44 おっさん、退院する


 英二が目を覚ますと、白い天井が視界に広がっていた。


 独特の雰囲気と匂いで、病室だとすぐにわかった。しかし、どのくらいぶりだろう。無茶をしていた現役時代、特に未熟だった中学生の頃は、ダンジョンから戻ると同時にぶっ倒れて病院に運ばれること幾度。だが大人になってからは病院のベッドで眠ったことなんて一度もない。一度だけ人間ドックで検査入院して「尿酸値とコレステロールが高い」と言われた程度。


「ん……」


 手を持ち上げて、目の前にかざしてみる。


 見慣れた手。


 ささくれた大人の手だ。


 顎に触れてみると、そこにはしっかりとざらざらとした無精髭の感触がある。


(どうやら、元に戻れたようだな)


 英二の使用した、奥の手。


 若返りの秘術『メーデイア』。


 それは、桧山舞衣が記した魔術遺稿に記述があるだけで、舞衣本人ですら実際に行使したことはないまさに「秘術」である。ぶっつけ本番で上手くいく保証はどこにもなかったが、しかし、英二には成功できるという確信があった。


(本好きの舞衣がいい加減なことを書き残すはずがないからな)

(おかげで、Rを倒すことができた)


 無刀奥義を使ったのは、ダンジョンマスターとの決戦以来だった。


 あの「三つ星レネシクル」だけは、38歳の英二では無理なのだ。技巧の積み重ねでできる技ではない。むしろ「経験値」が邪魔になる。極小とはいえ、ブラックホールを三つ作り出して「事象の地平」へ敵を葬り去る荒技だ。それにはただ「若さ」が、ほとばしるような向こう見ずの「若さ」が、あの技には必要なのだった。


 と、その時である。


「おじさんっ! 目が覚めたの?」


 椅子が床を擦る音がして、英二の視界で亜麻色のポニーテールが飛び跳ねた。


 甘酸っぱい香りとともに、ぼふっ、と英二の胸に飛び込んでくる。弾力に満ちた体。彼女も若さの塊だ。瑞々しい可憐な少女を、英二は胸に迎える形になった。


「未衣。どうしてここに?」

「だって、おじさんずっと目を覚まさないから! あたし心配で、心配でっ」

「そんな大げさな」

「大げさじゃないもん。おじさん、3日間ずっと寝こんでたんだよ?」


 ぐすぐすとベソをかきながら、体の上に折り重なってくる。重い。


「そうか。そんなに眠ってたか……」


 未衣の背中を撫でてあやしてやりながら、英二はため息をついた。「若返り」なんて無茶をすればこうなるのも当然か。しかも3日間無断欠勤したことになる。これはさすがにクビ、よくても減給は免れないだろう。比呂が上手くやっていてくれればいいのだが……。


「心配かけてすまん。もう大丈夫だから」

「だめ。いいこいいこしてくれなきゃ」


 添い寝して英二に抱きつきながら、くすんと鼻をすする。


 未衣は時々、こんな風にすごく子供っぽくなる時がある。それは彼女が心細い時であると、英二は知っている。前にこんな彼女を見たのは、小四の時に父親を事故で亡くした時だった。あの時も、こんな風に抱きついてきた未衣を、英二は受け止めたのだ。


 英二は大きな手を亜麻色の髪の上に置いて、こわれものを扱うように、優しく動かした。


「『もう子供じゃない』って、前に言ってなかったか?」

「おじさんに甘えられなくなるなら、ずっと子供でいいもんっ」


 なんて、幼いことを言うけれど――こうして抱きかかえている時に感じる胸の存在感や肩の丸みは、もう彼女が子供ではないことを教えてくれている。しかし、他の男性にとってはそうでも、英二にとっては、未衣はいつまでも子供だった。


