02 「無刀」のおっさん
巨大な地下空間の中は、多数の観光客でごった返していた。
「皆様、右手をご覧下さい」
美人の添乗員が指さしたのは、巨大な拳の跡がついた岩肌である。
「かの有名な『ギガンティスの拳跡』でございます。20年前、地上への侵攻を試みた凶悪な巨人が、冒険者たちと交戦した際に残したものだと言われております」
10名ほどのグループから歓声があがる。鳥取から来た老人ホームの一行で、岩壁を見上げて入れ歯が外れそうなほど大きく口を開けている。
この名所は、ダンジョン地下1層を訪れた者が最初に驚くポイントだ。
「ギガンティスの全長はおよそ18メートル、奈良の大仏さまと同じくらいです。大仏さまが壁を殴ったらこんな風になるのかもしれませんね」
再び観光客が歓声をあげる。次々とスマホカメラのシャッターが切られ、何を思ったか、数珠を片手にナンマンダブと唱えるお婆さんまでいる。
微笑ましい光景だ――と、英二は思う。
ダンジョンが平和になった証だ。
冒険者たちが命を賭した甲斐あって、こんなのどかな風景が見られるようになった。悪くない。あのギガンティスと戦ったのは他ならぬ英二だ。その時に負った脇腹の傷は、梅雨の時期になると少し痛む。しかし、それがこういう形で報われたのなら、悪くない。
現在、英二の肩書きは三つある。「現場主任」「危機管理担当官」「観光相談員」。もっぱら会社では「主任」と呼ばれている。スーツ姿で黄色いヘルメットをかぶっている姿は、建設の現場監督のようにも見える。
「あー、そこのアンタ、トイレはどこかいね?」
「そこの非常口の隣です。少しわかりにくいので、ご案内しましょう」
こんな感じでツアー客の相手をする。観光ガイドの女性がまだ新人なのでそのお目付役も兼ねてというところだが、ようは何でも屋である。英二の職場には他に「免許持ち」がいないのだ。
その免許とは――。
「ところでアンタ、何してる人? あの別嬪(べっぴん)ガイドさんの上司かい?」
「申し遅れました。私はこういうものです」
トイレへの道すがら聞かれて、英二は名刺を差し出した。そこには三つの肩書きと、英二の持つ「資格」が書かれている。
「へえ、ダンジョン探索者甲種免許。『A級レンジャー』かい。人は見かけによらないねえ」
「恐縮です」
70歳前後と思しき白髪のおばあさんは、無精ひげを生やした英二の顔をまじまじ見つめた。
俗に言う「A級レンジャー」とは、ダンジョンに潜る資格の中で最上位である。毎年5千人ほどの受験者がいるが、受かるのはほんの数名という狭き門。医師や弁護士を超える超・難関の国家資格だった。
この資格を持っていると、一般に開放されている10層よりもさらに深く潜ることができる。多くのA級は国や大企業に依頼されてダンジョンを冒険し、レアアイテムをもたらす仕事を請け負い、億の報酬を稼ぐものも決して珍しくない。
だが、英二の職業は観光会社の現場主任。
これは主にC級がやる仕事である。
「A級なら、もっといい仕事があるんじゃないんかね?」
「かもしれません。ですが、私はこの仕事が好きなのです」
英二は、観光客がダンジョンを楽しむ姿を見るのが好きだった。
少年時代の戦い、その苦い過去が、この平和な光景を見ていると少しだけ癒やされる。
「A級レンジャーって、地上でもお侍みたいに刀を持って歩いてもええんじゃろ? アンタは持っとらんのけ?」
おばあさんの矢継ぎ早の質問に英二は苦笑した。
「そういう特権はありますね。でも私には必要ありませんので」
「そうなんけ?」
「私の職場はここですから。この第一層より下に潜ることは、もう二度とないでしょう」
それは英二の本音だった。
ただ――。
英二が刀を持たないのは、ダンジョンに潜らないからではない。
