25 おっさん、ケンカを売られる
騒々しい会議が閉幕して――。
さあ帰社しようという段になって、英二は先に席を立った。
「すまん椎原。ちょっとトイレに行ってくる」
「わかりました。下のロビーで待っていますね」
上機嫌で彩那が言うと、英二は視線をそらした。
「いや、その、長引きそうだから。先帰っててくれるか」
「えっ? お手洗いですよね?」
「……その、最近、便秘気味でな。頑張らないといけなそうだから」
彩那は残念そうに頷いた。
ホールを出てから、英二は頭をぼりぼりと掻いた。「すまん、椎原」。どうも自分は嘘が下手だ。昔、舞衣にも言われた。「嘘が上手くても困りますけど、英二くんはもうちょっとなんとかしたほうがいいかも」。それから毎日「一日に一度、嘘をつく」なんて練習をするハメになったのだが、初日に「実は俺、宇宙人だったんだ」と真顔で言い、「やっぱり止めましょう」と笑われてしまったのだった。
中学生のころの話、自分が未衣や氷芽と同い年だった時の話だ。
ここ最近、舞衣のことをよく思い出す。
それは、再びダンジョンに潜るようになったことと、無関係ではないだろう――。
そんなことを思いながら、英二は、本当にトイレに向かった。
ポケットに手を入れたまま、ぶらぶらと歩く。
長い廊下をしばらく歩き、人気がなくなったところで――振り返った。
「ここら辺でいいんじゃないか? お若いの」
誰もいない空間に声をかける。
「くくく」
くぐもった笑い声が虚空に響き、空気がゆらり、と陽炎のように揺れた。
誰もいないはずの空間に忽然と現われたのは――着流し姿の、蛇のような目をした男である。
腰には、長短二本の刀。
二刀流(ダブル・ブレーダー)。
切崎塊(きりさき・かい)――。
「よく気づいたな、おっさん。『隠形』には自信があったんだが」
隠形とは職業「盗賊」(シーフ)や上級職である「忍者」(ニンジャ)などが使う技術である。気配を消し足音を消し、まるで消えたかのように錯覚させる。ダンジョンの特殊力場に依存しないので地上でも使えるが、並の冒険者では不可能な芸当だ。
「それだけ殺気を放ってれば嫌でも気づくさ。俺に何か用事か?」
「俺の雇い主(クライアント)がな、あんたを痛い目に遭わせてこいとの仰せだ。会議で恥をかかされたのがよほど頭に来たようだな」
「ふうん」
英二はポケットに手を入れたままである。
「それで? ご主人様のお言いつけ通り、襲いに来たわけか?」
「まさか」
くつくつと切崎が笑う。
「蛇がカエルの言うことを聞くなんて、ありえない話だ。俺はやつの権力とカネを喰らうだけのことよ。従うふりだけしてな」
「じゃあ、俺に何の用なんだ」
切崎の細い目が、さらに細くなった
「あんたなんだろう? 今ネットで噂になってる『無刀のおっさん』ってのは」
「……」
「認識阻害魔法なんてこざかしいマネをしても、俺にはわかるんだよ。匂いでな」
「へえ。加齢臭ってやつかな。歳は取りたくないもんだ」
肩をすくめてみせる英二に、切崎は薄い唇を吊り上げた。
「強い男ってのは匂いでわかるんだ」
「そういうもんかね」
「あんたからは、あの来栖比呂と同じ匂いがする。そんな男はひさしぶりだ。こうして向かい合っていても、むしゃぶりつきたくなるほどにな――」
腰にぶらさげた二本の刀の柄を、手のひらでぽんと叩く。
『無刀』と『二刀』は、しばらく視線を交わし合った。
「気に入ったぜ、おっさん。あんたは俺が斬る」
「ああ、そうかい」
「ダンジョンで会うのが楽しみだよ。それまで、つまらん奴にやられるな。……くくく」
音もなく踵を返して、切崎は去って行った。
「やれやれ」
血の気の多いやつだと、英二は呆れた。もうちょっと抑えることを覚えないと長生きはできないだろう。まだ二十代半ばだろうに、何をそんなに生き急ぐのか。おっさんと呼ばれる歳になった英二には、若者の気持ちがわからない。
その時、スマホがLINEの着信音を鳴らした。
自称・親友からのメッセージである。
『よお! さっきはご活躍だったな!』
『とりま 今夜 飲まないか?』
『長官からのお誘いだ!』
『俺ら国民の血税から、おごってくださるそうだぞ』
同じおっさんたちからのお誘いである。
苦笑して、英二は「了解」と送った。
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