第5話 強引な異動理由
「おい! テラス! 今すぐこっちにこい!」
上司の神に、テラスが突然呼ばれる。いつものように横柄ではあるが、少しの動揺が声にも感じる。
その動揺を感じ取ったのか、周りの人たちも二人の会話の行方を見守るために、黙っている。
「はい、すぐ行きます」
そう返事をしたテラスも不思議な空気に違和感を覚えている。特に仕事でやらかした記憶はないし、牛の尻拭いも特に不足ないはずだ、と記憶を巡らせているようだ。ミコも、またあの上司はアホなことを言い出さないかと目を光らせながら、見守っている。
「お前、地獄に異動な」
周囲がしーんと静まり返った。ありえない言葉に、誰かが手に持っていた書類を落としただろう、ばさりという音が大きく響いた。
「……えっと、私、何かやらかしましたか?」
「は!? 何言ってるんですか! 人型には不可能っていつも言ってますよね? そもそも、地獄の空気にテラスが耐えれると思ってるんですか?」
どかどかと二人の間に割り込んだミコが、机をバーンと叩きながら、上司に詰め寄る。
「最近、あのーあれだ、仕事が遅いし、牛の尻拭いも不十分だろ?」
突然話を振られた牛が垂直に飛び跳ねる。牛も巻き込まれると思ったのか、小さくカタカタと震えている。
「んなことないですよね!? なんですか! テラスがいないと仕事もできないクソ牛にクソ上司のくせに、テラスを地獄に堕とすなんて! そんな横暴! 堕とすべきは仕事もせずに、テラスに仕事を押し付けて寝ている牛じゃないんでふか!?」
さすがにみんな、テラスが地獄に堕とされる理由が強引すぎると思ったのか、黙って上司に視線を向けている。
悪行とともに名前を挙げられた牛は、震えでもう立っていられない。椅子から転がり落ちていった。確かに、牛なら地獄でもたくさんの仕事が可能であろう。
「ほれ、でも異動通知だ」
上司がテラスに向かって一枚の紙を放り投げる。テラスがそっと拾って、放り投げられた通知に目を通す。確かに、テラスを地獄に異動させるように書いてあるようだ。
「かして!」
奪い取るようにミコが目を通して、机に叩きつける。
「どうやってやったんですか!? あんたが強引に通したんでしょ!? テラスを殺す気!?」
ミコが文字通り、暴れ回り、動物型の使いたちも慌てて抑えにかかる。ミコが蹴飛ばす机や椅子が、あちこちに飛んでいっているからだ。
「いや、上からの指示だ。お前がいなくなった代わりの補充も決まってるから、さっさと荷物まとめて行ってこい」
ミコ以外は巻き込まれたくないようで、静かにテラスから目を逸らし始めたようだ。
「ミコ、ありがとう。きっと大丈夫だよ?」
テラスが微笑みながら、ミコにそう伝えると、ミコはうなだれてしまった。
「もしかしたら、地獄でも浄化の力も使えるかもしれないし、安心して?」
テラスがそう自分に言い聞かせように微笑んで言うと、ミコも無理矢理微笑んだ。
「そう……だよね、テラスなら、浄化の力があるから……絶対大丈夫だよね!」
決まってしまった異動を覆すことは不可能だ。わかっているのに、ミコはテラスのために上司に噛み付いてくれたのだ。
「なぁにー? このお葬式みたいな空気ー! ねぇ、テラス、マッサージがわりに浄化してくれない?」
空気を読まずに入ってきた美容の神は、テラスの椅子にどかりと座る。
「あの、異動になりまして……地獄に」
「えー!? テラス、地獄に堕とされるの!? マッサージ機がないと困るんだけど!? じゃあ、昨日聞いた、強引な上からの人事ってこれのことだったんだー? お肌に悪そうだから、地獄までマッサージしてもらいにいくのはごめんだけど、上にきた時はマッサージしてねー?」
「……はい。お世話になりました」
テラスがそう頭を下げている横で、ミコが悩んでいるようであった。
「上から……? 美容の神より? 一体この件は誰が絡んでるの?」
その日から、牛はテラスにイエスマンとなった。
「あの、牛さん」
テラスがそう話しかけると垂直に飛び上がり、そっと書類を差し出す。
「いつも遅くてすみません。書類です。僕のことは地獄で広めないでください。お願いします」
「あの、私から言うつもりはありませんが、業務の必要上、聞かれたら答えざるを得ないですが……」
牛の手がカタカタと震え出す。
「めっちゃ面白いんだけど。テラスが牛いじめてる。最高」
そんな牛の様子に、ミコはご満悦のようだ。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
そう謝り続ける牛の言葉には、どんな意味の謝罪が込められているのだろうか。
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