彼はダンジョンでも刀を必要としない。
彼はかつて「無刀の英雄」と呼ばれた男だった。
◆
おばあさんをトイレに案内した後、英二は元の場所に戻った。
ツアー客はすでに自由行動に移り、1層を見学している。地下とはいえ台東区とほぼ同じ面積があり、名所が盛りだくさん。一日で見て回るのは大変だ。電動ミニカーが観光客を乗せて忙しく走り回り、食べ物の屋台や土産物屋も多く出ている。観光客の周りをぴょんぴょん飛び跳ねるスライムは人間に害を為さないよう家畜化されたもので、観光客に名物の「スライムせんべい」をもらってキュイキュイ可愛い声で鳴いている。
名所のひとつである、巨竜湖の遊覧船乗り場で――。
「あ、あの、困りますっ。仕事中なので」
今年新卒入社したばかりの添乗員・椎原彩那(しいはら・あやな)が、輩(やから)二人に絡まれていた。
彼女は紺のワンピースにジャケットを身につけ、首には華やかな赤のスカーフを巻いている。「バスガイドみたい」と他社から言われている制服だが、スタイルのいい彩那にはよく似合っている。しかしその魅力は、時にこういうトラブルを引き寄せてしまうことがある。
「いいじゃん。このまま俺たちとボーケン行こうぜ」
「そうそう。あんなジジババの相手しててもつまんないっしょ?」
髪を青く染めた男と、黄色く染めた男。あとは赤髪がいれば信号機だな、とのんきに英二は思った。
青髪が口説き役で、黄髪はニヤニヤしながら動画を撮影している。最近はダンジョン配信がブームで、この手の連中は珍しくない。なかには過激なことをして再生数を稼ごうという「迷惑系」も大勢いる。高そうな金のネックレスをぶらさげているのは、配信の稼ぎかもしれない。
「動画を撮るならちゃんと条例を守っていただかないと罰せられますよ! それとお客様を侮辱するのはやめてください!」
彩那は怯えつつも、気丈に言い返していた。研修中はツアー客のクレームに泣かされたり、スライムに懐かれて腰を抜かしたりと先行きが思いやられたが、最近は少し自信がついてきたようだ。
この場は彼女に任せてみようか――なんて思っていた時だ。
なかなか口説けないことに苛立ったのか、青髪がくちゃくちゃ噛んでいたガムをぺっと地面に吐き捨てた。
それを見て、英二は考えを変えた。
「これ、落としましたよ」
声をかけると、青髪は怪訝な顔をした。
英二に気づいた彩那は、パッと表情を輝かせる。
「主任、申し訳ありません」
「いいから。ここは任せろ」
彼女を背中にかばって、英二は輩と対峙した。
「なんだよ、おっさん。邪魔すんなや」
「落とし物です」
砂のついたガムを差し出すと、青髪は怒りをあらわにした。
「馬鹿かお前。捨てておけよ、そんなもん」
「ゴミのポイ捨ては厳禁であると、入窟時に注意があったはずです」
チューイだってよ、と黄髪が笑う。撮影は続けたままだ。
「いいだろ別に。どうせお前らが後で掃除するんだろ? むしろ感謝して欲しいね。底辺に仕事与えてやってるんだから。なあ、無刀くん」
刀を持っていない英二を見て、青髪は露骨に見下したような態度をとる。
それには反論せず、英二は静かに言った。
「ダンジョンは、地上と別の環境(システム)で動いています」
「あぁ?」
「たとえばこのガムを、そのへんを跳ねてるスライムが取り込んだらどうなるか。ガムの持つ粘着性を得て突然変異を起こすかもしれない。再び人を襲うようになるかもしれない。モンスターのことは、未だ解明できていない部分のほうが多いのです」
「馬鹿馬鹿しい。そんなの何万分の一の確率だろ」
「ごくわずかな可能性でも、危険を排除して観光客を守るのが私たちの仕事です。もちろん、あなたたちも含めて」
青髪は「ふん」と鼻を鳴らして英二からガムをひったくると、そのまま、後ろの湖の中に向かって放り投げた。
