027 野外訓練(4)
アシェラは、負傷した教官のために治療魔法を唱えているところだった。祈りを捧げ、そしてゆっくりと精霊から力が分け与えられる。
じわじわと出血が止まり、そして体表面の傷もどんどんと塞がっていくが――その行為はあまりにも無防備過ぎた。
距離は離れていた。離れていたのだが、サーペンティアの歩幅を考えればあっという間の距離だった。
アシェラが振り向いたときには、もう遅い。猛スピードでサーペンティアの角が迫り、それはもうまさに目の前に訪れようとしていた。
かろうじてアシェラは身を翻し、サーペンティアが突撃するコースの中心線からは逸れた。直撃は免れることができたのだが、
「……あっ」
角は横にも長かった。
アシェラは角の先端に肩とお腹を抉られ、その衝撃から軽く数メートルは吹き飛ばされた。飛び散る鮮血、宙を舞う体。負傷した教官と少し外れた場所に、アシェラも転がった。
「おいレイン、起きろ。今のうちに逃げるぞ」
倒れ込むレネットのもとに、アルトゥールが駆け寄る。こくりと頷いたレネットは、そのまま手を借りてむくりと立ち上がる。
「アシェラ聖女が! 助けないとっ!!」
「馬鹿、俺達じゃ無理だ。このままだと犠牲者が増えるだけだぞ」
再び剣を握ったレネットを、アルトゥールは体を押さえて止める。
彼の言葉はもっともだった。サーペンティアは本来最低でも十人ほどの人員が必要となる。その巨体からは想像もできないほどの機動力と、毒液という飛び道具の存在が理由だ。
だからこそ、どう考えても単独でアシェラを助けに行こうとするのは無謀だった。
「おい、レイン!!」
アルトゥールは、レネットの腕をぎゅっと掴んだ。
細くて、頼りのない腕だった。
「教官……僕は、見捨てません」
「お、おい、レインっ!!!」
だがキツく掴んでいた腕は、驚くほど強い力で振りほどかれた。
レネットはその隙に足元の剣を拾い、途端にサーペンティアの方へと駆け出した。
「なんて力だ……クソッ!!」
一目散に立ち向かうレネットの背中を見て吐き捨てると、アルトゥールもその後ろに続いた。
脳裏にこびりついたのは、レインの苦虫を噛み潰したような顔だった。かつての自分を見ているようで、不思議と胸が痛くなる。
自分だけ逃げることも考えたが……小さな見習い騎士一人を残して、この場をただ立ち去るなんて出来なかった。
「お前、本気で勝てると思っているのか!?」
「当たり前です……アルトゥール教官がいるんですから」
「おい、俺をなんだと……」
すぐにレネットと合流すると、アルトゥールは握った長剣をすっと構えた。
ぎろりと血走ったサーペンティアの目に、思わず足が竦む。だがふと隣を見ると、小さな見習い騎士は堂々とした出で立ちでサーペンティアに立ち向かっていた。
強大な敵を目の前にした時、普通なら人は興奮する。それは極度のストレスと恐怖に晒された人間に起きる、ごく当たり前の反応だ。手が震えたり、呼吸が荒くなったり、体の至る所にその兆候が現れるはずである。
しかしレインは、そうではなかった。
極めて冷静で、じっくりとサーペンティアを見つめていた。無鉄砲に走り出した人間とは思えないほどの落ち着きぶりだ。手の震えもなければ、呼吸もむしろ落ち着いている。アルトゥールと会話をする余裕もある。
まるでそれは――過去に戦闘経験がある者の出で立ちだ。
「僕が引き寄せるので、首を狙って横から攻撃してください」
レネットは、アルトゥールに向けて指示を出した。
困惑しながらもその指示を頭で反芻するが、
「引き寄せるって……お前、無茶だぞ!」
「――お願いします!」
サーペンティアが再度突撃しようとしたところで、早々に作戦会議を切り上げる。
無茶な、と思いながらも、アルトゥールはその指示に従うしかない。
「やるしかない、な」
後ろ足を蹴り上げ、巨体が加速を始めたところで、レネットはダッと後ろに駆け出す。
案の定というか、サーペンティアはちょこまかと逃げ回るレネットを追い回しはじめた。軽く馬くらいのスピードは出ているだろうに、でこぼことした地面をレネットは縦横無尽に駆け巡る。
時々左右への転換も織り交ぜることで、サーペンティアを翻弄している。
訓練のときに真っ先にヘタるあの少年の姿は、もうそこには無かった。
「教官、行きますよ!!」
「ああ!」
レネットはぐるりと180度転換すると、アルトゥールの少し横を目掛けてまっすぐと走り出した。付かず離れずの微妙な距離を保ちながら、アルトゥールの攻撃範囲に上手く誘導できている。
アルトゥールは剣を振りかぶり、その首筋目掛けて剣を振るおうとした――が、
「クソッ!!」
先に尻尾がアルトゥールに迫り、咄嗟に体を翻した。尻尾は大きな口のようになっていて、鋭い牙がにょきっと伸びている。噛みつかれればひとたまりもない。
回避できたのは見事な判断だったが、しかしその瞬間、妙に体が濡れていることに気づいた。
「これはまさか、毒か……!?」
これはサーペンティアの懸念事項だった。
アルトゥールの体に掛けられたのは、まさにこの尻尾から発射される毒液だった。この毒は、あくまで相手を仕留めるための補助的なものだ。毒単体で死ぬことは稀だが、一方で即効性が極めて高く、肌に触れただけで痛みや四肢の痺れを引き起こす。
咄嗟に額や頬を裾で拭い、一刻も早く拭き取ろうとするアルトゥール。
状況はすでに絶望的かと思われた。
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