20 おっさん、うっかり本気出す
英二は低く呟いた。
「調子に乗るなよ。火トカゲ」
その瞬間――。
彼の全身から膨大な『冷気』、いや『凍気』が噴き出した。
“なっ、なんですの!?”
“急に 画面が しろく”
反応できたのは、そのコメント二つだけだった。
それまで怒濤のように流れていたコメントが、ふっつりと途絶える。
第4層の真っ赤な世界のすべてに、真っ白な「霜」が降りていた。
炎に包まれたサラマンダーたちも、白く染まり、その活発な動きを止めている。
うずまくった未衣と、彼女を助けようとした氷芽も、石像になったかのように静止している。
すべてが白い霜に染まり、凍結してしまった世界のなかで、ただひとり。
「いかん。やりすぎた」
頭をかいて、英二がぼやく。
火の精霊であるサラマンダーに対抗するため、氷魔法を発動しようとしたのだが――未衣の危機を目の当たりにして、力加減を間違えてしまった。サラマンダーをまとめて氷漬けにするつもりだったのに、他のものまで凍らせてしまったのである。
英二が凍らせたのは「時間」そのもの。
時を凍らせる、氷系究極魔法――。
20年前、地下91層で戦った『魔人ジェド・マロース』が使っていた魔法であり、今は英二だけが使える魔法となっている。
あまりにも反則すぎて、比呂は「俺、これは使えなくていいや」とドン引きし、宇宙の理までねじ曲げかねないということで「英二くん。もう使っちゃダメですよ」と舞衣に約束させられた禁呪だった。
「20年ぶりだけど、ちゃんと凍るもんだな……」
言い訳めいた言葉を口にしつつ、
(すまん)
英二は、心のなかで舞衣に謝った。
(お前の姪っ子が傷つけられて、カッとなった。もう二度と使わない。許せ)
そう念じながら――英二は魔法を解いた。
純白の霜がサーッと風が吹き去るようにかき消えて、再び、炎の赤が支配する世界へと戻っていく。
「あ、あれっ?」
動き出した時のなかで、未衣がきょとんとした声を出した。
「何が起きたの? あたしたち、助かったの?」
「そうみたいだね」
答える氷芽も、何度もまばたきしている。
“あっ 画面が戻りましたわ”
“なんだったんですの?”
“通信障害?”
“Wi-Fiさんがおサボリしてましたの?”
コメント欄も元通りになったようだ。
「よく頑張ったな未衣。見直したぞ」
「おじさんが、助けてくれたの?」
「最後にちょっとだけな。でもほとんどはお前の力だよ」
氷芽が駆け寄ってきた。
「未衣、太もも火傷してる。見せて」
「だ、大丈夫だよ。このくらい」
「ダメだから。ちゃんと見せないと、怒るから」
氷芽の目には涙が浮かんでいた。
氷芽は腰のアイテムボックスからポーションを取り出して、光る粉を未衣の太ももに振りかけた。回復魔法がこめられた特殊な粉末である。通販の最安値で買っても1個8千円はくだらない品を、氷芽は惜しげもなく親友のために使った。
「早く、正式な部にしてさ」
鼻をすすりながら、氷芽は言った。
「回復職やってくれる部員、探そう?」
「うん! きっと見つかるよ!」
そんな氷芽を慰めるように、未衣は明るく笑うのだった。
そんなわけで、バトル終了――。
アイテム検分の時間である。
「さて、お前ら。どうする?」
英二が聞いたのは、倒したサラマンダーの処遇だ。
無数のサラマンダーたちは、地べたで仰向けになり、ぴくぴくと四肢を動かしている。陸に打ち上げられた魚のような光景だが、彼らは絶命したわけではない。
「今は力を失って動きを止めているが、しばらくしたら復活するぞ。その前に魔核を奪ってしまうか? サラマンダーの魔核は火系マジックアイテムの素になるから、高値で売れる。これ全部持って行けたとしたら……そうだな、ざっと見積もって4000万円くらいにはなるか」
一流のA級レンジャーに依頼しても、これだけまとまった数を揃えることは難しい。もしかしたら世界初の例かもしれない。
“4000万はすごいですわね!”
“ふ、ふん、そのくらい、お父さまの年収くらいですわ”
“そのお父さまの収入シリーズ やめません?”
“大金すぎますの!”
