036 尋問(2)
「あの……お願いします。このことは誰にも言わないでほしいんです」
「えーと……なにか、勘違いしているようだけど、別に私はあなたを貶めるつもりはないわよ。レイン君は……その……命の恩人だし」
懇願するレネットに、アシェラは少しだけ顔を赤らめながら言った。
結局のところ、アシェラには糾弾するつもりなど微塵もなかった。先程のことでちょっとばかし一線を超えたような気がしなくもないが――自分を助けてくれた恩人に対して、そのような仕打ちをする人でなしではないとアシェラは自覚していた。
故に、この話をしているのもアルトゥールの退室を待ってのことだ。
そんな彼女に対して、ぱぁっと明るくなるレネット。
「あ、ありがとうございます!」
「待ちなさい。無条件で、とは言っていないわ。私のお願いを聞いてくれたら、黙っていてあげる」
だがレネットのそれは、ぬか喜びだった。後から提示された「お願い」とやらに、レネットは戦々恐々とする。
「レイン君――貴方、本当は聖女よね?」
「はい……何故それも分かったんですか?」
「あれほど沢山の精霊から寵愛を受けているのに、どうして隠しきれると思ったのかしら。ねえ、大精霊様?」
振り向いた先には、純白の猫――エルヴィーラが佇んでいた。
アシェラはこの猫の正体が、大精霊であることを既に知っていた。
レネットの周りにたくさんの精霊がいることは、実はかなり前から気がついていた。そして……その精霊たちの中心にいる、一匹の猫の存在も認識していた。
――まさか男の子や猫に精霊が集まるなどとは思っても見なかったから、ただの偶然として片付けていたのだけれど。
だがあの日あの時、朦朧とする意識の中、薄っすらとだけ見えた白猫の姿。彼女から溢れ出す膨大な魔力だけは、そんな状況の中でもハッキリと感知できた。
あれは精霊――それも、大精霊に違いない。この事件を機に点と点がすべて繋がった。
なぜ猫の姿をしているのかは分からない。だが、精霊は決まった肉体を持たないのだから別段不思議なことではない。
エルヴィーラは、猫の姿のままアシェラに告げる。威圧感のある語気だったが、見た目でその効果は半減である。
「この子に仇なすつもりというなら、アタシゃタダじゃおかないよ」
「エル、やめて。そんなことしないで」
「驚いたわ……本当、想像以上ね。大精霊様とここまでお近づきになれるなんて」
アシェラは2人のそのやり取りを見て、素直に驚いた。
所謂大精霊とお近づきになった人の例はそれなりにあるが、これほどまでに打ち解けた関係なのは見たことがない。
(まぁ……そのことを考えると、性別を偽ったのは正解ね。初めは私も偶然だと思ったわ)
これほどまでに先入観という存在は大きいものなのかと、アシェラは自分を顧みた。もしレネットが女性騎士として入隊していたら、すぐに聖女であることに気づけたはずだ。
だからこそ性別を偽るというレネットの選択は、この点において成功だったということだ。
そんな思考に耽っていると、横から掛けられたエルヴィーラの鋭い声に引き戻される。
「それでアンタ、お願いってのはなんだい? この子の恩を無下にするつもりじゃないだろうね」
「ええ、大精霊様。大したことではありません」
エルヴィーラは、鋭くアシェラを睨んだ。いくら聖女であろうともレネットに敵対するならば許さない、といったところだろうか。
とはいえ、アシェラは無理難題を強要するつもりはない。これは……この機会を利用した、アシェラの我儘のようなものだ。
アシェラはエルヴィーラの圧にも屈さず、指をぴんと立てて言った。
「レイン君、私の練習に付き合ってほしいの」
「ええ!? 僕が、ですか?」
レネットは思っても見なかった提案に驚いた。
なぜならばレネットは、アシェラのことを十分な力量を持つ聖女であると認識していたからだ。新たに練習などする必要もないくらいに、技術面も人間性もしっかりしている。自分の力を借りる必要性を微塵も感じない。
「大精霊様、いかがですか? もちろん強要するつもりはありませんが、これならば文句はないでしょう?」
「……まあ、そうだね。この子が良いと言うのなら」
エルヴィーラも、この程度では異論は無いようだった。
「私は、あのとき痛感したわ。
力がなかった、技術もなかった。その上、自分の能力に慢心していたわ。だから……私は、誰も救えなかった。
レイン君……貴方がいなければ、間違いなく私を含めた大勢が死んでいたわ」
アシェラは、あの時の自分の醜態を振り返る。
聖女として研鑽は積んでいたし、その経験に裏打ちされた自信もあった。多少のアクシデントが起きても、自分なら何とかできると思っていたのだ。
それなのにいざ魔物が現れると、混乱した現場の空気に呑まれてしまった。冷静な状況判断を怠ってしまい、そして自分も巻き込まれるという最悪の事態を招いてしまったのだ。
「――だからお願い。少しだけでいい、私に力を貸してほしいの」
だからこそレネットに頼ろうと思ったのだ。
あの場で一番冷静で、そして一番能力があったのは、他でもないレネットだったからだ。
レネットの聖女としての能力の高さは、自分の負傷部位を見れば明らかだ。
痕を残さずに治療するというのは、傷が深ければ深いほど難しい。
だがレネットは、それをいとも簡単に治してみせた。肩とお腹を激しく負傷したのだが、今や残るのは傷一つ無い綺麗な肌だけ。どこを怪我したのか、今やもう分からないほどだ。
「……まあ、僕にできることなら」
弱みを握られている以上、レネットには断るという選択肢はなかった。とはいえ、教えてあげるのも悪くないと思ったのも事実。
騎士を目指している今、聖女として頑張ろうとは全く思わないけれど、自分の能力で他の人が喜んでくれるのなら、それはそれで嬉しいことだ。
アシェラが自分を頼ってくれるのなら、それに協力するのもやぶさかではない。
「ありがとう。なら早速、今からお願いできるかしら?」
「えっ、今からですか!?」
しかし……レネットにとってこのモチベーションの高さは想像以上だった。
てっきり後日からだと思っていたレネットは、やる気満々のアシェラに引きずられるのだった。
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