15 おっさん、理不尽上司に刃向かう
権田巌男(ごんだ・いわお)。
それが課長の名前である。
いかめしい名前からしてオークのような大男を連想してしまうが、本人はノームのような小男。メガネをかけた大きなギョロ目が特徴で、カマキリのようだと英二は思っている。
カマキリ課長はデスクの前に座ったまま、呼び出した英二をにらみつけた。
「藍川くん。君、大変なことをしでかしてくれたな」
「何が、でしょうか」
「とぼけるんじゃないよ」
カマキリは指でとんとんデスクを叩いた。
「取引先の御曹司に、君、とんでもない粗相(そそう)をしてくれたそうじゃないか。え?」
「はあ。覚えがありませんが――」
そう言いかけて、ふっと英二は昨日のやり取りを思い出した。
例の「八王子のタイソン」。
彼が取り出した名刺には「株式会社ダンジョンリゾート代表取締役」の肩書きが印字されていた。父親の名刺という話である
英二に叩きのめされたタイソンは、事実をねじ曲げて父親に告げ口したのだろう。英二の身分は黄髪青髪の子分たちに知られている。
「なるほど。理解できました」
英二が頷くと、カマキリの表情がさらに険しくなった。
「ダンジョンリゾートの我間(がま)代表から、今朝直々に電話があったんだ。大事なご子息が、君にダンジョンで危害を加えられたと」
「お言葉ですが、先に手を出したのは向こうです。私が引率する子たちに危害を加えようとしたので、やむを得ず反撃しました。正当防衛であると考えます」
「理屈を言うな! いいか、ダンジョンリゾートといえば、うちにツアー客をたくさん回してくれている大事な取引先だ。もしこれで取引がなくなったら、うちなんか潰れてしまう! どうしてくれるんだ!?」
「……」
英二は考えを巡らせた。
賢く立ち回るのであれば、ここはひたすら謝っておくべきだろう。取引先の偉いさんが白というなら、カラスも白。サラリーマンとはそういうものだ。新卒で入社して今年で15年目、今さら青臭いことを言うつもりはない。
しかし――。
「課長。我々の職場は、ダンジョンですよね?」
「それがどうした」
「その御曹司とやらは、我々の職場を荒らし、冒険者に危害を加えるようなことをしているのです。彼が迷惑系配信者と呼ばれているのを、課長もご存じでしょう?」
「……さあね。A級レンジャーとしか聞いとらんよ」
メガネ越しの目がすっと逸らされたのを、英二は見逃さなかった。
「御曹司が私に逆恨みしているというのであれば、私はいくらでも頭を下げます。会社のためにね。しかし――彼はダンジョンを荒らす迷惑行為を働いている。それに目をつぶることはできない。それを見過ごすなら、我々は自分たちの仕事を否定することになる。それだけはできません」
それは譲れない一線だった。
たとえ相手が上級国民だろうと、ダンジョンを楽しもうとする観光客に嫌がらせしたり、新たに挑まんとする冒険者に危害を加えたりする行為だけは、許さない。ダンジョンの観光ガイドという職業を選び、かつての戦場、大切なひとを失った場所を、生涯をかけて守ろうとする英二にとって、それは譲れない一線なのだった。
「綺麗事を言うな! そんな理屈が一流企業の社長に通用すると思うか? うちみたいな零細、しかも君ごときヒラ社員など」
「役職や会社の規模は関係ありません」
英二はつっぱねた。
「そもそも、たったひとつの得意先と縁が切れたから潰れる会社ってなんですか? そんな会社はどのみち長続きしない。いいじゃないですか潰れれば。ハローワーク、お供しますよ」
「き、貴様、言うだけのことを……」
カマキリ課長の口の端には泡が溜まっていた。
しかし、反論の言葉はいつまで経っても出てこない。
その時、ふいにデスクの電話が鳴った。
課長はホッとしたようなため息をついて、英二を無視して電話に出た。
「はい。――ああ、これはこれは! い、いえ、はい。構いません。はあ、はあ」
電話口でペコペコ頭を下げ始めた。どうやら相手はずいぶんなお偉いさんらしい。
(退散するチャンスだな)
一礼して英二はそのまま退室した。課長が「まだ話は終わっとらん!」みたいな目つきでにらんできたが、無視した。向こうも呼び止めるどころではないだろう。
(のらりくらりとかわして、それでも駄目なら職探しかな)
あんな風にタンカを切ったものの、本当に会社に迷惑がかかるとなれば、自分から辞める覚悟はできている。課長はともかく、せっかく仕事に慣れてきた彩那や、日々頑張っている現場の職員たちに迷惑はかけたくない。ひっそりと辞めよう。幸い、時は大ダンジョン時代。日本の経済はダンジョンを中心に回っている。どこか拾ってくれる企業はある――と思いたいところ。
そんな風に思いながら、現場へと向かう英二であった。
◆
その日の午後5時すぎ――。
ダンジョンガイドの業務を終えて、事務所に帰ってくると、英二を待ち構えていたかのように電話が鳴った。
またもや課長からだ。
『あー、藍川くん。今朝の件だがね』
声のトーンが打って変わってずいぶん明るい。てっきり再戦を挑まれるものと思っていた英二は拍子抜けした。
『先方から『この件はもういい』とお話があったから』
「はあ……?」
『もういいと言ってるんだよ。すべて忘れる、なかったことにするとのことだ。いいな。君もこの件は早く忘れたまえ』
一方的に電話が切れた。
忘れるのは大歓迎だし、言われずともそうするつもりだったのだが……。
「課長、何か言ってこられたんですか?」
彩那がおそるおそる尋ねてきたが、英二も肩をすくめるばかりだ。いったい何が起きたのだろう? あのタイソンという輩、根に持つタイプだと思っていたが、心変わりでもしたのだろうか。
(ネットで騒ぎになってるらしいから、それでか?)
事を荒立てたくないという思惑なのかもしれないが、迷惑系配信者ならむしろ炎上してナンボと考えそうな気もする。
その時、再び内線電話が鳴った。
受付の女性からだ。
『あ、藍川主任。お客様が見えられてます』
受付嬢の声は裏返っていた。
彩那より二つ先輩の彼女は、落ち着いた対応で社内・社外に定評があるのだが、珍しくあわてている感じだ。
「客? 私にですか?」
『はい、今すぐ会いたいと、ぜひにと――あっ、困ります! きゃあっ』
悲鳴があがり、何やら揉めているような物音が聞こえてきた。
やがて、静かになった。
続いて受話器から聞こえてきたのは、「軽薄」という単語を絵に描いたような、いや音にしたような「声」であった。
『やっほーーーーーい! 英二きゅううううんっ! 我が心の友よッ!!』
聞き覚えのある脳天気なボイスが英二の鼓膜を打つ。
――ああ、なるほど。
そのとき、英二はすべて理解した。
けさ、課長があんなぺこぺこしていた理由。
上場企業であるダンジョンリゾートの社長が引っ込んだ理由。
すべてが理解できた。
こいつが出張ってきたからだ。
この男が出てきたというのなら、誰も勝てない。
いま、この日本で一番成功していると言われる男、カリスマだの英雄だのと呼ばれている男に、逆らえる人間などごく少数なのである。
その男の名前は――。
『剣聖・来栖比呂サマちゃん参上だぜぇ~いっ! さっさと来てくれ親友! でないと、この受付嬢ちゃん口説いてお持ち帰りしちゃうぞっ♪』
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