38 深愛


(どうして、私は、藍川 あいかわさんにあんなことを言ってしまったんだろう)


 殺風景な病室。


 開け放った窓のそばに、ただひとり、月島氷芽は佇んでいる。


 七階の病室からは病院のエントランスが見下ろせる。ロータリーに中型バスが何台も連なって停車していて、病人を次々に避難させている。重病人や子供、老人が優先とされているが「院長の恩人の娘」である氷芽も、その優先リストに入れてもらえた。だが、彼女は謝絶した。最後でいいと職員に伝えて、自らも避難を手伝った。「英雄の娘」だからって特別扱いはされたくなかったのだ。


 そして――。


 最後のバスが出て行くのを、氷芽は病室で見送っている。


 避難はしたくなかった。

 逃げ回りたくない。


 もし、ここでRの襲撃を受けて死ぬのなら、それが自分の運命。

 潔すぎる潔癖さが、今の氷芽にはあった。


 あるいは――ただ自暴自棄になってるだけなのかもしれない、とも思う。


 彼女は後悔していた。


 なぜ、藍川英二にあんなことを言ってしまったのだろう。



『私も、いつかあんな風になるのかな』

『あの切崎が言ってたみたいに。仲間はパーツにすぎないって。生き延びるための道具にすぎないって、そんな風に思うようになるの?』

『大切な友達のことを、未衣のことを、そんな風に思う日が来るの?』


 

 氷芽の心にあるむき出しの弱さが、その言葉が言わせた。


(自分が友達を見捨てるような醜い人間だったらどうしよう?)


 そんな弱さを、氷芽は、初めて出会えた「信頼できる大人」に吐露してしまったのだ――。


 その時、病室のドアをノックする音が響いた。



「ひめのん。やっぱりまだいたんだ」



 開かれたドアの隙間から、おずおずとポニーテールの少女が顔を覗かせる。


「未衣? 避難しなかったの!?」

「バスには乗ったよ。でも、看護師さんからひめのんがまだ残ってるって聞いて。気がついたら、バス降りてた」

「気がついたらって……」


 エヘヘと未衣は照れくさそうに笑った。


「入っても、いい?」

「……うん」


 未衣はにっこり微笑むと、ごく自然に氷芽の隣へと歩み寄った。


「避難命令はね、さっき解除されたんだよ」

「えっ、そうなの?」

「うん。ドラゴンがね、横浜のほうに飛ばされて行っちゃったから」

「飛ばされて……?」


 首を傾げる氷芽に、未衣はスマホを差し出した。


 そこには、未衣が自分で撮影したと思しき動画が映し出されている。ドラゴンが「雷が集まって出来た巨大な球体」によって包み込まれて南東の方角へと飛んでいく様子が、望遠の粗い画質だがはっきりとわかる。


「これって、きっとおじさんの力だよね。ドラゴンを八王子から引き離したんだよ」

「どうしてわかるの?」

「だって、こんなことできるのって、あたしのおじさんしかいないもん」


 その言葉にも声色にも、未衣の英二に対する信頼と尊敬が満ち満ちていた。


「ひめのんはどう思う?」


 問われて、氷芽はいったんまつげを伏せた。しばらく間を置いた後、確信を持って告げた。


「私も、藍川さんしかいないと思う」

「だよね!」


 嬉しそうに未衣は笑った。


「おじさん、戦うつもりなんだよ。ドラゴンと」

「そんな、どうやって」

「わかんない。でも、だったらあたしたちも行かなきゃ!」


 氷芽は目を丸くした。


「行くって、私たちも一緒に戦うってこと?」

「そうだよ」

「無理だよ、なんの役にも立たない」

「かもしれないね」


 未衣は否定しなかった。だが、その表情は吹っ切れている。


「それでも、あたしは行きたいの。だってパーティーだもん」

「……パーティー……」

「そう。決戦に向かう仲間をひとりで行かせるわけにはいかないでしょ?」


 ズキン、と氷芽の心が疼く。


「だ、ダメだよ。かえって足手まといになる。来るなって言われるよ」

「実はもうラインしたんだ。おじさん、来るなとは言わなかった。『それなら比呂に連絡を』ってそれだけ。たぶん好きにしろってことだと思う」


 氷芽は激しく首を横に振った。

 

