11 バズり前夜
輩の乱入というアクシデントを乗り越えて――。
その後はモンスターに出くわすこともなく、「天使の泉」に無事到着することができた。
ここで汲むことができる「蒼き聖水」はほのかに甘みがついた不思議な水で、飲むと疲労回復効果があると言われているが――。
「ま、今どきコンビニでも売ってるけどね」
「そんなことないよひめのん。現地で飲んだほうが美味しいに決まってるじゃん!」
氷芽が言う通り、蒼き聖水は「ダンジョンのおいしい水」などというミもフタもない商品名にて250円(税抜き)で売ってる。デトックス効果のある「ちょっとお高いミネラルウォーター」といった商品で「お仕事がんばった自分へのご褒美」みたいな感覚でハーゲンダッツとともにOLが買っていくらしい。
「じゃあ未衣、汲んで持って帰る?」
「へ? やだよ。重いし」
そんなわけで、二人はその場で聖水をごくごくと飲み干した。白い喉が気持ち良いくらい動くのは、まさに若さの証明だ。英二の歳ではもう、冷えた水のがぶ飲みなんてしたら腹を壊すことは確実である。
「んーっ! 冷たくておいしーっ!」
「本当、生き返るね」
「おじさんも飲んだら?」
「常温にしてからな」
そんな感じで、今日の探索は終了となった。
未衣はもう少し探索したがったのだが、当初の予定を守るほうが大事だと説得した。マジックドローンのバッテリーも切れて配信もできなくなり、渋々納得したのだった。
泉近くにある「第二層北口」から地上に出た。
「うわーっ、地上の空気ってこんなおいしかったんだ!」
「なんか、目がチカチカする」
まだまだ元気いっぱいの未衣だが、氷芽にはちょっと疲れが見える。
「燐光石で覆われた階層から帰還すると、人によってはそうなる。次からはサングラスを用意するのも手だが」
「これくらい、慣れれば平気だよ」
と、氷芽は意地を張ってみせる。この負けん気の強さは冒険者向きだと、英二は思う。
「じゃあ、私は先に帰るよ。電車の時間があるから」
「ひめのんの家、遠いもんね」
自宅は渋谷にあるらしい。わざわざ八王子の鳳雛まで通うのは大変だと思うが、名門校なだけに遠方から通う子も多いという。
そのまま行ってしまうかと思いきや、彼女は英二のところにやって来た。
「あの、藍川さん」
「ん?」
頬を赤らめて、もじもじする氷芽。体を揺するたびに、長い黒髪がサラサラと揺れる。
「今朝は、その、ごめんなさい」
「? 何が?」
「疑うようなことを言って。本当にA級なのかって聞いて」
「ああ……」
英二は苦笑した。
「全然気にしてなかった。本当に律儀なやつだな、お前」
「別にふつうでしょ。これからも……お世話に、なります」
目をそらして、形の良い唇を尖らせている。その表情がはっとするほど綺麗で、とても中一には見えない。きっと将来すごい美人になるだろう。そう思わせるだけの顔の良さが、13歳にして備わっている。
この氷の棘のような美少女に、どうやら自分は認めてもらえたらしい。
「こっちこそ悪かったな。探るようなことを聞いて」
「……うん」
「ダンジョンに潜る理由なんて、人それぞれだからな」
二人がやり取りしてる横で、未衣は自撮り棒を使って動画を撮っている。
「はろろ~ん! みぃちゃんで~す! 今しがた、ダンジョンから無事に戻ってきましたぁ~! すっごいレアなアイテムも手に入れちゃった! 近いうちに別に動画撮るから、みんな楽しみにしててねぇ~! みぃちゃん編集がんばるよー!!」
スライムと戦ったり輩に絡まれたり、相当怖い思いをしただろうに、もう満面の笑みだ。この明るさと可憐さはやっぱり飛び抜けていて、共学だったら男子が放っておかないだろう。将来はアイドルか声優か――なんて思ってしまうのはやはり「親バカ」なのだろうか。
氷芽と別れた後、未衣を送っていくことにした。
帰りの電車のなか、仕事の資料チェックをスマホでする英二と、英単語帳をめくる未衣。「明日、小テストあるんだよー」「俺も朝イチで会議だ」。女子中学生もサラリーマンも、月曜日からまたいつもの日常が待っている。
「ところで未衣。さっきの配信の内容だが――他に流れるようなことはないよな?」
未衣は頷いた。
「大丈夫だよおじさん。あのチャンネル、うちのクラスの子くらいしか知らないからさ」
「そうなのか?」
「さっきの配信、最大同接は41人。たぶんクラス全員見てたんじゃないかな」
「全員見てても、そんなもんか」
「うん。念のため生配信のアーカイブは消しとくねっ」
(なら、大丈夫か)
そもそも一般的なカメラの画質程度であれば、普通の人があれを見ても何が起きたかわからないはずだ。「おっさんが近づいたら、輩が勝手にコケた」。そんな風に解釈してくれるだろう。
ただ――。
A級レンジャーがじっくり見れば、わかってしまう。
もちろん、タイソンのようなニセモノではなく「本物」のA級に限るわけだが。
「あたしとしては、おじさんのすごさをもっともっとたくさんの人に知って欲しいんだけどな」
「それは困るな。有名になって人が押し寄せたら、お前に構ってる暇がなくなる」
「あっ、じゃあ今のナシ! ずっとあたしだけのおじさんで!」
ぎゅっ、と英二の腕にしがみついてくる。
「えへへ。おじさん、だーいすきっ」
「おいおい……」
ニキビひとつないすべすべの頬と、胸を彩るセーラー服のリボンが、何度も押しつけられて―。
向かいの席に座っているおばさんが、「んまっ」と口を動かすのが見えた。めちゃめちゃ怪訝な目つきで見られている。
その隣の、英二より若い20代のサラリーマンは、うらやましそうな顔で未衣と英二を見比べている。
――通報だけは勘弁な。
未衣の頭を撫でながら、心の中で英二はつぶやくのだった。
◆
この後すぐ、英二は自分の認識の甘さを思い知ることになる。
ダンジョンでは限りなく冷徹な判断をくだせるし、職場では上司に毅然と、部下に優しく、客には丁寧に対応できる英二ではあるが――。
ネット情報の広がりの速さまでは、理解していなかったのである。
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