19 おっさん、第4層へ


 結局、英二は認識阻害魔法をかけ直すハメになった。


 未衣がレンタルしたマジックドローンのカメラには正常に映るようにして、他のカメラに撮られた時だけモザイクがかかるようにしたのだ。


「へー。すごい。便利~」

「そんなことできるなら、最初からやればいいのに」

「簡単に言うな。かなり手間なんだぞ」


 ストックしていた「呪符」(マジックカード)を使うハメになった。


 しかし、これをやっておかねば、また定点カメラに捕捉されて英二の顔がネットで流れてしまう。


 雑事をすませて、いよいよ今日の冒険である。


 入窟は前回と比べて、待たされずスムーズにいった。ハイキング感覚で入れる2層と違って、4層からは冒険者の数がぐっと減るのだ。


 とはいえ、ゼロではない。


 ダンジョン慣れしている感じの軽装パーティーや、逆に大げさなほど重装備を身につけた初心者パーティー、剣をこれみよがしに携えたA級レンジャーの姿もちらほら見える。


 無刀の英二は、彼らの列を見やりつつ――。


(この中に、ダンジョンの異変に気づいてるやつはいるのかな)


 勘の良いレンジャーであれば気づいていいはずだが、今だ大事にはなっていない。でかいルージュスライムが出たところで「たがかスライム」といってしまえばそれまで。比呂が取締役会でお偉いがたを説得できなかったというのも、無理のないことだと思う。


 しかし――。


 英二と比呂は、ともに20年前のダンジョンを生き抜いた人間である。

 その両者が「何かやばい」と感じているのだ。


(俺たちの勘が鈍ってるだけなら、いいんだが)


 英二は現役を離れてだいぶ経つし、比呂だって社長業が忙しく、レンジャーとしてダンジョンに潜ったことはもう何年もないはずだ。本件が取り越し苦労に終わって「お互い歳を取ったな」と苦笑して終われれば、それが一番良いのだが――。


 そんなことを考えつつ、英二は若い季節のまっただなかにいる二人に告げた。


「4階までは『シュート』を使って行く。二人とも、教習所で習ったことは覚えてるな?」

「もちろん!」

「魔法のエレベーターみたいなやつでしょ」


 その認識で概ね正しいのだが、決定的に違う点がひとつ。


「エレベーターと違って『籠』がない。魔法で構成された透明な力場に乗って『降りる』というよりスーッと『落ちる』って感じだな。高所恐怖症や乗り物に酔いやすい者は注意が必要だ」

「大丈夫だよおじさん! あたしもひめのんも絶叫マシン得意だから!」


 長い年月と莫大な工費をかけて建設されたシュートも、JCにかかると遊園地のアトラクションになってしまう。


 英二たちの番になった。


 係員に安全な姿勢についてのレクチャーを受け、入り口で発行されたチケットをもぎってもらう。確かにこの仕組みは遊園地そっくりだ。


「スカート、ちゃんと押さえておけよ。前に盗撮カメラが仕掛けられてたとかでニュースになってたからな」

「!!」


 未衣と氷芽はあわててスカートを押さえた。今日もセーラー服だ。早く冒険専用のユニフォームを作ったほうがいいのだが、正式な部になって部費が降りないと無理らしい。英二が出してもいいが、きっと二人は断るだろう。そういう子たちだ。


「舌噛むなよ。気分悪くなったらすぐに言え。じゃあ――行くぞ」


 英二が先陣を切ってシュートに飛び込んだ。魔法によって重力が極端に軽減された、青白く輝く大きな管(くだ)の中をスルスルと落ちていく。「エレベーターっていうより、ウォータースライダーだね」と氷芽が言えば、「お水流してくれたら涼しくていいのにねー」と未衣。まったく怖がる様子はない。



“キャーw はや~い”

“涼しげで いいですわね”

“ワタクシも すべりたーい!”

“流しそうめんに なった気分ですのー!”



 今晩はそうめんにしようと、英二は思った。


 3分ほど落ちると、次第に減速していった。

 最後はふわふわと羽根が舞い落ちるように、3人は地面に着地した。


「ここが、第4層かあ」

「真っ赤だね。動画で見た時よりずっと赤い」


 2層は青白い光を放つ燐鉱石に覆われていたが、ここは赤黒い岩――火燐岩(かりんがん)と呼ばれる鉱物を多く含んだ岩壁に覆われている。


「なんか暑くない? ひめのん」

「暑いね。サウナみたい」


 パチッ、パチッと焚き火をしている時のような音があちこちで響いている。

 火の粉のような微かな粒子も、空気中に漂っている。


「この音や火の粉は、火の精霊が活性化しているためだと言われている」

「それでこんな暑いんだ。精霊ってすごいんだね」


 未衣はピンク色のハンディファンで顔に風をあてている。


「精霊はダンジョンの神秘のひとつだからな」


 ダンジョンにあまねく存在する地・水・火・風の「四大精霊」の生態は今だ謎に包まれていて、モンスター以上に不明点が多い。「意思」はあるようだが、果たして「知性」はあるのか? ダンジョン生物学者のあいだでも意見が割れている。これだけ開発が進んでも、人類はダンジョンの全貌を把握できていないのである。


「昨日ラインで送った通り、今日のクエストは一度戦闘することだ。それで離脱する」

「本当に一度だけなの? せっかく来たのに?」

「そうだ」


 氷芽は不満のようだが、その額には早くも汗が光っている。


 気温が高く、酸素も薄いこの4層では体力の消耗が激しい。戦闘で興奮状態になると一時的に疲れを忘れるから、引き際を見誤りやすい。20年前、それで全滅したパーティーを見たのは一度や二度ではない。


 未衣が先頭、氷芽が真ん中、英二が最後尾といういつものフォーメーションで険しい道を歩く。


 それを最初に見つけたのは、コメント欄だった。



“何か いますの!”



