40 ふたりぼっちの決戦
海上保安庁第3管区所属・大型巡視船「さがみ」。
1000トンを越える船である。
海保が保有する船のなかでももっとも大型の部類に入る。
ヘリコプターも搭載できる数少ない船舶のひとつだ。
だが、今日さがみが乗せることになったのは、ヘリコプターではない。
「我々の任務は、甲板に配置される『魔導機械』と冒険者2名を護衛しつつ、対象Rへ可能な限り接近することである」
乗船前、船長が航海士たちに語った任務は以下のようなものだ。
「冒険者2名がRに対して攻撃を加える。我々が行うのは――その補助だ。自衛隊が出動できない以上、この役目を担うのは我々において他にはいない。大変危険な任務だが、そのことを肝に銘じて欲しい」
今回は命の危険があることなので、船長は任務を志願制にしようとした。だが、結局は乗組員全員が志願したため、通常のローテーション通りの人員で任務に臨むことになった。
そんな勇敢な航海士たちであるが、護衛対象の姿を見て驚きを隠すことはできなかった。
「えっ!?」
「お、おい」
「あの子たちが、冒険者?」
「まだ子供じゃないか」
初々しいセーラー服の彼女たちが乗船してきた時、航海士たちは一様に目をみはった。
二人があまりに美しく可憐な少女だったことも理由のひとつであるが――なにより、こんな年端もいかない子たちとは思わなかったのだ。中には同じ年頃の子供を持つ航海士もいる。彼らの動揺は並ならぬものがあった。
「いろいろ思うところはあるだろうが、平常心を心がけて欲しい。我が国の存亡がかかっている」
船長がそう告げて、ようやく冷静さを取り戻した。
少女たちが乗り込むとともに、大きな機械がワイヤーで引き上げられて甲板に設置される。
魔導機械。
ニチダン技術研究所が開発したもので、全長約5メートル。巨大なパラボラアンテナのような形状をしている。
何に使うものかまでは、航海士たちにも知らされていない。
彼らに与えられた任務は、甲板においてR駆除を行う二人の少女たちが海に落ちないよう保護し、万が一の時は救助することである。
のちに、甲板に乗り込んだ航海士のひとりが、こんな風に語っている。
『はっきりいってね、首脳部の正気を疑いましたよ』
『あんな中学生の女の子ふたりに、R駆除なんかできるのかって』
『日本終わったな、って思いましたね』
しかし、と彼は続ける。
『でもね、彼女たちから挨拶された時、考えを改めたんです』
『僕たちに向かって、ものすごく丁寧にお辞儀して『よろしくお願いします』って言うんですよ』
『そのお辞儀の見事さっていうか、優雅さっていうか?』
『鳳雛女学院って有名なお嬢様学校ですけど、本当に躾や礼儀が行き届いてるんですね』
彼の口調は、次第に熱を帯びていった。
『だけどそれ以上に驚いたのは、彼女たちの表情ですよ』
『なんていうか、覚悟が決まってるんです。そういう顔してるんです』
『決して思い詰めているわけじゃない。ただ自然体で、危険に臨む心構えができてるんですよ』
『あれって、
『まだ中学生の女の子が、そんな表情するんだから、ねえ?』
苦笑いして、彼は言った。
『大人の僕らが、あきらめるわけにはいかんでしょうよ――』
◆
巡視船「さがみ」が、夏の海原を往く。
ヘリが離着陸できるほどの広い甲板、その先端に立ち、月島氷芽は長い黒髪を潮風にあそばせている。
さっきまで晴れ渡っていた夏空は次第に暗く曇り始め、今にも雨が降り出しそうな気配となっている。空も震えているのだと、氷芽は思う。いま、遙か上空にいる超常の生命体「R」。地上に現われるはずのなかったその大いなる存在に、天でさえ、怯えているのではないだろうか。