“八王子ならマンションが買えてしまいますわー”
値段の大きさに、お嬢様たちも色めき立っている。
しかし、未衣と氷芽は首を横に振った。
「今回はあたしたちが倒したわけじゃないもん」
「そうだよ。藍川さんが倒したのに、そんな大金もらえないよ」
「つくづく無欲だな、お前ら」
「それはおじさんもでしょ。4000万円あったら、あのぼろアパートから引っ越せるのに」
「ぼろは余計だ」
それにさ、と未衣は付け加える。
「スライムはあたしを食べようとしてきたから倒すしかなかったけど、この子たちは違うと思う。人間が何かしたから、攻撃してきたんじゃないかな?」
「怒りの原因は、俺たちの方にあると?」
「あたしの勘だから、アテにはなんないけど」
ふむ、と英二はあごに手をあてた。
臆病なはずのサラマンダーが群れで襲ってくるというのは、確かに、防衛本能の表れかもしれない。
英二としては、例のダンジョンの異変と結びつけて、精霊が凶暴化しているのかと思ったのだが――。
「未衣の勘を信じて、魔核は奪わずにおこう」
「やったあ! だからおじさん好きっ!」
軽やかにスキップしながら、未衣はサラマンダーに近づいていった。「ちょっと!?」氷芽が声をあげる。英二も驚いた。さっき重傷を負わされた相手に、怖れず近づいていく。無邪気な笑みさえ浮かべて、親しげに話しかけようとしている。そんな子がいるだろうか?
「ごめんね、サラちゃん」
火を司る精霊は「サラちゃん」呼ばわりされて、きょとんとした瞳をポニーテールの少女に向けた。
「きっとあたしたちが急に来たから、びっくりしたんだよね。すぐに出て行くから、許してね」
サラマンダーはそれに応えるかのように「きゅうっ」と小さく鳴いた。
他のサラマンダーも息を吹き返し始めた。おそらく100匹近くいる彼らは一斉に起き上がって、未衣のことを静かに見つめている。「ひっ」と氷芽が英二の背中に隠れる。確かに恐ろしい光景には違いない。だが、その真っ赤な瞳はさっきより穏やかに見える。
「ありがとう。許してくれるんだね」
未衣は白い指先で「サラちゃん」の頭を撫でた。火の精霊がまた「きゅうっ」と鳴く。すっかり懐いているようだ。
「今なら契約(エンゲージ)できるぞ、未衣」
「契約?」
「精霊は、自分が認めた人間に力を貸してくれるんだ。お前にその気があるなら、小指の先を切って血をサラマンダーに飲ませてみろ」
未衣は言う通りにした。
サラマンダーの細長い舌が、未衣の血がついた指を舐める。
「ひゃううっ」と未衣がくすぐったそうな悲鳴をあげる。
すると、不思議なことが起きた。
サラマンダーの体が赤い光に包まれて、野球ボールくらいの球体となり、未衣の胸に吸い込まれていったのだ。
「これで火の精霊がお前の体に宿った」
「宿ると、どうなるの?」
「精霊の加護で、お前の放つ攻撃にすべて火属性を付与できる。火の防御耐性もついた。この第4層の気温、今はどう感じる?」
「そういえば……なんか涼しい?」
「気温は変わってない。お前が熱に強くなったんだ」
さっきまでハンディファンを使っていたのに、未衣はもう汗をかいていなかった。
「えっと、つまり、今年の夏はエアコンいらずってこと?」
「いや。精霊の加護は魔法と同じくダンジョン限定だ。地上では普通に暑いと思うぞ」
なあんだ、と未衣は笑ったが、精霊と契約できる人間はごくわずかしかいない。
興奮したように氷芽が言った。
「これって、未衣が『精霊剣士』(エレメンタル・ブレーダー)になったってことなの?」
「その一歩を踏み出したということかな」
精霊剣士とは、世界でも数人しかいないとされるレア職業である。契約した精霊の力を自在に操り、それを剣技に応用する。もっとも有名なのはウェールズダンジョンを根城(ホーム)とする英国のレンジャー、アイリス“プリンセス”ヒル。彼女はフロストジャイアント討伐など、華々しい成果をあげている。
英二の記憶が正しければ、アイリスは14歳の時に初めて精霊と契約したはずだ。
朝霧未衣は、世界的に有名な一流レンジャーよりも、1年先んじたことになる――。
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