31 おっさん、お見舞いに行く
第5層・地下湖畔での騒動から、3日が経過した。
8月20日。
世間的には夏休みもそろそろ終盤にさしかかる時期だが、英二は毎日多忙をきわめている。第1層を見学するツアー客はますます増えて、予約が取れないほどの状況になっている。2層以下に潜る冒険者も、このまま行けば過去最高を記録するだろう。夏の富士山登山者すら越える数の冒険者たちが、ダンジョンに詰めかけているのだ。
ダンジョン開発・建設業の株は軒並み高騰し、平成バブル再来の様相を呈している。
民間に目を移せば、観光業はもちろん、探索用グッズなども売れに売れている。
エンタメ業界でも、ダンジョンをネタにしたマンガやアニメが大人気。
ダンジョン配信界も、チャンネル登録者一千万人を超えるインフルエンサーが、雨後の竹の子のように次々と誕生している。
まさに世界はいま、大・ダンジョン時代――。
「おはよう藍川くん!」
朝、出社した英二がデスクのPCを起ち上げていると、課長がルンルンな足取りで事務所にやってきた。気色悪い。
「営業からのレポートは見たかね? 我が社は今月、創業以来の最高営業利益を叩きだしているそうだ。いやあ、これは冬のボーナス期待できそうだな!」
珍しく上機嫌な上司の戯れ言を聞き流しつつ、英二は昨日途中にしていたデータ集積作業を再開した。
観光客と冒険者の増加の裏で、モンスターの活性化も、やはり続いている。
一昨日は、他社のツアーで、家畜スライムが観光客を襲うという事件も発生していた。幸い、すぐに救助されて怪我人はなかったようだが――。
「課長」
「ん? なんだね?」
「一昨日の家畜スライムの件、どこのマスコミも大きく報じていないようですが」
課長はすっと視線を逸らした。
「そんなことはないだろう。確か昨日、MXのニュースでやっていたよ」
「MXは、東京ローカルじゃないですか」
「まあ、だから、ローカルニュース程度だってことだよ。大騒ぎするほどのことじゃない」
お茶をひとくちすすって、課長はこう続けた。
「他社のことなんだから、うちには関係ない」
(関係ない、か)
果たしてそうだろうか。
例のドラゴンバスタープロジェクトは、今この時も着々と進行しているはずだ。
切崎塊を叩きのめしたところで、その流れは止められない。いくら現役最強だのと言われていても、彼は結局「飼い犬」に過ぎない。飼い主にしてみれば、彼を捨てて新しい犬を飼い始めるだけのことである。
大きな社会のうねりの前に、一個人の力は無力。
スライムの件ひとつとってもそうだ。
大事にしないようにマスコミに圧力がかかっている――というのは考えすぎかもしれないが、政府が、いや、この国の社会全体がダンジョンの危険から目を逸らそうとしているように英二には感じられる。
そう、まさに今の課長のように。
何か不都合なことがあっても「儲かってるんだから、構わない」という理屈を押し通そうとしている。
ある意味、それはしかたのないことだと英二も思う。
仮にそれで、この日本をかつてない大破局(カタストロフィ)が襲うとしても、それは自分たちの世代が過去に犯した罪を清算するだけのこと。みんなで潔く滅ぼされようじゃないかと英二は覚悟している。
だが、その大破局に、昔のゴタゴタとは何も関係ない少年少女たちまで巻き込んでしまうのは、果たして許されることなのだろうか?