同じように空を見上げている朝霧未衣が、亜麻色のポニーテールをなびかせながら言った。
「もうじき、おじさんの魔法が解けるね」
「うん――」
Rの体にまとわりつくように展開されている「雷」は、すでにか細いものになっている。あと1分もしないうちにRを縛っている魔法は解けるだろう。あの、途方もない力を持つ藍川英二の魔法ですら、Rを捕縛し続けることは不可能なのだ。
二人はセーラー服の上から救命胴衣をつけ、さらに命綱のロープを腰につけている。航海士たちがそのロープをしっかりと握り、どんな事態が起きても対処できるようにしてくれているが――Rに襲われたら、こんなロープは役に立たない。海保が誇る大型船も、あの巨竜の息吹にはひとたまりもないだろう。
未衣は甲板の魔導機械を振り返った。
「ホントにこれがあれば、地上でも魔法やスキルが使えるのかな?」
「そうらしいね。ともかく今は信じるしかないよ」
それより、と氷芽は続けた。
「私たちが螺旋衝撃剣(スパイラル・ソニック・ブレード)を成功できるかのほうが不安だよ。結局、第5層で練習した時は一度も成功できなかったし」
「あたしはそこ、心配してないんだ」
うつむく氷芽の顔を、未衣は覗き込んだ。
「あたしとひめのんなら、絶対できるもん。おじさんだって『できる』って言ってくれたじゃん?」
「そうだけどさ……。未衣、その自信はどこから来るの?」
「それはもちろん、このきゅーとな笑顔から~♪」
にこーっ、と未衣は笑ってみせる。暗雲に覆い隠されてしまった太陽が、また顔を出したように、氷芽には感じられた。
「もう、適当だなあ」
つられて、氷芽も笑顔になる。
「しかたない。未衣の口車に乗ってあげますか」
「あ、それよりさ、やっぱりダンジョン部のユニフォーム欲しくない?」
「なにいきなり。今その話する?」
「だって、さっきから潮風でべとべとして、飛沫もかかるしさっ。制服めっちゃ痛みそうじゃない?」
「それ、私も思ってた。やばいよね。ママに絶対怒られる」
「髪もこれゼッタイやばいって。……あー! 日焼け止め、塗るの忘れてた!」
「私は乗船前に塗り直しておいたけど」
「なにそれずっる! 言ってよひめのん!」
「だってそれどころじゃなかったでしょ」
「でも自分は塗ってるじゃーん!」
二人のやり取りに、航海士たちがぽかんと口を開けている。
これから死地に赴く冒険者がするような会話ではない。
まるで女子校の日常風景のような、そんなやり取りだった。
だが、その時――。
『作戦開始、20秒前』
インカムに届いた通信に、二人の表情は一気に引き締まった。
『こちら朝霧未衣。準備おっけーです』
『こちら月島氷芽。問題ありません』
カウントダウンが開始される。
『19、18、17、16、15』
木洩れ日のナイフを逆手に持ち、腰を軽く落とす未衣。
『14、13、12、11、10』
魔法の杖を横向きに水平に構え、深呼吸する氷芽。
『9、8』
――ねえ、未衣。
『7、6』
――なに、ひめのん。
『5、4』
――私、鳳雛に来てよかった。未衣に会えて良かった。
『3、2、1』
――あたしも。
『ゼロ! 作戦開始!!』
竜の咆哮が、海原に轟いた。
『 ウォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォォ!!!! 』
それを耳にした瞬間、航海士たちの半数以上がいわゆる「動揺」(シェイクン)状態に陥った。モンスターがもたらす状態異常(バッドステータス)のひとつであり、全身が金縛りにあったように動けなくなり、最悪の場合は気絶する。
