29 おっさん、静かに怒る


 氷芽の様子がおかしいのは誰の目にもあきらかだった。


「ど、どうしたの、ひめのん。大丈夫?」


 未衣が小声で尋ねたが、氷芽からの反応はない。


 真っ青な顔色で、唇をわなわなさせながら、全身を震わせながら――切崎塊のことを目を見開いて見つめて、否、にらみつけている。



“あの着流しの方 テレビで見たことありますの”

“有名な レンジャーの方ですわ”

“キリサキさんでしたっけ”

“氷芽さんと お知り合い?”

“でも ただならぬ雰囲気ですわよ”



 コメント欄もざわついている。


 英二は横目で氷芽の様子に気を配りつつ、切崎に言った。


「お前こそ、ここで何をしてるんだ?」

「現場の護衛だよ。例の11層までつながる巨大シュートを掘る工事のな。今日は湖畔の測量がメインだ」


 10人ほどの作業員たちが測量器具を用いて作業を行っている。これは地上で土木作業や建築工事を行う時とまったく同じ手順であり、ダンジョン内の工事の際も法令で義務づけられている。「B級以上の資格を持つレンジャーが立ち会わなくてはならない」というのも、法令で決まっていることだ。


「黒岩長官は、いったん工事計画を見直せと言っていたはずだが?」

「見直すさ。でも『調査』は続行せよと我間代表は仰せでね」


 唇を歪めて笑う相手の思惑は透けて見えている。


 面従腹背――。


 形だけはダンジョン開発庁の言うことに従いつつ、裏では計画を進める。何か言われても大丈夫、なにしろバックには現職の大臣がついているのだから――そんなところだろう。


「あんなデータまで集めてご苦労だったがな、DBP(ドラゴンバスター・プロジェクト)はもう止まらないさ。大企業の前には、一個人なんてゴミクズも同然。あきらめるんだな」


 無頼を気取る切崎の本音を、英二はそこに垣間見た気がした。

 結局はこの男も、権力の飼い犬であることを良しとする人間なのだ。


「ところで――」


 切崎はヘビのような眼を、氷芽に向けた。


「おいお前。そこのガキ。さっきから随分にらむじゃないか。この俺に何か用か?」


 氷芽が奥歯をぐっと噛みしめるのがわかった。


 手のひらに爪が食い込むほど拳を握りしめている。


「わ、私の名前は、月島氷芽」

「うん?」

「去年、あんたと一緒に、20層に潜った月島雪也の、娘だよ!!」


 いつもクールな氷芽がこんなに感情を露にするのを、声を荒げるのを、英二は初めて目にした。


「ひっ、ひめのん?」

 

 それは親友の未衣ですら同じのようで、目を丸く見開いている。



“月島雪也って どなたですの?”

“レンジャー界にその人あり と言われる 凄腕の賢者さんですわ”

“確か『蒼氷の賢者』って呼ばれてましたわ テレビとかにも出てましてよ”

“わ、わたくしファンでしたの!”

“まさか 氷芽さんがそのお子さんだったなんて”

“あら? でも確か 月島雪也さんって ダンジョン探索中に……”



 どうやら学校でも誰も知らなかったらしい。


 英二としては、最初に会った時にわずかに感じた「ひっかかり」が的中した形になる。「冒険者なんて嫌い」と言っていたから、何か事情があるのだろうとは察していたが――。


「ほほう、それはそれは」


 切崎は唇の片端だけを吊り上げて、氷芽をじろじろと見つめた。


「月島にはこんな美人の娘がいたのか。ふうん。それで? 世間で言われてるように、俺がお父さんを殺したとか思ってるわけかね?」


 それは一部で囁かれている噂である。

 戦闘狂、殺人嗜好を持つといわれる切崎が、探索のどさくさに紛れて月島雪也を殺害したのではないかという噂である。


 氷芽は何も言い返さない。

 何も言わない。

 ただひたすら、血が吹き出そうなほど、険しい目つきで切崎をにらみつけている。

 その様子を見れば、氷芽の本心は伝わってくる。


「違うんだなあ、これが」


 切崎はせせら笑った。


「あの『蒼氷の賢者』をこの手で斬ってやりたい、そう思ってたのは事実だ。そういう下心があって『デモンズ・ドロップ』の探索に参加したのは事実だよ。だが、俺が動く前に魔族が襲ってきやがった。月島とその仲間は全滅し、俺だけが生き残った。弱いやつが死に、強いやつが生き残った。当然のことが起きただけなんだよ」

「……なんでよ」


 氷芽が絞り出すように声を出した。


「なんで、あんたは、そんな話を笑いながらできるの? 仮にもパーティーを組んでたんでしょう。仲間だったんでしょう? 仲間が死んだのに、どうして笑っていられるの?」

「違うね。仲間とはあくまでダンジョンを生き抜くためのパーツにすぎない。道具にすぎないってことだ。まあ、そういう意味じゃ、お前の親父は使えない道具だったなあ」

「――」

「俺を逆恨みするなんてお門違いもいいとこなんだよ、ガキ。月島が弱いせいで俺は悪評たてられて、いい迷惑だぜまったく。なあ? 理解できねえか? 親がクズなら子もクズなのかねえ?」


 それは見え見えの挑発だった。


 聡明な氷芽に、切崎の意図がわからなかったはずはない。


 だが――。


「うわあああああああああああああああああああっっっ!!」


 氷芽は絶叫しながら、切崎に飛びかかった。


 いったいどこにそんな力が残っていたのか、特訓でへとへとに疲れているはずなのに、弾丸のように突進していった。


 にたり、と切崎は白い歯を見せた。


「これで正当防衛だな」


 二刀を抜き放ち、その白い刃を飛びかかってきた氷芽に向ける。セーラー服から覗く白い腹をめがけて、鋭い切っ先を突き出した。


 ――が。


 2人の間に、ゆらり、と影が割り込んできた。


 藍川英二。


 右手の人差し指で切崎の刃を止める。


 さらに左手で――。


 ぱしんっ!