 岩の隙間にチロチロと這い回る真っ赤な鱗が見えた。

 ひとつやふたつではない。

 体長30センチから50センチくらいの、鱗に覆われた生物が、無数に岩肌を這い回るのが見えた。


「きゃあっっ!」


 いつも強気な態度の氷芽が、声をひきつらせ叫んだ。


「と、とと、トカゲっ! むむむ無理っ!」


 それは、無数の赤いトカゲだった。


 炎のような赤の鱗に覆われたトカゲの群れが、目をらんらんと輝かせて、赤い舌をチロチロと覗かせながら行く手を阻んでいた。


「サラマンダーだ」


 英二は言った。


「火を司る下級精霊だ。火の中に棲息すると言われているが、ダンジョンでは火燐岩の隙間や地下火山付近にも潜んでいる」

「せ、精霊って、トカゲでしょ?」

「まぁ、形はそうだが」

「わ、私、トカゲとかヘビとか、ホント無理だから!」


 氷芽の震えは止まらない。未衣の背中に隠れてしまった。



“いつもクールな月島さんにも 怖い物がありましたのね”

“ブルブルしてる氷芽さん 超レアですの”

“あんなに可愛らしいトカゲさんですのにね”

“イヤ 可愛くはないでしょう?”

“ワタクシも トカゲは無理ですわ!”



「落ち着け」


 氷芽とコメント欄に向けて英二は言う。


「精霊は人間の敵じゃない。モンスターとは違うんだ。こっちから刺激しない限り、積極的に攻撃してくることはない」

「だけど、おじさん」


 サラマンダーの群れに対してナイフを構えたまま、未衣が言った。


「この子たち、何か怒ってるみたい」

「怒る?」


 その時である。


 1匹のサラマンダーが、シャッ、と短い鳴き声とともに氷芽に飛びかかってきた。


「いゃあああっっ!」


 年相応の可愛らしい悲鳴をあげてしゃがみこんだ氷芽をかばって、未衣がナイフを振るった。


「ひめのん危ないっ!」


 木洩れ日のナイフの放つ輝きに押されたように、サラマンダーは跳んで距離を取る。入れ替わりに別の個体が氷芽に飛びかかり、それをまた未衣がナイフで払う。


「なっ、なんで私ばっかり狙ってくるのさ!?」


 それは氷芽のまとう冷気のせいだろう、と英二は見ている。


 氷芽は氷系を得意とする呪文詠唱者(スペルキャスター)であり、常にその体から氷の魔力を微弱に放っている。相反する「火」の性質を持つサラマンダーはそれを嫌って攻撃しているのだろう。


 だが、それにしても、これはおかしい。


 好戦的すぎる。


 サラマンダーは本来、警戒心の強い精霊だ。冒険者が来るとさっと岩の隙間に身を隠してしまう。英二でさえ、こんな群れを為しているサラマンダーに遭遇したことはない。


 それが、集団で冒険者に襲いかかってくるなんて――。


 じっと状況を観察する英二に、サラマンダーたちは近づこうとしない。


 無数の赤い目が彼をにらんではいるのだが、様子を窺うばかりで、襲いかかろうとする個体は皆無である。


 英二がジロリとにらめば、それだけで、すごすごと後退する。


 それは圧倒的なレベルの違いを感じ取っているがゆえの行動だが、そのぶん、未衣と氷芽のほうに殺到してしまう。


「ねえ、なにをそんなに怒ってるの?」


 戦いながら、未衣が呼びかける。


「あたしたちが何かした? あなたたちの縄張りに入ってきたから? ちょっと落ち着いて話そうよ、話聞くよ?」


 まるで友達に呼びかけるような、未衣の言葉である。


 クラスの人気者らしい、悪く言えばのんきな行動であったが――意外に効果があるようだ。数匹のサラマンダーの動きが止まり、未衣を遠巻きに見つめるようになった。


(未衣は、精霊に好かれるタチだな)


 どうやら彼女は、伯母に似たようだ。

 彼女の伯母は、四大精霊すべて、しかも高位精霊と「契約(エンゲージ)」した唯一の冒険者だったのだ。


 とはいえ、やはり襲いかかるサラマンダーのほうがずっと多い。


 未衣は氷芽を背中にかばって奮戦しているが、さすがにこの数は捌ききれなかった。サラマンダーの放つ火の粉が防護魔法(バリア)を突き破り、未衣のスカートの裾を焦がし始めた。


「未衣! わたしのことはいいから!」

「まだまだ、このくらいっ!」


 木洩れ日のナイフのおかげで、未衣の体力はまだ残っている。もし普通の装備で挑んだなら、もうとっくにへばっていたところだ。


 だが、熱に対する耐性は別である。


「熱っ……」


 苦しげな声をあげて、未衣が転倒した。火をまとう尻尾に太ももを叩かれて、火傷を負ったのだ。


“きゃあっ 未衣ちゃん!”

“お逃げになって!”

“はやく はやく!”

“みぃちゃんの 可愛いお顔が! お顔がぁぁ”


 真紅の火が、未衣の愛らしい顔にも迫り――。


「――――――」


 それを目にした瞬間、英二の頭の中で「ぷつん」と音がした。


 普段、彼が自らの力を抑えるためにかけている暗示(リミッター)、それが外れた音だった。ずっと、押さえていたのに、熱くならないように戒めていたのに――亜麻色の髪の少女が傷を負った姿を見て、タガが外れたのだ。


「おい」


 低く唸るように、つぶやく。


「調子に乗るなよ。火トカゲ」

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