26 おっさん、友達と吞む
午後六時すぎ――。
LINEに送られてきた店は、新宿オフィス街のはずれにある隠れ家的なうなぎ店だった。比呂がひいきにしてる店で、何度か二人で飲んだことがある。
うなぎの供養塔のある玄関から暖簾をくぐると、上品な女将が出迎えてきた。掃除の行き届いた廊下を案内されて、奥の座敷に通される。
「やあ、藍川くん」
「よお! 先に飲(や)らせてもらってるぞ」
黒岩長官と比呂が向かい合って座っている。すでにビール瓶が三本、空になっていた。長官の酒量は知らないが、比呂はかなり飲む方だ。
背広を脱いで女将に渡して、比呂の隣に腰を下ろす。
「藍川くんは飲み物何にする?」
「日本酒、而今をいただきます。あと和(やわ)らぎ水を」
三人で乾杯した。
コップを一気に飲み干して、唇に泡をつけたまま比呂が言った。
「いやあ、それにしても今日は痛快だったな! あのガマガエルの泣きっ面が見られるとは!」
「嫌いなのか? あいつのこと」
「嫌いに決まってるだろ。うちのシェアを食い荒らしてきてるからな、ダンジョンリゾートは」
「私怨じゃないか」
「ああ、私怨だとも!」
ふんっ、と胸を張ってみせる大企業の社長である。
「まあまあ、来栖くんも大勢の社員や株主を抱える身だからね」
黒岩長官が助け船を出すと「その通りっす!」と膝を打ってみせる。このノリは本当に高校生の頃から変わらない。
旧友のグラスにビールを注ぎつつ、英二は長官に尋ねた。
「そんなに景気がいいんですか、ダンジョンリゾートは」
「いいね。ここ最近は建設業界にも大きく食い込んできている。一昨年、アメリカのタイラント社と業務提携してからの伸びは相当なものだよ」
米国の企業タイラント・マードック社は世界一の軍需企業と言われている。西側諸国の軍隊すべてに食い込み、その規模はさすがのニチダンも敵わない。
「この二十年というもの、タイラント社はダンジョンテクノロジーの軍事利用に血道を上げていた。しかし近年はN.Y.ダンジョンの開発に陰りが見えてきて……」
「そこで、日本の八王子ダンジョンに触手を伸ばしていると」
「そーいうことさ」
注がれたビールをすぐに飲み干して、比呂はぼやいた。
「あんなガマガエルはどーでもいい。しかし、そのバックにいるタイラント社には要注意だ」
「同感だね。彼らは八王子ダンジョンから、軍事に転用できそうな技術や資源を盗むつもりだろうから」
長官の言葉に、英二は苦みを感じた。
20年前、多くの少年少女たちが青春と命を捧げた場所が、金儲けのために利用される。軍事技術に利用されて世界中の人々の命を奪う。その想像はけっして愉快なものではない。
「それにしても――」
半分減ったグラスを手にしたまま、長官がつぶやいた。
「レッドドラゴン、いや『R』に知性があるという話は本当なのかい、藍川くん」
「おそらくは」
杯から口を離し、英二は答える。
「以前同じ『古竜種』のサンダードラゴンと戦った時、そう感じました。彼らは高い知性を持ち、人間を試している。その目的まではわかりませんが」
「魔族とは違うのかね? いわゆる魔界の住人とは違うと?」
「違いますね。おそらく彼らは『竜』という種族というより、一個体で完結している究極生物(アルティミット・シイング)なのでしょう。人知を越えた存在です。その目的や思惑がわからない以上、刺激することは避けるべきです。もし迂闊に手を出せば――最悪、地上に侵攻してくるかもしれない」
「21年前のギガンティスみたいに、か」
左脇腹をさすりながら、比呂が言った。古傷が痛むのだろう。
21年前、高校二年の春、ダンジョン70層付近に棲む巨人族が地上侵攻を目論み、10メートル以上はある巨人の群れ100体以上が地下一層まで上がってきたことがある。巨人を水際で食い止めるため、英二たちは最前線で戦った。日本ダンジョン史上最悪と言われる158名の犠牲を出して、からくも撃退したのである。
今も「ギガンティスの拳跡」が一層の壁に残っていて、観光名所になっているくらいだ。
「そんな事態は、何が何でも避けねばならないけれど――」
沈痛な声で長官が言った。
「申し訳ない、藍川くん。君の貢献は無駄になってしまうかもしれない」
「どういうことでしょうか?」
長官はグラスを置いた。
「ダンジョンリゾート社が急成長している理由は、米タイラント社と提携したこと以外にもうひとつある。我間代表のお義父上が、津山臣人(つやま・おみと)なんだ」
「津山……」
