032 【Side.リディア】精霊の怒り

 王城内のとある一室。

 豪華絢爛な作りの家具が並び、天井からはシャンデリアが垂れ下がる。その部屋の真ん中にあるふかふかのソファーに、リディアは腰掛けていた。

 サイドテーブルの上に置いてあるのは、小さな鳥籠。中には小さなカナリアがおり、「ピチチ」と甲高い鳴き声を上げていた。


『――この地に住まう偉大なる精霊よ』


 リディアは手のひらを鳥籠に向けてかざし、そして魔力をぐっと込めた。

 回復魔法を使用する際の難易度というものは、相手の傷の深さや体の大きさなどによっても変化する。よって小動物で回復魔法の練習を行うというのはよくあることで、このカナリアもそのために用意されたものだった。


 小動物の治療は、人間のそれよりも遥かに簡単だ。

 リディアにとってこの程度、お手の物――の筈だった。

 しかし、


「……――ッ!!!!」


 せっかく唱えた古代語の文句は意味をなさず、込めた魔力はただただその場で霧散するだけだった。こんなにも簡単な魔法で手こずったことなど、今の今まで一度もなかった。

 その練習が無駄な足掻きだと改めて思い知らされたリディアは、怒りに任せてその場にあった花瓶を放り投げた。


「ピィ、ピィ、ピィ!!!」


 それなりに重たいものだったせいか、床にあたった瞬間にばりんという重苦しい音とともに、花瓶は無惨にも砕け散った。

 その音にびっくりしたのか、小さな籠の中でパニック状態になり、カナリアは檻に体当たりをする。

 床には陶器の破片とへし折れた真っ赤な花の束、そしてじわじわとカーペットを侵食していく水の染みが広がっていた。


「大丈夫か、リディアっ!」


 慌てて部屋に入ってきたのは、ベナシュ王子だった。彼はそのサラサラの金髪を乱しながら、地面にへたり込むリディアのもとへと駆け寄った。


「ベナシュ様……私は……」

「無理をしないでくれ。しばらく休養を取るように言っただろう」


 ベナシュは、リディアの背を擦りながら、優しくもきりっとした表情で言った。

 だが対するリディアは、どこか焦燥を隠せないような出で立ちだった。


「精霊が……精霊の気配が、しないのです」


 ここ最近というものの、急速なスピードでルミナス王国から精霊がいなくなっている。

 精霊の数を定量的に計ることはできないため、実際にどの程度精霊が減ったのかは分からない。

 だがレネット筆頭聖女が追放されてからというもの、国内で――特に王城近辺の都市で回復魔法の効果が弱まっているのだ。


「それは分かっている。君だけじゃない、落ち着いてくれ」


 精霊の減少というのは死活問題だ。

 精霊がいなければ聖女はその役目を果たすことができない。厳密に言うと精霊がいなくともやるべきことはあることにはあるのだが、聖女の要である回復魔法などは全く使用できない。


 病人の治療ができず疾病が地域で蔓延し、怪我人の治療ができないため満足に魔物の討伐に出向くこともできない。

 直接的・間接的、様々な要因から、ルミナス王国は危機的状況に陥りつつあった。そしてそれで割りを食うのは、他でもない民衆たちだ。


(非常に不味い。この状態が続けば、民衆たちの不満もたまる一方だ……)


 まだまだ被害は顕在化していない。リディアの状態はひどいが、他の王宮勤めの聖女たちはまだギリギリその能力を維持できている。

 だがこれは時間の問題だ。日を追うにつれて、聖女の力はどんどん弱まっている。

 そうなれば、当然民衆たちも怒り始めるだろう。情勢が不安定になれば、王家の支持基盤も揺らいでしまう可能性もある。


「ベナシュ様。私、解りました」

「どうしたんだ」


 なにかを悟ったような表情で、虚空を見つめるリディア。

 だがその表情は、なんだというかドス黒いものに支配されているようだった。


「ふふふ……そうよ! おかしくなったのは、全部あの女の所為よ!

 レネットが、あいつが聖女の力を奪ったに違いないわ!?」

「……………………」


 突然リディアは、癇癪を起こしたかのように声を荒らげた。

 せっかくの筆頭聖女代理という立場を得られたのに、満足に魔法も使えず、自分のアイデンティティを喪失してしまったリディア。彼女が不安定な状態なのは言うまでもない。その怒りの矛先は、今やレネットへと向かっていた。


 ただ実際のところ、これは全くの言いがかりというわけではない。

 もちろんレネットが故意にこの事態を引き起こした訳ではないが、減少した精霊が今どこにいるのかというと、他でもないレネットの近くへ集まっているのだ。


 それはもちろん、レネットを無碍に扱ったしっぺ返しである。

 リディアを含めたルミナスの聖女たちに愛想を尽かした精霊たちの、一種の抗議運動のようなものだ。

 精霊は自由な存在だ。どこかの土地に束縛されることも、人のお願いを聞くこともない。嫌だと思ったところからは、すぐに逃げ出してしまうのだ。

 だからこそ人々は精霊を丁重に扱い、長くこの地に留まってもらえるようにするのだが……。


「ベナシュ様、アイツを早く連れ戻してください。そうしなければ、この国は……!」

「リディア、それはできない。ヤツは国外追放になった。それから先のことは、我々が関知することはできないんだ」


 ベナシュは苦い顔をした。彼も精霊の減少の理由がレネットにあると睨んでいるようだった。

 だが一方で、国外追放になった人間を連れ戻すということも、なかなかに困難なことであった。所在を掴むことも難しいし、居場所がわかったとしても連れ戻すことも困難だ。これが相手国にバレれば、下手すれと外交問題にもなりかねない。


 だがリディアは、引き下がることはなかった。ベナシュの袖口をぎゅっと握ると、真剣な表情で彼に詰め寄る。


「ベナシュ様……このままで良いんですか?

 今すぐに連れ戻さなければ、精霊が全くいなくなってしまいます。そうなれば、誰も住めない不毛の地になることは間違いないでしょう。

 ――私は、この国の人たちを大切に思っているのです」


 リディアは両手のひらを合わせ、窓の外に広がる空に目をやった。

 その姿は、力を失ったものの民を思い続ける、理想の聖女像そのものであった。少なくともベナシュにはそう写ったことだろう。


「……リディア」

「難しいことなのは理解しています。しかし、レネットさんの思い通りにさせてはいけません」

「ああ、そうだ。良いようにされて、全てを失うのは御免だ。

 ……分かった。全力を上げて、ヤツの捜索に当たらせることとしよう」


 ついに心を動かされたベナシュは、リディアに向けてそう宣言した。

 それを聞いたリディアは、一気に表情を綻ばせ、ベナシュの胸元に抱きつくように飛び込んだ。

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