「おはようございます!」
椎原彩那が今日もチャーミングな笑顔とともに出社してきた。
「主任、ネットニュース見ましたか?」
「? いや、見てない」
「ほら、前にお話しした、すごく強い正体不明の中年男性」
ああ、と英二は無精髭の目立つあごを撫でた。
「フェイク動画だったってことで、化けの皮が剥がれたんだろう?」
「そうなんですけど――実はその後、新たな動画が見つかりまして。ほら、新宿の会議の時にいた切崎っていうレンジャー。あの切崎氏を、その男性がボコボコにする動画が出回っているんです」
あごを撫でる英二の手が止まった。
「動画? 撮られてたのか?」
「ええ。現場に居合わせた作業員が自分のスマホで撮影したものらしく、画像は粗いのですが、おそらくあの中年男性に間違いないと」
あちゃあ、と英二は天井を仰いだ。
あそこは穴場だからニチダンの監視カメラも入ってないだろうと、すっかり油断していた。まさか撮られていたとは……。
「その動画なら、私も見たよ」
課長まで嬉々として話題に入ってきた。
「いやスカッしたね! あの切崎って若造は生意気だったからな。ダンジョンビジネスのことなんか何もわかってない腕力野郎のくせに、偉そうに有識者ぶって。これでちょっとはおとなしくなるだろう。なあ、藍川くん」
「はあ、まあ」
曖昧にやり過ごし、英二は彩那に問うた。
「例によって、男の顔にはモザイクかかってたんだよな?」
「はい。不思議ですよね。個人が撮影した動画なのにモザイクなんて。撮影者がプライバシーに配慮したんでしょうか?」
「うむ。きっとそうだ。そうに違いない」
頷きながら、内心、冷や汗ものである。もちろんそれは誰かの「配慮」ではなく、英二がかけていた認識阻害魔法が有効だったからである。
課長と彩那は、まだ動画の話題で盛り上がっている。
「いったい何者なんだろうなあ、あの男。一度会ってサインでももらいたいもんだ」
「レンジャー協会に問い合わせてもわからないそうですよ。ミステリアスで素敵ですよね」
お前らのすぐ隣にいるけどな、と思いつつ、英二はこめかみを軽く指で揉み込んだ。
どうも疲労がたまっている――が、今日はこの後、行かなくてはならないところがある。
あれから3日。
自分のことより、彼女たちのことが気に掛かる英二である。
◆
多摩西部地域病院。
氷芽が入院しているのは、多摩センター駅からバスで十分ほどのところにある大きな総合病院である。
ホテルのロビーのように広い待合室に行くと、未衣が立ち上がって大きく手を振ってきた。
「おじさん、来てくれてありがとう」
「すまん。もっと早く来るつもりだったんだが、仕事がありすぎてな」
親子ほども離れた二人は並んでベンチに座った。
「それで、どうなんだ。氷芽の様子は」
「うん。もうすっかり回復して、明日には退院できそうだって。ひめのんのママが言ってた」
ほっと英二はため息をついた。
三日前のあの事件の後、英二は氷芽をおぶって地上へと戻り、タクシーで自宅まで送り届けた。その際に挨拶した氷芽の母――月島雪也の妻は、英二にこう言っていたのだ。
『本当は、この子には、ダンジョンに潜って欲しくはなかったんです』
視線を斜めに傾けながらそう告げる美しい未亡人に、英二は何も言うことができなかった。
その翌日から氷芽は高熱を出して寝込んだ。ダンジョン内だけでかかる感染症の類いが疑われたが、幸いにして、原因は過労とストレスとのことだった。しかし母親が大事を取り、亡き夫の知人が経営するここに入院させたのだという。
「実はあたし、ひめのんに会えてないんだ」
うつむいて、スカートの膝のところをぎゅっと掴みながら、未衣は言った。
「疲れた顔をあたしには見せたくないってラインが来て。これってやっぱり、避けられちゃってるのかな」
「そんなことない」
英二は未衣の肩を叩いた。
「氷芽のことだから、きっと照れくさがってるだけさ」
未衣は小さく頷いた。だが、その表情は暗い。
「ひめのん、また一緒にダンジョン潜ってくれるかな。螺旋衝撃剣の練習、また一緒にしてくれるかな。おじさん」
すんっ、と未衣は可愛らしく鼻を啜る。
「あたし、なんにも知らなかった。ひめのんがそんなつらいことを隠して、潜ってたなんて。知らなかったの。あたしがダンジョン部作ろうって誘った時も『未衣が行くなら、私も行くよ』って。それしか言わなかった。あたしが楽しいから、ひめのんも楽しんでるってそう思い込んでた。でも、ひめのん、つらかったのかな? ダンジョン潜るのつらかったのかな? だとしたら、あたし……」
最後は嗚咽となった。
胸に飛び込んできた未衣を、英二は優しく受け止めた。その透明な涙がシャツを濡らしていく。セーラー服の少女をそんな風にする中年男性に、世間の目は厳しい。じろじろと見られながら、しかし、英二は未衣を突き放すことはしなかった。
「そんなはず、ないから」
彼女の頭を撫でながら、言い聞かせるように英二は言った。
「あいつのダンジョンに賭ける情熱は、本物だよ。きっとあいつは、あいつなりの覚悟を持ってダンジョンに潜ってる、いや、挑んでるんだ。地位やカネのためじゃない、何か別の、かけがえのない何かを探すために、あいつは過酷なダンジョンに挑んでいるんだ。だから――」
そこで英二は、未衣の体をそっと引き剥がし、彼女の濡れた瞳を見つめた。
「だから、お前も挑め」
「……っ」
「お前だって、ただの好奇心でダンジョンに潜ってるわけじゃないんだろう? なあ、朝霧未衣」
未衣の瞳に、少しずつ、力が戻っていくのが見えた。
「わたしは、おじさんや舞衣おばさんみたいな、本物の冒険者になりたい。それがあたしの夢。――ううん、目標だから!」
よし、と英二は頷いた。
「氷芽のことは、俺に任せろ」
「おじさん?」
「友達同士じゃ照れくさくって話せないこともあるだろう? そういう時こそ、年食ったおっさんの出番さ」
英二は微笑み、片目をつむってみせた。
「ここは年の功に頼っておけ」
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