「水のなかなら、スライムはいねーよな?」
青髪と黄髪がゲラゲラ笑ったその刹那、英二は跳躍した。
《藍川英二の名において我が五体に命ずる。お前は羽根だ、舞い上がれ――》
まるで鳥が羽ばたくように、ふわりと英二の体は浮き上がった。空を歩くようにして飛んで、湖面に落下する寸前のガムをすくい上げてそのまま空中でバク宙し――地上へ音も立てずに帰還した。
「落とし物です」
ひとしずくも濡れていない、砂のついたままのガムを、ぽかんと口を開けている青髪の口の中に放り込んでやった。
「てめえ、レンジャーだったのか!? ふざけんなっ!」
怒鳴った黄髪に英二は向き直り、
「ふざけてるのはどっちだ、若造」
低く唸るように言って、彼の胸ぐらを掴み上げる。黄髪の足は地面につかなくなり、ばたばたと暴れた。
「ダンジョンはガキの遊び場じゃない。汚いカネ稼ぎの場所でもない。動画のネタ探しなら地上でやれ。二度とここに足を踏み入れるな。わかったな」
突き飛ばすように手を離すと、黄髪は無様に地面を転がった。
「てめえ、こんなことしてただですむと思ってんのかよ」
青髪は英二をにらみつけたが、その声は震えている。
「俺たちの兄貴が誰か知ったら、お前、腰抜かすぜ。底辺をクビにするのなんて簡単なんだからな」
「お帰りはあちらです」
敬語に戻って英二は答えた。静かに右手の方向を指さす。
「き、きっと後悔するからな。必ずさせてやる!」
暗い目でにらみつけて、青髪と黄髪は立ち去った。
「主任、ありがとうございました!」
入れ替わりに彩那が駆け寄ってきた。その丸い瞳がきらきらと輝いている。
「さっきのは、レンジャーが使う『魔法』ですか? 本当に飛んでるみたいでした!」
「そうか」
厳密に言えばさっきのは魔法ではないのだが、説明には長い時間を必要とする。
かつて世界で三人だけが使えた能力。
いまは、二人になってしまっているが。
「たいしたものじゃない。魔法を使えるのはダンジョン内部だけ。地上ではただのおっさんなんだから」
ダンジョン内には特殊な魔法力場が存在する。その力場を触媒とする形でレンジャーは魔法やスキルを使えるのだが、地上では使えない。「冒険者、地上に出ればただの人」。英二が少年時代に流行った歌のフレーズである。
「だけど」
頬にえくぼを作って、彩那は言った。
「主任なら、地上でも同じことをしたでしょう?」
「……」
「一緒に働けて、誇りに思います」
英二は頭をかいた。
若者は、特に若い女の子は苦手だ。恥ずかしい台詞を平気で口にする。
「どうして彼に言い返さなかったんですか? 自分はA級だって」
「無刀のおっさんがA級だなんていっても、しまらないだろ」
本当はA級どころか、この日本を救った英雄なのだが――そのことを、英二は職場の誰にも話してない。他人から見れば栄光かもしれないが、苦みを伴う思い出を誰かに話す気にはなれない英二だった。
ふと、英二はあたりを見回した。
「それにしても、今日はスライムの数がずいぶん多いな」
「そうでしょうか? 毎日こんなものだと思いますけれど」
彩那は言ったが、違和感は消えなかった。観光客の周りを人なつっこく跳ねまわるスライム。その動きがいつもより活発に見える。気のせいと言われればそれまでかもしれない、小さな違和感ではあるが――。
「いちおう、報告あげておくか。監視と警備の増員をお願いしますってな」
「課長にですか? また煙たがられますよ」
関係ないさ、と英二は肩をすくめた。
出世なんてとっくにゴミ箱に捨てている。
上司の顔色なんて、知ったことじゃない。
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