36 おっさん、疾駆する


 最初にその危機を報じたのは、たまたまダンジョン南口に居合わせたテレビレポーターだった。


 夏休みの各行楽地を取材するコーナーで、ダンジョンの人出を報じて終わるはずだった、ほんの30秒ほどの小さなコーナー。だが、ダンジョンから緊急の避難指示が出た瞬間、お昼のワイドショーは特番に切り替わった。


 スタジオでは、お笑いタレント出身のキャスターがディレクターから渡された原稿を読み上げている。「先ほど午後1時30分ごろ、ダンジョンから緊急避難指示が南大沢警察署より出されました。詳細は不明です。分かり次第お伝えします」。――そんな中身のないニュースを繰り返している。


「なにを、のんきに、警察発表なんか伝えてんすか」


 現地の青年レポーターは苛立っていた。

 

 スタジオとの温度差に苛立っている。


 大本営発表を垂れ流すため、現地(こちら)に映像を切り換えないディレクターに苛立っている。


 ふだん温和な性格で、お笑いタレントにいくら弄られてもニコニコしている青年の眉間に、深い皺が寄っている。彼はもともと報道局志望だった。東北の震災を少年時代に経験し、報道ニュースの大切さを痛感して3年前に入社した。任される仕事は芸能ネタや食レポばかりで、入社時の理想なんて忘れそうになっていた昨今だけれど――この未曾有の危機を目にして、彼は、心の底にあるものを思い出したのだった。


「今来てますよ、今来てますよドラゴンが! 今飛んでるよ! 聞こえてんでしょうがスタジオ!!」


 怒鳴るような声に、ようやくディレクターが反応した。


 現地に映像が切り替わる。


 青年は怒りの表情から一変、即座に冷静なレポーターの顔を取り戻した。


『現地よりお伝えします。先ほど避難指示が出された八王子ダンジョン上空に、ドラゴンが出現しました。目測での体長はおよそ100メートル以上、真っ赤な鱗に覆われた特徴から、11層に棲息するレッドドラゴンと推定されます。近隣住民の皆さんはすぐに避難を始めてください。繰り返します。すぐに避難を始めてください」


 取材のカメラが、上空を旋回する巨大な竜の姿を捉える。


 だが、それはほんの一瞬のことだった。


 ガシャンと耳障りな音がして、映像はドラゴンから茶色の地面に切り替わった。


 テレビカメラを捨てて、スタッフが逃げ出したのだ。


 逃げていく同僚たちには構わず、青年はテレビカメラを自ら担いで上空へと向けた。


『ご覧いただいているように、いま現在、ドラゴンが八王子市上空に出現しています。大きく翼を広げ、上空を旋回している様子が見てとれます。近隣にお住まいのみなさんは、ただちに避難してください。すぐに逃げてください。逃げてください――』


 まくし立てながら「自分も逃げるべきだろうか」と彼は思った。気がつけば、周りにはもう誰もいない。さっきまでいたはずの他局のクルーたちもみんな逃げてしまったらしい。当然だ、あんな巨大な生物を目の当たりにしたら、誰だって怖じ気づく。「巨大」という説得力、ビジュアルの迫力に、人間は動物としての本能を呼び起こされて、尻尾を巻いて逃げることを選ぶのだ。


 だからこそ。


 そのビジュアルを伝えないと避難が進まない――青年はそう考えた。


 人間はいつだって「現状」にしがみつこうとするものだ。自分だけは助かるだろう、大丈夫だろう、誰だってそう考えてしまうものだ。


 だからこそ、報道記者が踏みとどまって、この恐怖を伝えなくてはならない。


『ご覧ください。ドラゴンです。我々がゲームやアニメで慣れ親しんできたドラゴンの姿そのものです。本物のドラゴンです。あまりにも危険です。避難を、ただちに避難してください。ただちに、避な』


 音声が途切れた。


 映像が一瞬にして紅蓮の炎に染まった。


 灼熱息吹(メテオ・ブレス)が、地上へと吹き付けられたのだ。


 その、あまりにも唐突で残酷な実況終了は、Rの脅威と事態の深刻さをこのうえなく国民に伝えることに成功した。おかげで住民の避難が10分は早まったと、防災学者が指摘するところである。


