07 JCの初バトル


 大きなしずくが、遙か頭上にある岩の天井から落ちてきた。


 ネチャッという音ともに地面にあたり、しぶきが未衣たちの足元まで飛んでくる。


 それは、真っ赤な色をしていた。


「きゃっ、血?」

「よ、よく見てよ未衣。そんなわけないよ」


 身を寄せ合って怯える二人の前で赤いしずくは集まってひとかたまりになり、軽自動車くらいの大きさの「ぶよぶよ」へと姿を変えた。

 

 スライムである。


 この鮮やかな赤色は、ダンジョンの岩壁を覆う燐光石の魔力に影響されたためだと言われている。


「大型のルージュスライムだ。危険度はE。初めてでも十分倒せる相手だ」


 英二は落ち着いた声でアドバイスした。


「物理攻撃は効果が薄いから、氷芽の魔法を中心として戦闘プランを組み立てろ。狙うのは体内にある小さな魔核(コア)だ」


 未衣はごくりと唾を飲み込んで頷いた。

 

 氷芽も杖をぎゅっと握りしめる。



“でででで、出ましたわ!”

“実物のスライムさん!”

“やーん あんまり可愛くありませんわ!”

“でも綺麗な色!”



 コメント欄もざわついているが、今の未衣と氷芽に見る余裕はなさそうだ。


「大丈夫、教習を思い出せばできる。お前たちならやれる」


 配信にも乗るように、英二はわざと大声を出した。


「――来るぞ!」


 スライムがぶるぶるっと震動して、バッタのように高くジャンプした。


「キャッ!」

「跳んだ!?」


 悲鳴に近い声を二人はあげた。


 初心者が特に驚くのが、このスライムの見せる敏捷性、跳躍力だ。そのヌメヌメとした体からは想像もできない素早さを備えている。地下一層にいる飼い慣らされた家畜スライムとは違い、低級とはいえ「モンスター」なのだ。


「やっ、やだっ、こっち来ないでっ!」


 亜麻色のポニーテールを振り乱して、未衣は剣を振り回した。そんな攻撃があたるわけもなく、銀色の刃が空を切る。


 人間をエサと見なして、体内に取り込み消化しようとするのがスライムだ。


 ダンジョンマスター亡き後、モンスターは大幅に弱体化している。かつては「触れただけで服や皮膚が溶ける」特性を持っていたルージュスライムだが、今はそこまで強い酸性はなく、肌がピリピリする程度。


 しかし、取り込まれたら窒息する危険はある。


 そもそも「粘液に体ごと浸かる」なんて体験、13歳の女の子にしてみれば死んでも嫌だろう。


「あっ、やだっ。髪に……」


 べとっとした赤い粘液が未衣の髪にかかり、彼女は目に見えて怯んだ。いつも元気な瞳に涙がじわっと浮かび、尻餅をついた。


 そこにすかさず、スライムの本体が覆い被さってくる。


 未衣がぎゅっと目を閉じたその刹那――スライムの体が二つに割かれ、千切れ跳んだ。


“なっ なんですの!?”

“何も見えませんでしたわよ!?”

“反撃したんですのね!”

“さすが未衣ちゃん!”


 もちろん、未衣の仕業ではない。


 英二が「無刀」を振るったのだ。


 コメント欄が気づかなかったのも無理はない。英二はずっとポケットに手を入れたままだからだ。


 しかし、これには理由がある。


 英二の拳が刀だとしたら、ポケットは鞘だ。


 そして英二は「居合い」の達人である。


 攻撃するその一瞬だけ、常人には見ることすらできないスピードで「抜剣」する。その動きによって発生した「衝撃波」が、熟練の剣士ですら切ることが困難なスライムを引きちぎったのである。


(手を貸すつもりは、なかったんだがな)


 未衣の危機に、つい手が出てしまった。


 こういうのを「親馬鹿」というのだろうと自嘲しつつ、英二は指示を飛ばす。


「泣くな、未衣。落ち着いてもう一度だ」


 泣きべそをかきながら、未衣はそれでも立ち上がって剣を構え直した。


 千切れ飛んだスライムはウネウネと地面を這ってまた元の塊に戻ろうとしている。


「弱っている今がチャンスだ。魔法で動きを止めて、そのスキに魔核を突け。――氷芽」

「言われなくてもわかってるよ!」


 氷芽は魔法杖(マジックワンド)を右手に持って水平に構えた。高く澄んだ声で呪文を詠唱する。綺麗な声だ。きっと彼女は歌もうまいのだろう。「カラオケがうまい子は、魔法もうまいんですよ」。それは、かつて舞衣が言っていた言葉だった。


“でましたわ、氷芽さんのお歌!”

“さすが鳳雛の歌姫!”

“歌ってみた20万再生越えはダテじゃありませんわよ!”

“お喰らいなさい スライムさん!”


 氷芽の黒髪がなびき、魔法が発動した。


 たちまち周囲が青白い霧に包まれる。


 氷魔法レベル1に属する呪文「氷霧」(アイスミスト)である。術者の指定した範囲に、低温の霧を発生させて敵の動きを鈍らせる。氷芽はまだ使い慣れてないため、熟練者の半分ほどの威力だが、それでもスライムの動きを鈍くするには十分な効果があった。


 氷芽の隣で目をこらしていた未衣が叫ぶ。


「あった! 魔核だ!!」


 魔核。それはすべてのモンスターに共通する力の源であり、弱点である。どんな大きなモンスターでも、魔核は人間の握りこぶしほどの大きさしかなく、それを突けば倒せる。


 未衣はまっすぐに突き進んだ。鋭い踏み込みだ。さっき怖い目に遭ったのに、その恐怖を振り払うことができている。きっとこの子は強くなるだろうと英二は思った。


「やあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 振り下ろされた白刃が魔核を真っ二つに切り裂く。


 ぱぁん、と風船が弾け飛んだような音とともに、ルージュスライムの紅い体は光の粒子となって消えてしまった。


「た、倒した……?」

「殺しちゃったの?」


 呆然とつぶやく未衣と氷芽に、英二は言った。


「殺しちゃいない。ヤツらが元いた世界に帰ったんだ。魔核を失ったモンスターは、この世界での体を維持できなくなるからな」

「元いた世界って?」

「……さあな」


 それは「魔界」と呼ばれる場所だ。


 だが、そのことは一般には知られていない。ダンションマスターからその事実を聞かされたのは、英二たち三人だけである。


 そんな古い話はともかく――。


「初勝利だな」


 英二が言うと、未衣と氷芽は顔を見合わせた。


「あたしたち、やれたんだ」

「うん。やれた。魔法も、ちゃんと使えた」


 呆然とした顔をつきあわせた二人は、次の瞬間に飛び上がって喜びを爆発させた。


「ぃやったあああああああああ!! 初勝利! はつしょうりぃっ!!」

「魔法! 魔法が使えた! 私、本物の魔法使いになれたんだ!」


 未衣はもちろん、氷芽まで大声で叫んでいる。


“おめでとう未衣ちゃん! 氷芽さん!”

“お二人ならやれるって信じてましたわ!”

“我が鳳雛の誇りですわよ!”

“どんどんどんですわー ぱふぱふぱふーですわー”


 コメント欄も祝福の嵐である。


 こうして二人は、初戦闘を初勝利で飾ったのだった。

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