034 【Side.ブラッドリー】護衛騎士(2)

 ――ブラッドリーの膝には、実は古傷がある。

 それは五年前ほど。魔物の攻撃によって受けた怪我の傷だった。荒野熊ワイルドグリズリーと呼ばれる大型の熊のような魔物。まだまだ若手だったブラッドリーは、そんな荒野熊の鋭い爪で、太ももから膝にかけてを大きく掻き削られてしまったのだ。


 幸い、現場にいた聖女の治療によって事なきを得たが……その代償に、膝への違和感をずっと抱えることになってしまった。

 もちろんそれは、鍛錬によって大きく克服してはいて、今まで誰かに気づかれたことも無かったのだが……、


「何故……何故、そう思うのですか?」

「うーん。精霊さんたちが教えてくれたから?」


 ブラッドリーはさらに驚いた。力の強い大精霊ならともかく、普通の精霊は個々のちからは弱く、言葉を話すことはできない。そんな存在と意思疎通が図れるなんて、今までに聞いたことがない。


 思考にのめり込んでいたところ、ふと下を見れば、レネットが机の下に潜り込んでブラッドリーの膝元に近づいているのが見えた。


「レネット様、何を!?」

「精霊さん、おねがい、治してあげて……!」


 ブラッドリーが、レネットの行動に驚いたように声を上げる。

 だが彼女はそんなことも気にせず、ブラッドリーの膝に魔法を唱えていた。……それは、聞いたこともないほどに簡素で短い詠唱だった。


 ――いや、そもそもこれは詠唱なのか?

 ただ精霊と会話をしているだけのようにしか見えない。とてもこれで魔法が発現できるとは到底思えなかった。

 だがその想像とは裏腹に、ブラッドリーの膝はぱぁっと淡く光りだす。


「こっ、これは……!!」

「もう大丈夫です」


 ふう、と机の下に潜り込みながら、ブラッドリーに伝えるレネット。

 ブラッドリーは、信じられないといった表情でレネットを見つめた。


 ……この古傷は、今まで何度も聖女に診てもらったが、治ることはなかった。理由は分からないが、もしかすると一度治ってしまった傷は、傷だとみなされず治療の対象とならないのかもしれない。

 だから、ブラッドリーは諦めていた。この古傷と一生付き合っていく覚悟で。


 若干不自由には感じながらも、それが当たり前だと思ってブラッドリーは鍛錬を重ねた。このハンデを埋めるために。

 その甲斐あってか、今ではもう気になることはなかったのだが……、


「膝の……痛みが消えた……」

「ふふ、良かったです」


 無くなって初めて分かる、その重荷の大きさ。今まではただ慣れていただけで、違和感や痛みが完全に無かったわけではなかったのだ。

 それを、この聖女は――レネットは、この一瞬で取り除いてみせた。


 ――ブラッドリーはレネットの顔を見た。

 自分のした偉業に対し、これっぽっちもその凄さを自覚していない様子だった。


(申し訳ありません、大精霊様。……私は少し、レネット様を侮りすぎていたようです。そんな私を、どうかお許しください)


 そんなレネットに対し、ブラッドリーは跪いた。

 机の下で向かい合うような形になった二人。


「正直に申し上げますと、私は貴方を本当に聖女かどうか、少し疑ってしまいました。てっきり、筆頭聖女に選ばれるのはリディア様だと思っていたものですから。

 ……ですが、今となってはお恥ずかしい限りです」


 ブラッドリーは素直に頭を下げた。今までの考えは全て間違っていて、精霊様のお考えに何も間違いなどなかったと。

 そして彼は頭を上げると、再びレネットに向き合った。


「レネット様、貴方から受けた祝福を私は一生忘れません。貴方の全てを知ったつもりはありませんが、筆頭聖女に相応しい資質と慈悲を持ち合わせている――少なくとも私の目にはそう映りました」

「祝福だなんて、そんな。大したことしてないし……」

「そんなことはありません。あなたは今この瞬間、私の人生を変えたのです」

「……そんな大袈裟な」


 ブラッドリーはレネットの手を取った。


「私は、護衛騎士として……貴方に我が身とその生命を捧げることを誓います」


 ブラッドリーは、彼女の手の甲に一つの口づけを落とし、護衛騎士として宣誓してみせた。

 そんなブラッドリーの行動に、終始レネットはぽかんとした様子だった。


「えっと、よろしくお願いします……?」


 筆頭聖女レネット。

 これは、一人の人生を大きく変えた瞬間であったが、当人は未だこのことに気付いていない。

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