答えな。誰が、アンタの上にいるんだい?」
エルヴィーラは更に語気を強めた。森がざわめき、不穏な空気が頬を伝う。
強大な精霊の力というものをまざまざと感じさせられる。
「大精霊様、残念だけどその質問には答えられないよ。
ああ、でも……『ルミナスから来た』とだけ言っておこうかな」
「アタシに楯突こうとは、いい度胸だねぇ」
「僕はただの使い捨ての駒。脅しても無駄だよ」
彼に胆力があるのではない。生きることへの執着がないだけである。生へしがみつかないということは、それだけ死ぬことに恐れが無いということ。
彼はケラケラと笑いながら、木の幹に背中をもたれさせた。
そんな彼に対して、エルヴィーラはふっとその威圧を弱めた。張り詰めていたピリピリとした空気が、一気に緩んで穏やかになる。
「僕を消さないの? 生憎、抵抗できる武器は持ち合わせていないし、大チャンスだと思うんだけど」
「アタシは癒やしの精霊だからね。無駄な殺生はしない主義なのさ」
「確かにね! ああ、よかったよかった。お陰で命拾いしたよ!」
エルヴィーラの言葉に、彼はわざとらしく喜んだ。その大げさな言いようはおそらく本心ではない。
そんな彼に対して、エルヴィーラは更に釘を刺す。
「だけど、あの子を傷つけるのなら別。あの子が苦しむのなら、アタシはその原因を徹底的に排除する」
「わお、恐ろしいね」
「そうだよ、アタシにはアンタらの事情なんて関係ない。大切なのはあの子だけだ。分かったら、大人しくしているんだね」
エルヴィーラは癒やしの精霊だと崇められてきたが、そんな彼女がルミナス王国に牙を向けない保証なんてどこにもない。精霊は、権力にも法にも縛られない。あるのは自分の意志だけ。
大精霊は莫大な力を持つ。病を癒し、土地を豊かにする能力があるのなら、またその逆も然りだ。疫病を蔓延させたり、あるいは農業のできない土壌にしてしまったり――街を簡単に滅ぼす方法なんていくらでもある。
そのエルヴィーラの行動原理は、現在レネットにある。それだけレネットは精霊に好かれる特異な体質であるのだ。
今ルミナスでなにも起きていないのは、レネットが追放されたことにそこまで怒っていないから。報復を求めない彼女の意志を、精霊も追従しているのだ。
(だけど、よく追放なんてできたね……。僕なら恐ろしくて出来ないよ)
逆に言えば、レネットが心の底から怒りの感情を抱いていれば、ルミナスは精霊による報復を受ける可能性がある。残念ながら今の人間には、大精霊に抵抗できる能力はない。民間人含めて多大なる被害が出ることは必至だろう。
癒やしの精霊と聖女が国を滅ぼすなんて、なんて皮肉な話だろう。彼は人知れず自国が危機に陥っていたことを知り、無計画な追放を押し進めたベナシュに呆れを抱いた。
「でも僕の仕事はこれだからなぁ……。なんとかならない? 僕も一応、あの子を見守ってあげてるんだけど」
「だからアンタのことをしばらく泳がしていたんだ」
「もしかしてだけどさ、前から僕に気づいてた?」
「………………まあね」
「はぁ、精霊様には敵わないね。でもまあ、安心してよ。今のところ、貴方に逆らうつもりはないからさ」
「そりゃ安心だ」
「そうでしょ! 僕も慈愛の心の持っているからね。あの子の境遇には僕だって同情しているんだよ」
あえて胡散臭く言ってみた彼に対して、エルヴィーラは興味なさそうにそっぽを向いて体を丸めた。そうして毛づくろいをする様は、本物の猫と変わらない。
――だがそんなとき、エルヴィーラがむくりと急に置き上がった。
耳をピンと上に立て、その視線の先は見習い騎士たちの前方の木々にある。エルヴィーラだけではない、彼の方もその異常に気づいていた。
「……っと、これはもしかすると、貴方の出番じゃない?」
「そうだろうね」
森がざわめいている。精霊が、危機を知らせようとしている。先程の気配が「怒り」の感情だとすれば、今は「恐れ」。
そしてそのざわめきは徐々に大きくなってきて、ここ一帯を大きく包み込む。
(大方は魔物の出現かな)
”何か”が森の中にいて、それが見習い騎士たちのグループの方に徐々に近づいていっているようだった。生憎にも彼らは気づいていない……いや、
周囲の精霊の揺らぎ、元聖女である彼女ならば簡単に察知することができるだろう。
「ねえ大精霊様。流石だね、あの子――って、いない」
ふと彼が一瞬視線を外したところで、もうそこに白猫の姿はなかった。呆気にとられつつも、彼女の行き先は目星がついている。当然、
(本物の騎士になりたいんだったら、ここが見せ所だよ)
異変に気づき、だがどうすることも出来ずにあたふたとする茶色の髪の少年。
彼はその背中を密かに見守りつつ、迫る脅威に自身も備えるのであった。
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