第4話 頼れる同僚

 テラスが恋愛の神のところから戻ってくると、上司が突然怒鳴ってきた。


「遅い! こんな時間までいったい何をしていたんだ!」


 せっかく上司の分の書類も届けてきてあげたのに、と思いながら、テラスは静かに席につく。今日は何をしても、上司の機嫌は回復しない日のようだ。諦めて静かに過ごそう。


「すみません。すぐ仕事に戻ります」


「そんなちんたらしていると、地獄に落としてやるぞ」


 上司だけでテラスの人事を決められるほどの権限はないのだが、そんなことを言って脅してくる。

 地獄は労働環境がここよりもかなり醜悪と有名だ。

 ー一特に人型は、地獄の空気の中で生きていけないと言われるから、本来地獄への配属は無縁のはずだが。ーー

 一日中、地獄の釜を引いたり、地獄に落とされた者たちに罵倒される生活を送るらしい。左遷先の最悪候補と有名のため、テラスは素直にすみません、と謝る。

 どれだけキツくても、“地獄よりはマシ”と皆が自分に言い聞かせて働いている時もある。特に人型は。



「ですから、いつも言ってますよね? テラスにはこの部署にいてもらわないと、本当に仕事が回りませんよ? というか、あそこはテラスや私たちのような人型には、必要な仕事がないどころか、生きていけないじゃないですか! だから、左遷は不可能って言われてますよね?」


 上司に詰め寄るミコをテラスはそっと止める。あまりミコが言い過ぎると、上司はいじけていつも以上にテラスに八つ当たりしてくるのだ。




「ありがとう、ミコ。大丈夫だから」


「テラスも少しは言い返さないと、あいつ、ますますつけあがるよ? あと、あの牛も」


 ミコに言われて、テラスはミコにも謝りながら、業務に取り組む。あの牛と指さされた牛は、まだ、もーもーいびきをかきながら眠っていた。







「あ、テラス、これも頼むよー!」


 テラスが仕事に戻って、積み上がっている書類を片付けていると、テラスが補助に入る担当ではない犬にも、なぜか仕事を押し付けられる。


「あの、私、」


 テラスが言い返すよりも早く逃げ去っていく。犬の担当はミコトよりも断然強く、今日はいつも以上に機嫌が悪そうだったから頼めなかったんだろう。


「あーもう! なんでこっちの書類が不備ってんのよ!」


 犬の担当の人型は、そう言いながら、机の引き出しをバーンと閉める。


 テラスもそんな機嫌が悪いところに、犬が勝手に持ってきた書類を届けに行く勇気が持てず、一刻も早く帰るために仕事を黙々と終わらせることにした。



「お疲れ様でーす! どこいくー?」


「ドッグラン行かない?」


「お前、一人で行ってろよ」



 定時を迎え、同僚たちが次々と帰っていく中、テラスは山のような仕事を抱えて残っている。





「テラス、終わりそう? ……って、これ、犬の業務じゃん。あいつ、担当者が不機嫌だからってテラスに押し付けやがって……!」


「仕方ないよ。もう終わるから、大丈夫だよ」


「大丈夫? 手伝ってあげたいけど、ごめん。私も手一杯だわ」


 ミコはテラスのように仕事を押し付けられることはないけど、仕事ができる分、業務をいつもいっぱい抱えている。

 ミコの気持ちだけありがたく受け取って、二人で仕事に戻った。


「お疲れ、お二人さん」


 ミコとテラスのデスクに温かいココアが一つずつ置かれた。


「わ!? 恋愛の神!?」


「よかったら、飲んで」


「ありがとうございます」


「あれ? 怠惰の神は?」


「もう帰りました。見てください。残ったままの仕事の山。あんなに残すなら日中にちゃんと仕事しろっつーの」


 ミコが恋愛の神にそんなふうに愚痴っている。

 ココアをありがたく受け取って、帰っていく恋愛の神を見送る。仕事を全部残して帰っていった上司は、明日テラスに全てを押し付ける予定なのだろう。



「あの人、ああいう気遣いだけは上司として最高だよね。ファンがうるさいし、テラスに対しては少しセクハラ気味の時あるけど」


「いい上司だよね」


 ミコがそう漏らす言葉に、テラスも同意する。少なくとも、二人の上司よりはいいに決まっている。


 たまに恋愛の神が言う“うちの部署にこない?”が実現したら、もっと働きやすいのだろうか、とテラスは首を傾げる。

 一瞬でファンたちに血祭りにされる未来が想像できて、テラスはブルブルと震える。


「テラス、どうかした?」


「ううん。なんでもない。早く仕事を終わらせて帰ろ」


「そうだね! 仕事がひと段落したら、私、テラスと一緒に飲みに行きたいなー」


「いいね! 楽しみ!」


 テラスはミコと二人きりの飲み会を想像して、胸を躍らせる。よし、頑張るぞ、とやる気を入れ直して、テラスは仕事に取り掛かるのであった。

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