007 【Side.リディア】異変
レネットが国外追放となり、早一週間。
彼女が抜けて開いた穴は、リディアが担うこととなった。
――聖女レネットが、筆頭聖女に選ばれた。
そんな衝撃的な話が駆け巡ったのは、今から五年前のことだ。
その当時、リディアは最も筆頭聖女に近い存在だと噂されていた。
彼女の聖女の力は、王宮の中でもずば抜けていた。技術、知識、魔力量――そのどれをとっても右に出るものはいない。それは今も変わらないし、リディア自身もずっとその誇示を持っている。その上、彼女は名門シャルバン侯爵家の令嬢。家柄という面でも、他の者に勝っていた。
故に、誰もが筆頭聖女になるのはリディアであると思っていたし、誰もがそれを望んでいた。
だが、現実に選ばれたのは孤児院で
名前はレネット。どう見ても、聖女には見えない……明るくて、お転婆で、世俗的な人。清廉潔白でお淑やかな聖女像とは対極にいる――そんな印象だった。
(なぜこんな奴が筆頭に……!?)
リディアだけでなく、周囲の人間も同じように思っていたことだろう。
だがその日、この異例の決定の理由をまざまざと思い知ることとなる。
「紹介します! 私の友達のエルです!」
リディアとレネットが初めて顔を合わせた時のこと。
そうレネットが紹介したのは、銀色の髪をした絶世の美女。それを見た人々から、思わず感嘆の声が漏れるほどの美しさだった。その美女は白いローブのような布を身に纏いながら、冷えたような目でリディアを見下ろしていた。
リディアはその
「大精霊エルヴィーラ様……」
大精霊――精霊の中でも、特に強い力をもつ者を尊んで呼ぶ言葉だ。エルヴィーラは、このルミナス王国に古くから住まう上位の精霊で、この地に恵みと癒やしを与え続けてきた存在である。
そんな大精霊が……なぜだか、レネットと仲睦まじく並んでいるのだ。
リディアにとって、そもそも精霊の姿や声をここまでハッキリと聞いたのは初めてだった。
精霊とは、神聖で高貴な存在。たとえ精霊との親和性が高い聖女であっても、その存在をハッキリと知覚することはできないというのが、これまでの常識だった。
だがレネットはどうだ? 神聖で偉大なる大精霊様を、あろうことか「友達」呼ばわりし、そしてその言葉通り仲良くしているのだ。
『残念だが、この聖女では力不足だ』
甘美な響きながらも、全身が萎縮してしまうような重圧に満ちた声。古代語で綴られたその言葉は、我々が発する文句とは異なり、あまりにも自然で流暢なものであった。
そして、古代語をそれなりに聞き取ることができるリディアは、悲しきかなその言葉が自身に対する拒絶であったことも理解できてしまっていた。
この瞬間、リディアのプライドはズタズタに破壊された。
王国で自分が一番の聖女だと思っていたからこそ、大精霊からの拒絶を信じられなかった。
そんな自分を差し置いて大精霊と関わるレネットに対して、リディアは深く鋭い嫉妬心を抱いた。そして何より、レネットが古代語を全く理解していなかったのがより癪に障る。
この嫉妬心は、やがてゆっくりと時間を掛け怒りへと変わり、そして憎しみへと続いてしまった。
……その日を期に、リディアの行動は悪い方向へと進んだ。
筆頭聖女になったレネットは、ベナシュ王子との婚約が進められた。これは二人の意思とは関係ない政略結婚だ。優秀な聖女を王家に取り込み、そして子供にその力を継がせる。大精霊との関係を持つレネットは、その役回りに適任だった。
そんなベナシュをリディアは唆し、レネットに対しての悪感情を抱かせるように誘導した。ベナシュ自身もあまり婚約に乗り気ではなかったし、レネットの方もそういったことに興味がなかった。二人の間での関わりは希薄なものであったから、リディアの策略は驚くほど上手くいった。
一方でリディア自身は、理想の聖女像を醸し出しながら、自身の名声を高める。実際、聖女としての力は間違いなかったから、それほど難しいことではなかった。
そうして、周囲の人々の評判を徐々に変化させていった
「私こそが、筆頭の座につくべきなのよ……!」
それは、兼ねてよりの悲願であり、リディアの生きる目標であった。
だからこそ――彼女の追放が成功したときは、心からそれを喜んだ。邪魔者がいなくなった。筆頭の枠があけば、次に筆頭に選ばれるのはリディアで間違いないからだ。
絶対に選ばれてみせる。
そんな覚悟を胸に、リディアは筆頭の代理として日々聖女としての活動に専念するのだった。
◇
「聖女様……よくぞおいでくださいました……!」
「私のことはぜひ、リディアとお呼びください」
リディアはすかさず自分の名前を出す。名前をきちんと覚えてもらい、その上相手に親近感を抱かせる。一石二鳥の戦略だ。
――とある伯爵家の邸宅。
その伯爵の娘が、一週間程前から熱や咳などといった症状を訴えていた。はじめは風邪かと思われたその病は、薬を飲んでも収まらず、むしろ少しずつ悪化していくばかり。また数人ほどの聖女が治療のため訪れたが、それでも改善せず。
そうして結局、埒が明かなくなり、屈指の聖女の力を持つリディアに依頼が回ってきたというわけだ。
「私が来ましたからには、もう大丈夫ですわ」
「リディア様……ありがとうございます」
今までに治せなかった病気はない。リディアは自分の腕に強い自信があった。
苦しそうに息を荒くする娘の胸元に、リディアはそっと手を乗せる。魔力を込めながら、精霊に対して祈りを捧げる。
『――この地に住まう偉大なる精霊よ、彼の身に留まる患いを取り払い給え』
流暢な古代語で綴られた文句は、力を伴って娘のもとへ降り注ぐ。いつものように行ったその動作に、リディアもなんの疑問を持たなかった。
術は成功し、病はすべて取り払われる――かと思われた。
『かえして』
『レネット、いじめた』
『悪い子、力貸さない』
口々に古代語で喋る声が聞こえた。その瞬間、ばちんと激しい閃光とともに魔力が霧散した。思わず後ずさりするリディア。
彼女はその声が精霊のものであると直感的に理解していた。本来であれば、神聖であるはずのその声が、今回ばかりは不穏当な雰囲気を漂わせている。
「リディア様、大丈夫ですか!?」
「い、いえ、私は大丈夫です。……ですが」
静かに怒りをまとわせる精霊の声に、リディアは言葉を詰まらせた。平静を装うがが、その内心はとても穏やかなものではなかった。
この魔力を纏った声は、聖女であるリディアにしか聞こえていない。故に周囲の者は状況が把握できず、リディアの狼狽ぶりにさらに困惑する。
「すみません、私では力になれそうにありませんわ。失礼いたします」
「そ、そんなっ! リディア様……!!」
これ以上の治療は不可能だと判断したリディアは、足早に伯爵邸を後にした。撤退、逃亡――だがどちらにせよ、術を紡ぐことは今のリディアには不可能だった。
娘を嘆く当主の悲鳴にも近い声が聞こえたが、リディアにはどうすることもできなかった。
乗り込んだ馬車の中、リディアは歯ぎしりをしながら、忌々しげに拳で壁を叩いた。ドンという鈍い音、その音はリディアの憎しみの心を表現しているかのようだった。
「レネット……奴は、何をしたの……!?」
――この日を期に、ルミナス王国では少しずつ異変が巻き起こっていくこととなる。
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