022 【Side.アシェラ】不思議な子

 最近、変な子が遊びに来る。


 アシェラは、物憂げに窓の外を眺めていた。

 彼女は、教会からこの訓練所に派遣されてきた聖女だ。ここで働くようになって約一年、もうすっかり仕事にも慣れてきた頃だ。


 アシェラの仕事は多岐にわたる。怪我をした見習い騎士の治療が最重要だが、実はこれはあまり多くない。ちょっと擦りむいた程度の怪我ならそのまま放って置く人がほとんどだし、たかだか訓練なので治療が必要なまでの大怪我をすることは稀だ。

 とはいえ何もすることが無いわけではない。例えば、薬品の管理や製造、あるいは資料の作成だったりと、細々とした雑用がそれなりの量ある。決して忙しいわけではないが、決して暇ではないのだ。


 そんな彼女のもとに、一人の見習い騎士が運ばれてきたのは、今から少し前。訓練初日のことだ。

 書類仕事に集中できると高を括っていたアシェラは、そのノックの音に驚いた。


「あー……すまないが、ちょっとコイツを頼む」


 教官が抱えてきたのは、見習い騎士の男の子だった。すごく小柄だというのが第一印象だ。顔も可愛らしくて、体格のせいもあってか、まるで女の子に見える。茶色い髪がもう少し長ければ、もっとガラッと印象が変わりそうだ。

 そんな見習いの彼は、顔を紅く火照らせて、はぁはぁと激しい呼吸をしていた。一応意識はあるようだが、やや朦朧としていてとても聖女には見えない。


「この子がどうしたの?」

「訓練中に倒れたんだ。長距離走の途中だな」

「…………」


 アシェラは呆れから黙りこくった。

 初日というものは、これから始まる訓練に慣れてもらうために、ウォームアップ的な軽いメニューしか行われない。この長距離走も、試験に受かった者ならば普通に走りきれる程度の距離しか無いはずだ。そんな初日にまさか倒れるなんて、前代未聞だ。


 それはともかく、治療が必要なのは間違いない。

 一旦ベッドに寝かせてもらい、アシェラはその隣に立つ。そして一度深呼吸をして、右手を彼の胸に当てた。


『偉大なる精霊よ、彼の身の患いを癒やし給え』


 小さく告げられた古代語の文句は、魔力を帯びて周囲の精霊に呼応する。そして淡い光が優しく彼の体を包んだかと思えば、みるみるうちにその呼吸が静かになっていった。


「しばらくは安静にすることね」


 一仕事を終えたアシェラ。ベッドで眠る見習い騎士に目をくれることもなく、隣の部屋へと向かう。

 隣というのが、様々な備品や書類を仕舞っている保管室だ。今いるメインの部屋と保管室は内扉で繋がっている。その部屋の隅っこにアシェラは机を置いており、そこでいつも仕事をしている。


「流石だな。しばらくベッドを借りるが大丈夫か?」

「お好きにどうぞ」


 そう背中で語ると、アシェラはぱたりとドアを閉めた。



「レイン君、どうして何度もここに来るの?」

「別に来たくて来てるわけじゃ……」

「はぁ。貴方がどうやって試験を通過したのか、とても気になるわ」

「えへへ」

「褒めてないわよ!」


 通算四度目となる病室送り。アシェラは呆れ返っていた。

 まだ訓練が始まってからそれほど時間が経っていないのにも関わらず、この体たらくだ。


「大体、教官からも言われてるんじゃないの? 自己管理も騎士としての重要な仕事よ」

「はい、言われてます!」

「なぜそこで胸を張れるのかしら……理解できないわ」


 体力でも、体格でも、見習い騎士の中でダントツの最下位なのは間違いないだろう。にも関わらず、やる気だけは人一倍ある。

 どんな内容の訓練でも、どれほどの体力的なハンデを追っていようとも、泣き言一つ言わずに訓練にまっすぐ取り組むのが、レインの良いところだ。

 むしろ、そのやる気一辺倒な練習姿勢が、四度もぶっ倒れる原因なのだろうが。ここに来るたびアシェラは口酸っぱく注意しているが、どうにも伝わるような気配はない。


 とはいえ、初日に比べれば日々の訓練は若干ハードになってきている。

 倒れるとはいえ、基本的にはついていけているので、これでも成長はしているのだろう。


「今日は安静にすること。たくさん寝て、明日から訓練に励みなさい」

「はい! ありがとうございます」


 レインは深く頭を下げた。礼儀正しいのは良いことだが、次が無いように努力して欲しいところだ。

 ケロッとした表情のレインを見送りつつ、アシェラは保管室にある作業場所に戻る。もちろん呆れてはいるが、なんだかんだ明るくて人懐っこい彼に対して、決してアシェラは悪い印象は抱いていなかった。

 あまり口数の多くないアシェラに、ぐいぐいと話しかけてくる。でもそれは決して不快なものではなくて、まるで中の良い他の聖女と話しているときのような、そんな楽しささえ感じる。初めて見るタイプの不思議な子だが、悪い子ではないのだ。


「そういえば……精霊の数が多いような」


 アシェラはふと周りを見渡した。

 なにかが見えるわけではないが、その周囲には常に精霊の気配がある。だがどうにも、その数が通常よりも多いような気がしていた。

 精霊というのは基本的に気まぐれな存在だ。どこに集まって、いつ去るのか、それは神のみぞ知る。


 だが精霊がたくさんいる土地は、作物がよく育ったり、あるいは治療魔法の効果が高かったりと、いい事ずくめであるのは間違いない。人はあの手この手で精霊を土地に集めようとして、その最たる例が聖女という存在なのだが、


「あの猫の周り、精霊がたくさん……」


 次に窓の外を眺めてみると、そこには一匹の白猫が座っていた。ふわふわとした純白の毛並みに美しい緑の瞳で、とてもじゃないが野良猫のようには見えない。

 そんな猫の周りに、明らかにたくさんの精霊が集まっていた。

 アシェラは精霊に対する感度が低いのか、精霊の姿をあまり見ることが出来ない。にも関わらず、その白猫の周りには、そんな彼女でさえ視認できるほどのたくさんの精霊が飛び回っていた。


 その幻想的な光景に見惚れてしまっていたが――ふと目が合ったかと思うと、むくりと立ち上がって茂みの中へと消えていってしまった。


「……なんてね」


 精霊は気まぐれな存在だ。ただ猫の存在が気になって、たまたま近くに集まっていたのだろう。このたくさんの精霊がいる状態も、しばらくすれば普通に戻るはずだ。

 アシェラはそう頭の中で整理して、机へと向かった。レインの治療で時間を取られたせいで、あまり仕事の進捗は芳しくない。

 気を取り直して羽根ペンを手に取ると、彼女は溜まっている書類に手を付けるのだった。

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