009 大精霊エルヴィーラ(1)
一通り痛みに悶えてから、ようやく平静を取り戻したレネットは、改めてじっとしている白猫に対して向き直る。
そうしてじっと観察してみると、この猫の姿になにやら見覚えがあることに気付いた。
「もしかして……エル?」
「おや、気づいてなかったのかい?」
こてんと頭を傾ける白猫の姿はとても可愛らしいものであったが、それはそれとして言葉を話しているのが違和感の塊だ。
だがその声、その見た目、その雰囲気。レネットには見覚えがあった。
「久しぶりだ、レネット。ようやく見つけたよ。今の今まで何をしてたんだい?」
「ああ、やっぱりエルだ!!」
レネットの呼ぶ「エル」という名前。
それは、ルミナス王国に古くから住まう偉大なる大精霊エルヴィーラの愛称だった。愛称とは言うが、レネット唯一人だけが呼ぶ名だ。
なぜレネットだけがこれほどまでに親しい間柄なのかといえば、それは当然彼女自身の類まれなる親和性の高さ故だ。
「えっと、なんで猫……?
私の知ってるエルは、もっとこう、すっごく綺麗なお姉さんで――」
「こういうことかい?」
エルヴィーラは、そう意味深な言葉を残した。
その直後、白猫の体が淡く光りだす。ぶわっとその光の粒子が溢れ出したかと思えば、それがまた別の形に成るかのようにふわふわと集まって、ひとつの形に落ち着いてゆく。
やがてその動きが収まると、猫がいたはずのその場所に現れたのはひとりの女性。
銀色の髪を長く伸ばした、まさに絶世の美女。人間離れした鮮やかな緑色の瞳は、まるで宝石のようだ。絵画の世界から飛び出てきたようなその麗しい見た目に、何度も見たことのあるレネットでさえ心を奪われそうになる。
だがその現実離れした外観とは裏腹に、少し口を開けば、わりと世俗的なところを感じるのが不思議だ。
そんな彼女はふっと地面に降り立つと、レネットに駆け寄ってぎゅっと抱きついた。
「むぐぐー! うむー!!!」
エルヴィーラの大きな胸に押しつぶされるれネット。必死の抗議もあってか、すぐに解放されたが、レネットはぜえぜえと肩で息をしていた。
「おっと、つい張り切っちゃったよ」
「し、死ぬかとおもった……おっきい胸……」
顔が赤いのは、胸の中で溺れかけたせいか、それともそれ以外の理由なのか。
慌てたように体から離れたエルヴィーラに、レネットはじめっとした目線を送った。
「あの……エル、何故ここにいるの?」
「それはこっちの台詞だよ! そりゃあ、アンタを探しに来たんだ。いきなりいなくなっちまって……アタシゃ寂しかったんだぞ?」
腕をオーバーに振り上げて、ぷんぷんと怒るエルヴィーラ。その口調とジェスチャーが全然似合っていない。そこに大精霊の威厳というものは全く感じられないのだが、とはいえレネットのことを本気で想っていることに相違はないだろう。
「エル、ごめんね。私も色々あって……伝える機会が無かったんだよね」
「それよりなんだい、その髪は? 男の子みたいな格好をして、何をする気?」
エルヴィーラは、その出で立ちのままレネットの髪に触れる。ただでさえ聖女にしては短かったレネットの茶色の髪は、さらに頬の辺りにまで切られていた。
それに、レネットの着用しているのは、少しぼろくなったズボンとシャツ。とてもじゃないが、年端も行かぬ女の子の格好ではなかった。
「ふふ、よくぞ聞いてくれました!」
レネットはずんと胸を大きく張った。
「私は、騎士として生きていくことにしたの!」
「き、騎士……?」
「そう! それに、もうレネットじゃない。
息をたっぷりと吸い込んで、堂々とレネットは宣言をした。それに対して、エルヴィーラは右手を額に当てながら天を仰いだ。
大精霊をここまで呆れさせた人間は、おそらくこの世界どこを探しても、レネット唯一人しかいないだろう。
「アンタ、騎士だって……? じゃあ、男の子の格好はそういうことかい?」
「そう! これこそ、私の天職だと思うんだよね」
「レネット……それほどの力を持っていながら、どうしてアンタはそれをここまで無駄にできるんだい」
「む、無駄って……! 別にそんなこと言わなくたってよくない?」
「いや、そういうつもりじゃ……。アタシだって、アンタのことが心配で」
ぷいっとそっぽを向くレネットに、あわあわと困惑を見せるエルヴィーラ。その表情はどこか涙目だ。
不服そうに頬を膨らませる彼女に、エルヴィーラは白旗を揚げた。
「分かった。そこまでアンタが本気なら、アタシも一緒に――」
エルヴィーラがその口を開いた瞬間、部屋の外から足音が聞こえた。その足音がぴたりと止まると、今度はドアノブが素早く回される。
(まずい……! 精霊を見られたら、私……!?)
ばたんと勢いよく開かれる扉に、レネットは思わずびくりと体を震わせた。
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