 後に、この青年は日本記者クラブ賞を受賞することになる。


 だが、彼の慰霊碑に刻まれたのはそんな名誉(もの)ではなく「多くの人命を救った記者の鑑、ここに眠る」という言葉であった。





 午後1時31分。


 西新宿ニチダン本社ビル最上階大ホール。

 

「なんてことだ」


 青ざめた顔でつぶやき、黒岩長官は茫然自失に陥った。


 最悪の事態を常に想定して動く切れ者の彼ではあるが、最悪中の最悪を極められると、やはり途方に暮れてしまう。Rが地上に侵攻する事態までは予測していたものの、まさか、その息吹(ブレス)の威力が街ひとつ消し飛ばすほどのものとまでは、彼も考えていなかったのである。「ダンジョンマスター亡き後、モンスターは大幅に弱体化した」その固定観念に縛られすぎていたのだ。


 古竜種は別格だと、あれほど英二に言われていたのに……。


「みなみ野から片倉一帯は、火の海です。消化作業のめどは立っていません」

「工学院大学が避難場所に指定されていますが、道路が寸断されているため避難は進んでいません」

「JR中央線、京王線、全線運転取りやめ」

「圏央道も通行どめです。八王子は陸の孤島と化しつつあります」


 オペレーターたちからの報告も、今の長官の耳には届かない。


 そんな彼の背中を、来栖比呂がどんと叩いた。


「しっかりしてくださいよ、黒岩さん! あなたがそんなことでどうするんすか!」

「比呂くん……しかし、もう」


 黒岩の肩を、比呂はゆさぶった。


「英二と通話がつながったんです。モニタに出します!」


 ホール前面にある大型ビジョンに、無精髭の目立つ顔が映し出された。


『申し訳ありません長官。あと一歩間に合いませんでした』

「いや、私の方こそすまない。君の忠告を結局無駄にしてしまった」


 これ以上時間を浪費する愚を、二人は犯さなかった。


「もはや自衛隊の装備しか、あのRを倒すことは不可能です。総理に武力行使命令を出してもらうことはできないのですか?」

「現在、特措法の布告を準備しているが、いかんせん、総理はフランスに外遊中でね」

「では日米安保を適用して、在日米軍の力を借りることは?」

「あらゆる外交チャンネルを通じて交渉している。だが――」

「どちらにせよ時間がかかる、ということですね」


 英二は嘆息した。


「わかりました。私のほうでどうにかしてみます」


 黒岩は驚いた表情になった。


「し、しかし、地上では魔法もスキルも使えないのでは? それではいくら『無刀の英雄』でも」


 比呂が言った。


「まさか、英二。『あれ』を使うつもりか? 舞衣が理論だけは遺してくれた、あれを」


 英二は頷く。


「そのまさかだ。そのためにはお前の協力が必要不可欠だけどな。日本ダンジョン株式会社社長」


 比呂はいったん、考え込むように眼を閉じて、数秒後にカッと見開いた。


「了解だ。弊社とっておきのグレーターデーモンの魔核がある。純度98%、世界でも類を見ない高純度のやつだ。時価総額3億ドルはくだらないシロモノだが、お前にくれてやる」

『さすが成金、恩に着る』

「言ってろサラリーマン。しかし、英二よ、その魔核だけじゃどうしようもないぞ。他にも強力な魔力源が必要だ。あてはあるのか?」

『ないでもない。奥の手がな』

「成功の確率は?」

『5%くらいかな』


 にやりと比呂は笑った。


「なんだ、十分じゃないか」

「ああ。やってみるさ」


 二人の会話を、黒岩はぽかんとした顔で聞いていた。


「ま、待ってくれ君たち。その奥の手の成功確率が5パーなのか?」

「そうっす」

「失敗確率じゃなくて?」

『そうです』


 ますますぽかんとする黒岩をよそに、二人は会話を続ける。


『ただ、八王子でドンパチするわけにはいかないな。どこかにおびき出したいんだが』

「その位置なら、横浜港が一番だろうな。あそこなら海保の協力も得られる」

『了解した。じゃあ、そういうことで』


 通話はあっさりと切れた。





(さて――)