「行く意味がないよ。私たちなんて、藍川さんにしてみたら、ただのお荷物。螺旋衝撃剣だってまだマスターできてない、まだ何もできない子供で」


 そう言いながら、氷芽は必死に言い訳をしてる自分に気づいた。


「ひめのん」


 未衣は氷芽の両肩をゆさぶった。


「意味があるか決めるのは、あたしたちじゃないよ。おじさんだよ」

「……!」

「そして、おじさんなら仲間に『お荷物』なんて言わない! それとも、ひめのんの中のおじさんは、そういう人なの? そんな風に見えていたの?」


 いつしか未衣は涙ぐんでいた。


 氷芽の両肩に置かれてる手も、ぶるぶる震えている。


 未衣も怖いのだということに気づいたのは、ようやくこの時だった。そう、未衣はそういう子なのだ。元気で無邪気に見えて、本当はさみしがりでこわがり。それでも、友達の前ではにこにこ笑ってる。そういう子だから、自分みたいなへそ曲がりにも声をかけてくれたのだ。


「だって、私」


 氷芽の目から涙が溢れ出した。


「私、藍川さんにも、未衣にも、何もしてあげられてなくて。助けてもらってばかりで。こないだも、今までも」

「そんなことないもん!」


 未衣も同じように泣いていた。


「ひめのんは、ここにいるもん。一緒に居てくれるもん。一緒にダンジョン潜ってくれたもん。お父さんのことで、辛い思いしてたのにさっ。きっとさみしかったよね、あたしだってお父さんいないから、わかるもん。それがどれだけつらいのか。寂しいのか――なのに、ひめのんはそんなこと、ひとことも言わずに、あたしと一緒に、ダンジョン部作ってくれて。一緒に冒険してくれて」


 涙に濡れた頬がくっつきあうほど、顔が近づく。


「何かしてくれるから仲間なんじゃないよ? ただそこに居てくれるから、仲間なんだよ?」


 ぐしゃぐしゃになった顔を、近づけ合う。


「私で、いいの? 私なんかで、いいの?」

「なんかじゃなくて、ひめのんじゃなきゃダメなんだよ!」


 未衣はぎゅっ、と強く氷芽を抱きしめた。自分より背の高い親友を、力いっぱい、抱きしめている。


「だから行こう。おじさんが向かった場所へ。同じパーティーの仲間として!」


 氷芽はパジャマの袖でごしごしと涙を拭った。


「わかった。行こう!」


 さっきまでの胸のモヤモヤがすうっと消えていくのがわかった。


 この夏の青空のように晴れ晴れとした気持ちだ。


 いったい自分は何を怖れていたのだろう。「仲間を見捨てる時が来る?」。違う。そんな風に言いながら、逆に自分が未衣と英二を見捨てようとしていたのだ。勝手に自分は役立たずと決めつけて、彼らから「いらない」と言われる前に、逃げようとしていたのだ。


 ばちん、と音がした。


 氷芽が、自分の両頬を挟むように叩いたのだ。


「痛そうっ、どうしたの?」

「気合い入れた」

「せ、せっかくつよつよ顔面に生まれたのに、もっとお顔大事にしようよー」

「知らない。着替えるから」


 言いながら、もう氷芽はパジャマから袖を抜いている。白い柔肌とすらっとした四肢があらわになり、衣擦れの音とともに颯爽とセーラー服を身につけていく。


 もう、すっかりいつもの彼女。


「鳳雛の歌姫」なんてあだ名されるクールな美貌を取り戻している。


「比呂ってひとに連絡しないでいいの?」

「うん。あと5分くらいでニチダンの車が迎えに来ると思う」

「あ、もう連絡してたんだ?」

「そうだよ! ひめのんならきっと、一緒に行ってくれると思ったから!」


 ぶっ、と氷芽は吹き出した。


「なんかそれ、ずるい」

「ず、ずるくないもん! ひめのんなら間違いないと思ってー!」


 ムキになって肩をぽかぽか叩いてくる未衣とじゃれ合いながら――氷芽は思う。



(未衣)


(未衣のとなりは、あったかいね)


(こんなに冷たくて、無愛想な私だけれど)


(それでも、私)


(これからも、未衣のとなりを歩きたいから)


(もう――弱虫はやめる)

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