038 練習(2)

「疲れたわね」

「そうですね、僕もお腹ぺこぺこです!」


 レネットは芝生にぱたりと倒れた。

 朝からアルトゥールの尋問を受けた所為で朝食の機会を失い、その上アシェラとの練習で魔力をたくさん使った。太陽は真上に登っており、お昼時であることを告げている。もはやお腹と背中がくっつきそうなほど空腹だった。


 ……ぐぅ~。

 そんな可愛らしい音が、レネットのお腹から響く。


「ぼ、僕、お昼ご飯食べてきます!」


 恥ずかしくなったレネットは顔を赤くする。それを取り繕うかのようにむくりと立ち上がり、いそいそと食堂へと向かおうとしていた。


「待ちなさい」


 しかし、アシェラはそれを引き止めた。


「サンドイッチ作ってきたから……その、レイン君も食べない?」

「い、いいんですか?」


 アシェラは横においてあった鞄から、ランチボックスを取り出した。開くと中には、色とりどりの具材の入った美味しそうなサンドイッチがみっちりと。

 はじめは遠慮気味のレネットだったが、その光景を見た瞬間そんな気持ちはどこかへ吹き飛んでしまった。


「好きなだけ食べなさい」

「はい!」


 言われるがまま、レネットはひとかけら手に取る。焦げ茶色のややサクサクとしたパンに挟まれた、ハム、チーズ、レタス、トマト。小さく切り分けられているため気軽に食べることができるものの、具材はたっぷり分厚くて満足感は高い。


「美味しいです!」

「それは良かったわ」


 フレッシュな野菜と、ちょっぴりスパイシーなハム――そしてそれらをまとめ上げるかのように、ドロっとしたマヨネーズがたっぷりと掛けられていて、とても美味しかった。

 そんなサンドイッチに舌鼓をうち、頬をぷくりと膨らませるレネットの姿を見て、どこかアシェラは嬉しそうだった。


「ねえ、レイン君」

はふへふはなんですか

「食べながら喋らないで」


 レネットは口の中のパンの塊をごくりと飲み込む。


「――レイン君は何故それほどの力があるのに、騎士になろうと思ったの? あなたが教会に来たら、すぐにトップまで上り詰められるわよ」


 トップという言葉を聞いて、レネットは飲み込もうとしていたパンをげほげほと喉につまらせた。

 なんて察しの良いことなのだろうか。少し前まで、ルミナス王国聖女のトップは、まさにこのレネット当人なのである。


「そ、そうかなぁ……」

「あら、大精霊様。あなたもそうは思いませんか? 騎士にしておくには勿体ないと」


 いつの間にか、二人の間にはエルヴィーラが挟まっていた。

 ちょこんと芝生の上に座る真っ白な猫、聖女である二人にはその膨大な力をありありと感じ取ることができるが、傍から見ればただ野良猫が甘えに来たようにしか見えない。


「触っても?」

「もちろん、いいですよ」

「なんでアンタが許可するんだい……」


 勝手に許可を出され呆れるエルヴィーラだったが、特段彼女も嫌がる様子はなかった。エルヴィーラはレネット一筋とはいえ、聖女の力は精霊にとって心地よいものだ。アシェラの近くにいることもやぶさかではない。

 アシェラは恐る恐るその毛に触れると、ふわふわサラサラとした質の良い毛並みの感触が返ってきた。


「可愛いでしょ! それにエルはね……人間の姿のときは、すっごくムチムチで美人なんです!」

「……ムチムチは余計だよ」

「愛称まで……。本当に仲がよろしいんですね」


 まるで仲の良い友達同士のように掛け合う2人に、アシェラは未だに信じられないでいた。

 大精霊はプライドが高く、それでいて人間の常識も通用しない高貴な存在である。少なくともアシェラは今までずっとその認識であり、歴史を見ても大精霊を懐柔できた例なんて数えるほどしかない。

 そんな大精霊が、今まさに横にいる。尻尾をくるくると回しながら、レネットにべったりと甘えているのだ。少し前の自分なら、到底信じられない光景であることに違いない。


(本当に……レイン君は、何者なの?)


 聖女だということが分かったものの、これほどまでに規格外の聖女の存在を、今までに聞いたことがないというのも不思議だった。

 アシェラの関心は、そんなレネットの正体についてへと移っていた。


「そういえば、レイン君の出身はルミナス王国だったわよね?」

「はい、そうです」

「向こうでは何をしていたのかしら。とても気になるわ」

「えっと、あの、その……」


 レネットは途端に口ごもった。

 それもそのはず。筆頭聖女であった過去を伝えれば、そこから芋づる式に国外追放の過去を知られてしまうかもしれないからだ。

 リディアに対していじめを行っていたこと、不正で筆頭聖女になったこと。もちろんどれも冤罪であることには違いないのだが、今のレネットにはそれに反論できる材料を持ち合わせていない。


 もちろんアシェラがそんな噂を信じるような人間だとは思えない。だが追放されたときも、そう思っていたのに裏切られたのだ。

 あのときは誰も助けてくれなかった。だから……誰も、頼りにできない。


「……すいません、言えないです」


 だからこそ、レネットは口を噤むことを選んだ。

 未だ隠し事をする後ろめたさを感じてはいるものの、だからといって告白するまでの勇気が上回ることはなかった。


 辛そうな表情を浮かべるレネットに、アシェラは何となくを察した。聖女になれなかったのではなく、なりたくなかったのだと、この時ようやく気がついた。


「そう……それは悪いことを聞いたわね。ごめんなさい」

「いえ、いいんです」


 俯いていたレネットだったが、アシェラの謝罪を聞いて顔を上げる。


「僕は、立派な騎士になると決めたんです。これが……僕の新しい人生なんです!」

「あなた、本当に凄いわ」


 青空を見つめる決意に満ちたレネットの表情は、女の子のはずだというのに、物凄く格好良く思えた。

 女性騎士がこの世にいないわけではないが、重労働ばかりで、死の危険とも隣り合わせの現場も数多い。故に男が大半をしめるのだが、そんな世界に身一つで飛び込んだ。アシェラは、そんなレネットのことを凄いと感じていた。


「あ、ありがとうございます」

「レイン君……あなたに何があったのかは知らない。それでも、私は応援しているわ。私にできることなら、何でも言ってちょうだい」


 だからこそ、少しでも応援したい。力になってあげたい。今まさに、改めてそう思い直したアシェラであった。


「アタシは、まだ反対だからね……」


 だが一方のエルヴィーラは、撫でられて気持ちよさそうに目を細めながらも、そう小さく漏らした。

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筆頭聖女のジョブチェンジ ~追放された元聖女は、男装して騎士を目指すことにしました!~ 柊しゅう @syu_m

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