 乾いた音がダンジョンに響き渡った。


 続いて、からん、という音が響いた。氷芽の杖が地面に落ちたのだ。


 氷芽は両膝を地面について呆然としている。その左頬は赤くなっている。「ひめのんっ!」駆け寄ってきた未衣が呼びかけても微動だにせず、魂が抜け落ちたようにその場に座り込んでしまった。



“な、なにが起きましたのっ?”

“速くて 見えませんでしたわ”

“た たぶん おじさまが 氷芽さんに平手打ちを”

“体罰反対!”

“でも そうしないと 氷芽さん やられてましたわ!”



 そして切崎は――。


「いいねえ」


 自分の剣を指先一つで止めた英二に向かって、舌なめずりをしてみせた。


「それでこそだ『無刀』のおっさん。もう待ちきれねえ。この場で俺と立ち会え」

「立ち会う、か」


 英二の返事は淡々としている。


「それはいいが、もう少し離れたほうがいいんじゃないか? ここで剣を振るえば作業員の皆さんにも迷惑がかかる」

「言われるまでもねえ!」


 切崎は剣を引こうとして――そのままピタリと動かなくなった。


「どうした? 引かないのか?」

「ぐ、ぐぐぐぐ……」


 振り下ろした刀を、英二に指一本で止められている。


 その体勢から、切崎は動けなくなっていた。


 英二の指に、刃が吸いついて離れないのだ。


「な、なにをした、てめえっ」


 ずっと同じ体勢のまま脂汗を流している切崎を、作業員たちが不思議そうな顔で見ている。傍から見れば滑稽な、ただ切崎が独り相撲してるようにしか見えないのだが、彼にしてみれば必死である。どんなに力を入れても、踏ん張っても、刀を引くことができないのだ。


「やれやれ、しかたないな」


 英二は空いてる手で頭をかいた。


「時間もないことだし、この場で始めるか?」

「な、何を」

「だから、立ち会いだろ」


 ずんっ、という衝撃音が周囲に響いたのと、切崎が体を「く」の字に折り曲げたのは、同時だった。


「げげうっ」


 血と、うめき声を唇から漏らしながら、切崎はさっきの氷芽のように刀を放して両膝から地面に崩れ落ちた。


「良かったな、手を放せたじゃないか」


 ぱんっ、と乾いた音が響く。


 英二の左手が、切崎の頬を張った音だ。


 その音は連続していく。


 切崎の顔が、まるでメトロノームみたいに左右にグラグラ行ったり来たりする。


 高速で頭がブルブル左右にシェイクされる。


「あんあんあんあんあんあんあんあんあんあん」


 現役最強の日本人レンジャーと言われる男の口から、女の子のような悲鳴があふれだしている。


「あんあんあんあんあんあんあんあんあああんあんあんあんあんあんあんあんあんあんあんあん」


 それはあまりにも滑稽な姿であり、情けない姿であり――作業員たちのなかには失笑する者もいた。「なんだ、あれ」「切崎サンなにしてんの?」「わざとやってるのか?」そんな声も聞かれる。さっきから切崎は、ひとりでやられているようにしか見えないのだ。


 もちろん、そうではない。


 英二が切崎に「往復ビンタ」をかまし続けているのである。

 

 それは衝撃剣(ソニック・ブレード)と同じ速さで行われる往復ビンタだった。未衣と氷芽に手本を見せた時のような手加減バージョンではない。本気の衝撃剣である。――手首だけ。


「あんあんあんあああああん!」


 10秒ほどビンタに翻弄されつづけた後、切崎は血ヘドを吐きながら地面に転がった。代名詞である「二刀」も地面に転がる。両頬がリンゴのように腫れて、唇も切れていて上手くしゃべることができなくなっている。


「き、きしゃ、ま……」


 それだけ言うのが精一杯だった。


 ぐるり、と白目を剥いて気絶して、動かなくなった。


 そんな切崎を冷たく一瞥した後、英二はぽかんとする作業員たちに告げた。


「今日の作業は、中止だ」

「えっ?」

「切崎氏はご覧の有様。ダンジョン内における建設作業には、必ずレンジャーがひとりついてなくてはならない。そう定められている。違反すれば、その業者には三百万円以下の罰金が科せられる――」


 作業員たちは顔を見合わせあった。


 反論の声は聞こえてこない。


 2人の作業員が気絶した切崎に肩を貸して、その体を引きずるように退場していった。


「……ふう」


 全員がいなくなるのを確認した後、英二は後ろを振り返った。


「しっかりして、ひめのん。ねえ、ひめのんっ!」


 氷芽はいまだ、地面に両膝をついて座り込んだまま、身動きひとつしない。肉体的疲労と精神的疲労の極にある。そんな風に英二の目には映った。あまりの憔悴っぷりに、未衣まで泣きそうになっている。


「ねえ、おじさんっ。ひめのん、大丈夫かな?」

「大丈夫さ。お前の友達だろう?」


 未衣の肩を抱いてやりながら、今はそっとしておくしかないと英二は思う。どんな言葉も、今の氷芽には届かないだろう。


 コメント欄にも不安は広がっていた。



“氷芽さん お気の毒ですわ”

“お父さまを ダンジョンで 亡くされていたなんて”

“あんなこと言われたら ワタクシだって 立ち直れません”


“これからのダンジョン部 どうなってしまうのでしょう?”

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