016 聖女様(1)

「はぁ、初日に倒れた奴はお前が初めてだ」

「えへへ」

「……言っておくが、褒めてはいないぞ?」


 医務室に運ばれたレネットに付き添ったのは、他でもないアルトゥールだった。

 いきなり体に合わない激しい運動をしてしまったせいで、レネットは失神してしまったのだ。

 ベッドでしばらく休んだため、今はもうすこぶる元気だった。そのため訓練に戻ろうとレネットは起き上がったが、流石にアルトゥールに止められてしまった。


「今日はゆっくり休んでいろ」

「……はい」


 アルトゥールに釘を差されたため、今日の訓練参加は絶望的だった。

 初日のこの醜態にレネットはずんと落ち込んだが、ふと窓の外を見ると、白猫エルヴィーラがガラス越しに見つめてきていた。


 その顔はとても心配そうなもので、気にかけてくれていることを考えればなんだか嬉しくなった。

 レネットがにこっと笑いかけると、エルヴィーラはまた呆れたような顔をしてその姿を消した。猫の姿だというのに、感情表現が人間体のときよりもより豊かで、見ていて面白い。


「レイン、お前は張り切りすぎだ。俺は倒れるまでやれとは言っていない」


 アルトゥールは、なんだか物言いたげな様子。

 だが同時に、レネットのことをとても心配しているようでもあった。


「すいません、アルトゥールさん」

「”教官”だ」

「あ、アルトゥール教官」


 レネットがそう言い直すと、アルトゥールはその頭をぐしゃぐしゃと掴むように撫でた。


「もう苦しいところはないか?」

「はい大丈夫です! ……それで、僕は訓練に戻っても大丈夫ですか?」

「ダメだと言っているだろう」


 ダメ元だったが、やっぱりダメだった。

 アルトゥールの言葉に、レインは露骨に眉尻を下げて悲しそうな顔をする。


(やる気だけは一番だが……)


 だが、訓練中に倒れた人間をすぐに戻すわけにはいかない。アルトゥールはそんなレインの姿を見て、困ったように頭を掻いた。

 とはいえ、本人は至って元気そう。明日からなら訓練に復帰できるだろう。


(試験のときの馬鹿力はなんだったんだ……?)


 だがやはり、アルトゥールの頭にはそれだけが疑問として残った。

 当然彼は、見習い騎士・レインの力の理由を知らない。というか、レインが実は女の子であることすらも知らない。

 だからこそ、あの試験の日と今日の訓練での大きな差に、愕然としていたのだった。


「土壇場で力が出るタイプ……なのか?」


 いろいろと思考を巡らせた挙げ句、最終的にアルトゥールはそんな結論を出して、自分を納得させることにした。

 無理やりすぎる考えな気もするが、当時を検証することもできなければ、本人に尋ねるのも可愛そうだ。なんてったって、「何故試験のときより弱くなったのか?」と聞くのと同義だからだ。


「アルトゥール教官。もっと長く走れるようになるには、どうしたらいいですか?」


 そんなとき、レネットがむくりとベッドから飛び降りた。

 そして、アルトゥールの前に立つと、彼の顔を見上げながらそう尋ねた。


「あ、あぁ……そうだな……。例えば、朝の訓練前に少しだけ走ってみる、なんてどうだ?」

「それだけでいいんですか?」

「そうだ、少しでいい。その代わり、毎日続けるんだ」


 今のレインには、技術よりも基礎体力の強化が重要だ。

 体は一朝一夕では成長しない。一度限りの激しい運動よりも、継続した適度な運動のほうが身になるのだ。

 そう判断したアルトゥールは、このような基礎訓練を重点的に行うよう伝えた。もちろん無理をしない範囲で。

 レネットはこくりと頷くと、ベッドの側に掛けてあった制服の上着を手に取った。


「分かりました! 今日からやってみます!」

「……お前は話を聞いていたのか?」


 アルトゥールは呆れたように、手を額に当てた。


「そ、そうでした。すいません」

「明日の朝から、出来る範囲でやってみろ。くれぐれも無理はするなよ? 訓練にも支障が出るからな」

「分かりました!」


 本当に伝わっているのか心配になったが、少なくとも今日は大人しくしていてくれるようだ。

 だがこれほど、向上心の高い見習いも珍しい。流石は、大真面目に「生活のために騎士を目指す」と言っていただけある。その辺にいる奴とは心構えが違う。


(コイツを入れたのは正解だったな)


 アルトゥールはそんな自分の観察眼の良さに自惚れていた。実際は、いろいろと見抜けていない部分の方が多いのだが。


「僕は……部屋に戻っても大丈夫ですか?」


 話を終え、レネットは部屋に戻ろうとしていた。アルトゥールはそれを了承するが――伝えようとしていたことがあったので、慌ててその背を引き止める。


「そうだ、お前聖女様には会ったか?」

「せ、聖女……ですか!?」


 ”聖女”というピンポイントすぎるワードに、思わず声を引き攣らせるレネット。

 それを見たアルトゥールは不思議に思った。


「どうした、何かあったか?」

「い、いや、なんでもないです。まだ会っても……」

「ならいいが……倒れたお前を治療してくれたんだ」

「そ、そうなんですね、へえ」

「隣の部屋にいらっしゃる。この後、ちゃんとお礼するんだぞ」


 一瞬、正体がバレたのかと思ったレネットは、明らかに挙動不審になっていた。


「分かりました。い、行ってきます!」

「あ、ああ。失礼のないようにするんだぞ」


 別にバレたわけではないのだが、レネットは慌てたように部屋から飛び出した。

 またもやアルトゥールは不審に思うが、それ以上に気に留めることはなかった。

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