10 おっさん、バレる
氷芽に向かって拳を振り上げたタイソンの前に立ち塞がったのは、未衣だった。
「ひめのんに、ひどいことしないで!」
今まで怯えていたのに、友達のためには体を張れる。
未衣のその勇気に英二は感心した。やはり、舞衣の姪っ子だけはある。学校ではおとなしい舞衣がダンジョンでは誰よりも勇敢だったことを、英二はよく知っているのだ。
「なら、二人まとめて可愛がってやるよ」
タイソンが目つきで合図すると、青髪は手に持っていた特殊合金の棍棒で未衣の頭上に浮いていたマジック・ドローンをたたき落とした。
「な、なにするのっ!? レンタル代高いのに!」
「へへ……。これで助けは呼べないよなあ?」
青髪と黄髪が舌なめずりをして、身を寄せ合って怯える未衣と氷芽ににじり寄っていく。
そのベロベロと動く汚い舌――。
英二はふと思いついて、地面にまだ残っていたスライムの残骸――べとべとの粘液を指ですくいあげ、その舌の上に放り投げてやった。先日はガムだったが、今日はスライムを喰わせてやったわけだ。
英二が思いついてから実行するまで、一秒も経っていない。
本気を出せば、常人の目にとまらない速さで動けるのが「本物」のA級レンジャーだ。
「うげげげげげ!」
「ぐげげげげげ!」
最初何が起きたのかわからなかった二人は、口の中に広がったネチャネチャとした感触にのたうちまわった。さすがの英二もスライムを食べたことはない。どんな味がするのか興味深いが、口の中を必死にかきだしている二人に聞いても答えは返って来ないだろう。
「助かったよ、三下」
地面を転がる二人を見下ろしながら、英二は静かに言った。
「ドローンを壊してくれて助かった。これで配信に乗らない。少しだけ本気が出せる――」
タイソンが苛立った声をあげる。
「なに醜態さらしてんだお前ら! 後で動画化するんだぞ!」
「そいつは困るな」
英二はタイソンの全身に視線を巡らせた。
髑髏の飾りがついたズボンのベルトに、アクションカメラが取り付けられているのを発見。
もう一度、粘液を投げつけてやった。
カメラのレンズがネチョッと覆われて使い物にならなくなる。
当然、これも超スピードで行われたため、タイソンはまったく気づいてない。
「て、てめえ、よくも……」
大剣を抜き放って構えたタイソンに、英二は無造作に近づいていく。
「近づくんじゃねえ無刀が!! 俺はA級だぞ!」
「そうだ。俺は無刀だ。丸腰だぞ」
英二が近づくほど、タイソンはどんどん後ずさっていく。
それは奇妙な光景だった。刀を持っていない男が、でかい剣をぶら下げた男を追い詰めている。170センチあるかないかの、無精ひげの目立つ中年のおっさんが、筋肉ムキムキの若い大男を後ずらせていく。地上ではあり得ないことが、このダンジョンで起きているのだ。
「ひとつ訂正しておく。氷芽」
タイソンから目を離さないまま、英二は言った。
「さっき俺が使ったのは『螺旋衝撃剣』(スパイラル・ソニック・ブレード)じゃない。似てるけど違う」
英二が使ったのは、螺旋衝撃剣をさらに発展させた秘技である。英二にとってアレは若いころに身につけた未熟な技にすぎず、38歳の英二はその「先」にいる。
そもそも剣聖・来栖比呂にアレを教えたのは、俺だから――。
とは、英二は言わない。
彼はそういう男だ。
目の前のタイソンが名誉をアクセサリーのようにじゃらじゃら見せびらかす輩なら、英二はその逆だ。大切なものほど、人の目に触れないように閉まっておこうとする。秘密にしようとする。
ゆえに「無刀」。
無刀の英雄と呼ばれる男は、またもハンズ・イン・ザ・ポケット。
拳をポケットにしまったまま――。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっっ!!」
恐怖にかられたタイソンが剣を振り上げた瞬間、英二は腰をひねるように動かした。
それはあたかも、拳を置き去りにして腰が動いたように見えた。
腰の動きだけで、抜剣、いや「抜拳」したのである。
20年前――。
武芸に覚えのある冒険者たちのあいだで、こんな話が言われていた。
『二流は、剣で切る』
『一流は、間合いで切る』
『そして、英雄は「風」で切る』
後に未衣はこう語っている。
「あのとき、ダンジョンの中なのに、風が吹いたの」
「おじさんのほうから、ぶわっ、て。春一番みたいに」
「すごく爽やかな、気持ちの良い風だったなあ――」
すさまじい速度で「抜剣」された拳――その拳が生み出した衝撃弾が、タイソンの腹にめりこんだ。
「ぐあふ」
さっきの長々しい大げさな悲鳴と比べるとあまりにも短いうめき声をあげて、タイソンは前のめりにその巨体を沈めて、顔面から地面に落ちた。この時、彼が感じた衝撃を例えるなら、自分の腹の中が突然バッティングセンターになり、メジャーリーグの名だたる強打者たちが一斉にホームラン競争を始めた――そんな感じだろう。
英二がぶちあてた衝撃弾は、タイソンの巨体の「内部」で暴れ回り、パチンコ弾のように動き回って――彼の体を完膚なきまでに破壊してしまったのだった。
これが英二の技。
相手の体を内部から破壊する、恐るべき「浸透剣」。
この奥義でさえ、彼が使う数多の技術のひとつにすぎない。
「…………えっ?」
きょとんとした氷芽の声がダンジョンの空洞に響き渡った。
「た、倒しちゃったの? 藍川さんが? ていうか、今なにしたのさ?」
「さあ。急に腹でも痛くなったんじゃないのか」
またもとぼける英二だが、さすがに氷芽も食い下がってきた。
「う、嘘言わないでよ! 人が勝手に倒れるわけないじゃん! 何かしたよね? ねえ、未衣――」
しかし未衣は、さっきたたき落とされたドローンのところに駆け寄っていた。
スイッチを押したり、覗き込んだりしていたが、やがて――。
「はぁ、良かった~! 良かったよおじさん!」
「? 何が良かったんだ?」
「壊れてなかったよ、ドローン! ちょっとヒビが入っただけみたい!」
英二の口がぱかっ、と大きく開いた。
「今のも、ばっちり撮れてたよ! はぁ、良かったあ。これでおじさんのすごさが、みんなにも伝わるよっ」
「…………」
呆然としている英二をよそに、コメント欄がすさまじい勢いで流れている。
“すっ、すごい……”
“あのおじさま めちゃめちゃ強い…”
“なにも 見えませんでしたわ!”
“気づいたら ヤカラが 倒れてて”
“ていうか かっこよすぎ!”
“よく見たら おひげも素敵”
“うわ すっごい手のひら返し!”
“アナタたち 無節操ですわよ!”
“で、でも、強い年上のおじさまって憧れるかも……♥”
“わっワタクシは、最初からわかっておりましたけどっ?”
「……あー……」
頭をかきながら、英二は言った。
「今のは、見なかったことにしてくれないか。お嬢様がた」
鳳雛女学院に通うお嬢様の大合唱が、ダンジョンに響き渡る。
『『『『『 無理ですわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー♥ 』』』』』
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