それは、現職の国土交通省大臣の名前であった。
総理の経験もある政界の重鎮である。
「確かかなりの高齢ですよね。もう80近いのでは?」
「だよなあ。俺らが高校生の時に、もう爺さんだったもん。老害の権化じゃないか。ほんっと、この国って老人がずーっとのさばってるよな」
比呂は空のグラスに自分でビールを注いだ。飲まなきゃやってられない、と言わんばかりだ。
「我間代表は、その津山大臣のルートを使って、今回のドラゴンバスタープロジェクトをねじ込んできている。今日のところは、藍川くんのおかげで引き下がってくれたけれど……」
「また、大臣の名前で圧力をかけてくるというわけですね」
「その通り。そうなったらもう、私ごときの力ではどうにもできない」
申し訳ない、とまた長官は頭を下げた。
この光景をうちの課長あたりが見たら卒倒するだろうな、と英二は思う。ダンジョン官僚のトップが、零細企業の平社員に頭を下げているのだから。
「顔をあげてください、長官」
苦笑いしながら、英二は言った。
「確かに今、この国はつらい状況にあるのかもしれません。ですが、私は希望を捨てていない。若い世代がどんどん伸びてきているのです」
「あの切崎塊のような? しかし彼は……」
「いいえ。もっと若い世代です」
きっぱりと言った英二の脳裏には、亜麻色のポニーテールの少女、艶々とした長い黒髪の少女の顔が浮かんでいる。
二人だけではない。
コメント欄を盛り上げてくれる、あのにぎやかなお嬢様たちも――。
「切崎といえばさあ」
酔った声で、比呂が言った。
「月島先輩のことは、残念だったよな」
「比呂はけっこう、仲良くしてもらってたもんな」
「まあな」
昨年、魔族との戦闘で命を落とした月島雪也は、レンジャー界の中でも一目置かれていた。人格、能力ともに国内随一のレンジャーだったのだ。
「俺みたいに英雄だの社長だのなんて祭り上げられてたらさ、相談できる先輩なんて本当、月島先輩くらいしかいなかったから」
比呂のグラスを握る手にぎゅっと力がこもる。
ためらいがちに、長官が口を開いた。
「切崎塊が、戦闘のどさくさに月島さんを斬ったという噂があるが……本当なんだろうか」
「そんなわけ、ないっすよ」
強い口調で比呂は言った。
「あんな若造にやられるような月島雪也じゃありません。切崎の野郎ごときが『蒼氷の賢者』をどうこうできるわけない。魔族が予想を上回る強さだった、それだけですよ。なあ、英二」
「その通りだ」
英二は頷いた。
脳裏には、高2の時、親しく声をかけてくれた先輩の顔がまだ焼き付いている。ぐんぐんクリア階層を伸ばしている英二たちを敵視する3年生が多かったなか、彼だけは、英二たちの力を素直に認めてくれた。
酔いの影が見える瞳を、比呂はふっと宙に向けた。
「先輩には、娘さんがいるんだよ。いま中学生くらいかな。『大きくなったらきっと、世界一の美人になるぞ』って、あの真面目な人がのろけててさ。びっくりしたのを覚えてる。――そう。ちょうど、この店で飲んでる時だった……」
しんと場は静まりかえった。
店内に流れる演歌だけが耳に届いてくる。
二人のグラスに新たにビールを注いで、英二は自分の杯を掲げた。
「偉大な父親に、乾杯」
乾杯、と二人も続けた。
一気に酒を飲み干した。
英雄ではなく。
父親としての彼に、杯を。
そのほうが、月島先輩はきっと喜ぶだろうから……。
◆
店を出て二人と別れ、京王線の改札に向かっている途中でLINEに着信があった。未衣と氷芽と作っているグループチャットだ。
みぃちゃん『ねえおじさん』
みぃちゃん『今度の日曜 大学の練習 お休みなの』
みぃちゃん『ダンジョン 連れてってよー』
みぃちゃん『やっぱり おじさんと 冒険したいもん』
月島氷芽『いいね』
月島氷芽『私たちがウデをあげたところ 藍川さんに見てもらいたいし』
英二の顔に自然と笑みが広がった。
夏休みを利用して彼女たちが参加している桜桃女子大学ダンジョン部は、ダンジョン競技の強豪として知られている。六つ以上も年上の女子大生たちの練習や探索に、中学一年生がついていくのは、並大抵のことではないはずである。
それがこの二人は、貴重な休みの日までダンジョンに潜りたいというのだから――。
『わかったよ』
英二は返信する。
『日曜は 俺が 稽古をつける』
『必殺技を 教えてやる――』
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