彼らは海において恐れ知らずの屈強な男たちであるが、ダンジョンにおいては素人だった。
しっかりと掴んでいた未衣と氷芽の命綱を、彼らは、離してしまったのである――。
◆
『あれは、本当に痛恨事でした』
前出の航海士は、後日、取材した記録員にそう語っている。
『あれからですよ。海上保安庁の訓練に、ダンジョン探索を取り入れてはどうかって案が出たのは』
『僕も賛成ですね。海の男だからって、地下に潜っちゃだめってわけじゃない』
『今の時代、ダンジョンくらい踏破できないようじゃ、国民に示しがつかないですよね』
ただ、と彼は続ける。
『結果的にはね。それが良かったんですよ』
『命綱がなくなったおかげで、彼女たちは自由に動けるようになった』
『いや、舐めてましたよ。あの二人の能力――いや「根性」を』
◆
紅の竜が、迫り来る。
巨大な顎を開けて、獰猛な牙を剥きだしにして、海原へと舞い降りる。
動揺状態からいち早く離脱した船長が、操舵室から動ける者たちへ命令をくだした。
「撃ち方、はじめッッ!」
「了解。うちーかたーはじめー!!」
「さがみ」の船体後方に装備された35mm機関砲が空に向かって火を噴いた。ダダダダッという音とともに、Rめがけて放物線の火線が描かれる。
Rには効かない。
まったく怯む様子もない。
だがそれは織り込み済だ。あくまで囮である。「さがみ」にRの注意を引きつけるための誘い水にすぎない。
Rは誘いに乗ってくれた。
長い首の向きを変えて、紅蓮の瞳に「さがみ」の船体を捉えたのである。
『顕現術式、作動』
甲板で魔導機械が作動を開始する。
ブゥゥンという虫の羽音のような通電音とともに、アンテナの中央部に青白い電離現象が発生して、局所的に生み出された魔法力場が未衣と氷芽のふたりを包み込む。
その瞬間、氷芽は直感した。
(――魔法が、使える!)
魔力が全身に満ちているのがわかる。ダンジョンにいる時と同じ感覚。これなら、使える。今なら、地上で魔法が使えるのだ。
『詠唱開始!』
インカムに届いた号令とともに、氷芽は魔法を発動する。
「風よ。遙か大空をわたる旅人よ。我が求めに応え、我に力を貸し与えたまえ。その歩みを止め、燃えさかる熱きものに、冷然たる一撃を――」
風系レベル4に存在する凍結魔法である。
それは魔法の詠唱というより、まるで「歌」のようだった。
美しく澄んだ歌声だ。
その歌声のおかげで動揺状態から抜け出すことができたと、後日証言する者が幾人もいた。「教会で聴く賛美歌って、ああいうものなのかなって」という感想をもらした者もいたほどだ。「歌ってみた」動画をあげれば軽く十万以上再生される「鳳雛の歌姫」、その面目躍如だった。
(ねえ、パパ)
氷芽は、心の中で呼びかけた。
(パパ。どこかで聴いてる? わたしのおうた)
(こんなに、上手く歌えるようになったんだよ)
(届いて――)
歌い終えるとともに、周囲の気温がぐっと下がった。
氷芽のからだを中心として、冷たい風が巻き起こる。
「響け――凍姫絶唱(シンフォニック・ヒャダルト)!!」
凍結魔法が完成した。
いま、氷芽が使用することができる最大の魔法である。
親友が魔法を完成させるのとまったく同じタイミングで、未衣は、木洩れ日のナイフを横薙ぎに振るった。
「ソニック! ブレェェェェェェドッッッ!!」
技の名前を、未衣は叫んだ。
魔法と違って技の名前を叫ぶ必要はないのだが――未衣は、叫べば威力があがると信じている。「言葉には、魂があるんです」それは、彼女の伯母がよく言っていた言葉だった。
手首の回転によって生み出された衝撃波に、火の精霊の力を乗せる。
(サラちゃん、こんなあたしだけど、力を貸して!!)
