03 38とJC


 八王子市南部の、とあるニュータウン――。


 会社から徒歩5分の小さなアパートに英二は住んでいる。


 大学生から一人暮らしを始めてからというもの、一度も引っ越していない。築30年のボロアパートだが、日当たりも風通しもよくて気に入っている。


 ダンジョンまでは徒歩10分。

 近いのがいい。

 思い出は時につらいが、やはり、近くにいたい。



 7月の、とある日。

 月曜の午後6時すぎのことだ。


 珍しく定時で上がれた英二は、近くのスーパーで三割引シールの貼られた鮭弁当を買ってアパートに帰った。


 二階の角部屋、おんぼろの洗濯機が置かれているドアの前に、亜麻色の髪をポニーテールにした可愛らしい少女がうずくまっている。

 セーラー服の少女だ。

 足元にはスクールバッグとネギのささったスーパーの袋が置かれている。


 ハッとして、英二は立ち尽くす。


 退屈そうにスマホを弄っていた少女は、英二の姿を認めるとむすっと頬をふくらませた。


「もうっ。遅いよ、おじさん!」


 その声を聞いて、英二は我に返った。

 思わず苦笑が漏れる。

 いつもこうだ。あの亜麻色の髪を見ると、いつも「彼女」と間違えてしまう。


「ひさしぶりだな。未衣」

「ひさしぶりだなっ、じゃないよーっ。昨日LINEしたじゃん、今日遊びいくからって!」

「すまん。見てなかった」

「LINEの意味がなーい!」


 その少女――朝霧未衣(あさぎり・みい)は、ぷりぷり怒りながら英二の胸にセーラー服の肩をこつんとぶつけた。ポニーテールがふわりと揺れて、ボロアパートに似合わないシャンプーの匂いが香る。


「可愛いカノジョをこーんな寒空で待たせてさ。良心が痛むでしょ?」

「カノジョじゃないから痛まない」

「まーた、おひげそってないし。清潔感がないと女子中学生にモテないよ? おじさん、ちゃんとしてればかっこいいんだから!」

「中学生にモテなくても困らない」

「あーっ、またコンビニ弁当!」


 話がコロコロ変わるのは、今どきの若者だからなのか。それとも未衣だからなのか。


「コンビニ弁当じゃない、スーパーの弁当だ」

「同じだもん! だめだもん! 栄養とれないもん!」


 だもん星人と化した女子中学生は、ニコッと微笑んで「開けて?」とドアを指さした。


「まさか、上がりこむつもりか?」

「そーだよ? みぃちゃん、独身のかわいそうなおじさんにお料理作ってあげる!」

「……うーん……」

「ミィチャン オリョウリ ツクル カンシャ セヨ!」


 今度はロボ子になった未衣に急かされて、独身のかわいそうな英二は鍵を開けて部屋に入った。


「料理の前に、まずはお掃除かなっ」

「毎日ちゃんとやってるが?」

「だめだめ、いろいろ落ちてるもん変な毛とか! ほらコロコロどこ? こ~ろ~こ~ろ~」


 女子中学生が言う台詞か? と肩をすくめつつ、英二は掃除用具を手渡す。


「♪ころころー ♪ころころー」

「それ歌う意味あるのか?」

「もちろん。音声認識でゴミがとれるの三割増しで!」


 未衣の手際が良いのか、リビングの古びた床があっという間に綺麗になっていく。本当に効果あるのかもなと英二は思った。


 この少しギャル入ってる女子中学生・朝霧未衣は、英二とパーティーを組んでいた桧山舞衣の妹の娘――つまり舞衣から見て姪にあたる。こう見えて名門のお嬢様女子校に通う中学1年生。つくりたてのホイップクリームみたいに瑞々しい少女で、そこにいるだけでくすんだアパートが華やかに彩られて見える。


「さて、とっ」


 腕まくりした未衣はピンクのエプロンをセーラー服の上から身につけた。

 手狭なキッチンにトントントンッ、と包丁の小気味の良い音が響き渡る。


「お前、包丁上手くなったな」

「当たり前だよそんなの。もうあたし13だよ? 子供じゃないもん」


 しばらく見ないうちに胸はふっくらお尻はぷくんと、すっかり女の子らしい丸みを帯びている。俺の白髪も増えるはずだと、英二はまた肩をすくめた。


 彼女が作ってくれたのはチーズオムレツにサバの塩焼き、そしてけんちん汁だった。統一感のないメニューだが、全部英二の好物だ。


 さっそくチーズオムレツから口に運ぶ。ふわっふわの卵がチーズの塩気とともに口の中でとろける。追いかけてご飯をかきこむと、旨みが何倍にも口の中でふくらんだ。


「うまいな」

「愛情こめて作ったもんっ」


 未衣もオムレツに箸をのばして「今日はおいしくできた♪」と微笑む。同じ大皿で二人して、オムレツとサバの塩焼きを交互につつきあった。


 未衣が入れてくれた熱いお茶を飲みながら、人心地ついて――。


「それで、今日はどんなおねだりなんだ?」

「へ? 何が?」

「理由もなく遊びに来たんじゃないことくらいわかる。小遣いをねだるようなお前でもないし、いったい何の相談だ?」


 エヘヘと未衣は頬をかいた。


「やっぱおじさん鋭いなぁ。さすが『英雄』」

「そんな風に呼ぶなって、前にも言っただろ」

「うん……。でも、ママにとっておじさんはやっぱりヒーローだよ。もちろん、あたしにとっても」


 未衣は真剣なまなざしを英二に向けた。こんな表情をするようになったのかと、内心で英二は驚く。すっかり大人びて、「可愛い」から「綺麗」に変わりゆく成長を見せられているかのようだ。


「お願い、英二おじさん」


 正座して、つるんとした膝こぞうをスカートから覗かせ、未衣は頭を下げた。


「お願い。あたしたちを、ダンジョンに連れて行ってほしいの」


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