 英二はスマホを背広のポケットにしまうと、すうっと息を吸い込んだ。


 現在彼がいるのは、地下1層である。


 ここでなら、まだ、魔法もスキルも使えるのだ。


 精神を集中して、周囲の気配を探る。


 1層にはもう、逃げ遅れた者はいない。彩那も女の子もすでに逃がした。Rが出て行った場所とは真逆の方向だから、ブレスにも巻き込まれていないはずだ。


 集中が深まれば深まるほど、気配を探れる範囲は広くなる。


 それは地上にも及ぶ。


 英二の脳裏には、八王子上空を我が物顔で旋回するRの威容がはっきりと映し出されていた。地上は悲惨な有様だ。あちこちでもうもうと煙があがり、紅蓮の炎が吹き荒れ、パトカーのサイレンの音が無限に鳴り響く。倒壊したビルや建物もかなりの数に上る。まさに戦場そのものだった。


 英二の集中が、ある一点に注がれる。


 テレビ局のワゴン車が燃えていて、その傍らに、カメラを肩にかついだまま黒焦げになっている男の死体があった。


(最後まで、伝えようとしたんだな。最期まで――)


 英二は気配を探る作業を打ち切った。




「――藍川英二の名を賭して、冥界の神々に申し上げる!」




 両の手のひらを広げて、天の方向に向かって突き出す。



「アヌビス。ビルトゥム。エンメシャルラ。ヴォーロス。プルート。我が仇は汝らの仇、我が敵は汝らの敵、いにしえの契約に基づき、天と地の理に逆らいて、いまここに顕現せよ。冥界の意と威を示せ。すべての命あるものは死から逃れられぬ、すべての形あるものは破壊から逃れられぬ、その絶尽たる真理を破滅をもって叶えたまえ。エレシュキガル。ギルティネ。イザナミ。マヌンガル。ネフティス」



 20年前――。


 現役時代、この“超”魔法を三人で編み出した時、他の冒険者たちに笑われたものだ。「そんなクソ長い詠唱を黙って待っててくれるモンスターがいるのかね?」。確かにその通り。結局、編み出しただけで、一度も使うことはなかったのである。


 だが、今回は有用だ。


 今、英二がいるのは地下1層。


 ここなら魔法が使える。


 放つのは――ダンジョン上空を我が物顔で飛び回るRに向けて!



『冥王軍死滅雷球爆裂獄(バルモア・プル・エデン・ディア)!!』



 天に向けた英二の両手のひらから、巨大なエネルギーの球体が出現した。それは、雷をまとい、薄暗い地下をぱっとまばゆく照らし出すほどの輝きを作り出した。その「雷の巣」とでも言うべき球体は、ぐんぐん上昇して一層の天井をぶち抜き、そのまま地上へと飛び出した。


 大空を往くRは、すぐにその存在に気づいた。



『 グオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!! 』



 振り向いて、紅蓮の息吹ひとつで吹き飛ばそうとしたが――わずかに、雷球の着弾のほうが速い。



『 オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンンンンンッッッ!! 』


 悲鳴とも、あるいは怒声ともつかぬ声をあげながら、真っ赤な鱗が雷球に取り込まれる。


 雷球は、そのまま、移動を始める。


 Rの巨躯ごと、南東――横浜港の方角へと飛んでいく。



「おとなしくしててくれよ、R」



 雷球の開けた穴から、とんっ、と地上に飛び出て、英二は周囲に視線を巡らせた。何か足になる者はないか。車、いや、道路状況は最悪だろうから、小回りのきく二輪車がいい。


 周囲を探し回って英二が見つけ出したのは、ライムグリーンに輝く大型バイクだった。


 オーナーがあわてて逃げ出したのか、キーが差しっぱなしで路肩に停めてある。


 これなら申し分ない。


「弁償の代金は、ニチダンの来栖社長宛につけてくれ」


 メモにそう書き付けて近くの電柱に貼り付けると、エンジンに火を入れる。


 唸りをあげてバイクが走り出す。


「盗んだバイクで走り出す、か」


 高校生の頃に流行った歌を思い出して、ノーヘルの英二は苦笑した。確かタイトルは「15の夜」。比呂が好きで、よく歌っていた。



「『38の午後』なんて歌は――流行らないだろうな」



 無刀の英雄を乗せて、バイクは、海へと疾駆する。

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