彼女の体に宿る精霊が、活性化する。
体温がぐっとあがるのを感じる。
亜麻色のポニーテールがゆらりと、まるで燃え上がる炎のように浮き上がる。
風が渦を巻き始める。
氷芽の魔法が作り出した凍気。
未衣の剣と精霊が作り出した炎気。
その二つが作り出すのは――巨大な竜巻。
「いっけえええええええええええええええええええ!!」
未衣が叫ぶ。
「私たちの、合体技!!」
氷芽の叫びも加わる。
「友情(ツイン)!」
「螺旋(スパイラル)!」
「「衝撃剣(ソニックブレェェェェェェェェェェェェェェェドッッ)!!」」
炎と氷が、渦を巻く。
巨大な竜巻となってうねり、周囲の海水すらも巻き上げて、Rへと迫っていく。
『 オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンンン!!』
Rは再び咆哮し、その巨大な両翼を羽ばたかせた。
ちっぽけな人間などたちどころに吹き飛ばす羽ばたきだ。
まして、人間のなかでももっともか弱い小娘など、たちまちのうちに消し飛ばしてしまうだろう――。英二の考案したこの作戦が西新宿の対策本部に伝えられた際、多くの有識者が指摘したところである。
だが、現実はそうはならなかった。
炎と氷の渦は、Rの羽ばたきが生み出した風を押しのけて、その巨体すらも吹き飛ばしてしまったのである。
『グウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウッッッッ!??!?』
それは、人類が初めて耳にするRの「驚愕」の声であった。
この事実をもとに、やはり古流種には知性があるのではないかと主張する科学者が数多く存在するが、今はおこう。
ともかく二人の攻撃はRを怯ませることに成功したのだ。
だが――。
「ダメですっ!! 対象にダメージ認められませんっ!」
悲痛な叫びにも似た報告が、船長のもとにもたらされた。
「R、再び降下開始! 本船の直上に迫っています!」
「総員、対ショック姿勢!」
決死の覚悟で、船長は命令する。
「甲板にいる者は、少女たちの保護を! 小さな英雄を死なせるな! 海の男の意地を見せるんだ!」
だが、甲板にはすでに動ける者は残っていなかった。
あまりにも、あまりにもすさまじい技の威力は、甲板にいた航海士たちをも吹き飛ばしてしまったのだ。
そして、未衣と氷芽すらも――。
「ごめん。もう動けないや」
がっくりと膝をついて、未衣は甲板に崩れ落ちた。
「私も、だめ……かな」
弱々しい声で、すでに仰向けに倒れている氷芽が答える。
「でも、成功できて、よかったよね」
「うん。悔いはない」
二人はどちらからともなく、手を伸ばす。
その指先が触れ合う。
ありったけの力をこめて強く握り合った。
Rの禍々しい顔が、いま、すぐ頭上まで迫っている。
ふたりの目が、静かに閉じられようとした、その時である。
『 藍川英二の名を賭して命ずる。出でよ――全能神(ゼウス) 』
鼓膜をつんざくような雷が、Rの巨躯めがけて落ちた。
それはギリシャ神話に謳われる主神・ゼウスが用いる神の雷そのものだった。
『ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッッ!?!?!?』
一瞬にして真っ赤な鱗が黒焦げになり、Rは大きくのけぞった。翼は羽ばたきをうしない、きりもみしながら高度を落としていく。
「Rがたった一撃でダメージを受けただとっ!?」
操舵室の船長は呆然として、眼前に繰り広げられる信じられない光景に見入った。
レーダー担当官が報告する。
「三時の方向より、巨大飛翔体接近! 全長約15……いや、18メートル!」
「飛翔体とはなんだ、もっと詳しく報告せよ!」
担当官は食い入るようにモニタを見つめ、やや迷った後、その報告を口にした。
「きょ、巨大な鎧です」
「鎧だと!?」
「鎧のような形状の、巨大魔導装甲! Rとの戦闘に入る模様!」
◆
Rと対峙するその巨大兵器を見上げながら、氷芽はつぶやいた。
「あの巨大な鎧を、藍川さんが操ってるっていうの……?」
寝転がったまま、未衣が答える。
「さっすがおじさん、ついに巨大ロボットに乗っちゃうなんて」
「や、でもあれは着てるんでしょ? 正確にいえば鎧なんじゃないの?」
「まぁまぁ、細かいことはよくない?」
未衣は笑う。
「あたしたちのおじさんが最高だってことには、変わらないんだからさ――」
◆
桧山舞衣が遺した、巨大魔導装甲の中で――。
藍川英二は、静かなまなざしを、Rに向けていた。
「悪かったな。こんなところまで連れて来て」
独り言をつぶやくように呼びかける。
「さあ、そろそろケリをつけようか。R」
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