「あたしだけじゃないよ。ひめのんだって心配してたんだから」

「そうか。後で連絡しておかなきゃな」

「ていうか、そこにいるよ?」


 はっ? と思わず起き上がってみると――床に寝袋がひとつ転がっている。そこには、良すぎる顔だけを出した氷芽が眠っていた。スヤスヤである。まるでミノムシ、世界一美少女なミノムシが病室の床にいる。


「まさかお前ら、泊まり込んでたのか?」

「そうだよ。めっちゃ看護師さんに渋い顔されたけど、比呂おじさんが口説いてくれた」

「口説いたのか……」


 その時、氷芽のまつげが震えて、ぱっちりと目が開かれた。


「藍川さん? もう起きて大丈夫なの?」

「ああ。おかげさまでな」


 ひょこっと起き上がり、寝袋の中から出てくる氷芽。


「まったく、一時はどうなることかと思ったよ。急に若返るし、竜はどっか消えちゃうし、うちの学校の子たちは大騒ぎしてるし」

「鳳雛のお嬢様たちが?」


 氷芽がスマホを差し出した。


 動画のコメント欄が映し出されている。そこには、英二に対する熱烈なラブコールが画面いっぱいに表示されている。スクロールしてもしてもキリがない。内容はおっさんに対するものが半分、少年に対するものが半分、見事に二分されているようだ。


「きっと夏休み終わったら、入部希望者が殺到するね」


 氷芽が言うと、未衣も嬉しそうに頷いた。


「これでついにダンジョン部発足! だね!」


 ぱちん、と手を叩き合わせる二人を眺めつつ、英二は肩をすくめた。


「俺にとっちゃ、お守りの人数が増えるばかりだな」

「そうだよ。藍川さんには、まだまだ教えてもらうことがたくさんあるんだから」

「そうそう! みぃちゃんたちをもっともーっと! 強くしてくれないとっ!」


 英二は苦笑した。


「中1で剣聖技が使えれば、もう十分すぎると思うがな」

「だめだめ! あんなので満足なんてしないんだからっ」

「その通りだよ。あの切崎くらいは軽く倒せるようにならないとね」


 いちおうあの男、国内最強のA級レンジャーとか呼ばれてたはずなんだがな――と、英二は頭をかいた。しかし、氷芽は本気だろう。未衣も然り。若い二人の向上心、「強くなりたい」という想いは留まるところを知らない。


 ならば、師匠としては付き合うしかないだろう。


「わかった。新入部員ともども、ビシビシいくからな。覚悟しろよ」

「「はいっ。コーチ!」」


 気持ちの良い返事をして、また二人は笑顔を弾けさせるのだった。





 翌日、英二はいつも通りに出勤した。


 そのまま課長室に呼び出される。


 さぞ搾られるのだろうと覚悟していたが「3日間、ゆっくり休めたかね?」という軽いイヤミだけですまされた。期待通り比呂が口をきいてくれたらしい。昨日ラインが来ていて、「しぬほど忙しい」「てかしぬ」とのこと。ニチダン社長として膨大な事後処理に追われているのだろう。そんな中わざわざ配慮してくれたことには感謝するが、そもそもの発端が比呂の無茶振りからなので、同情する気にはなれない英二である。


 課長がぼやいた。


「今回の件で、ダンジョン観光が下火にならなきゃいいんだがなあ」


 それは、一部の識者が指摘するところである。200人以上の死傷者とその倍の負傷者を出した今回の事件。モンスターの脅威を一般人は目の当たりにしたわけで「ダンジョンは怖いところ」という忌避の感情が国民に広がっても不思議ではない。


「一時的には、そうなるかもしれません。でも、すぐに元に戻るでしょう」

「そうかなあ」

「喉元過ぎれば熱さ忘れる。良くも悪くもね。それに――ダンジョンは、やっぱり人の心を惹きつけますから」


 英二の言葉に、課長も納得したようだ。


「われわれ観光業者も、ダンジョンを安全に案内できるよう頑張らんといかんな」

「ええ。プロとして」


 そのぶん給料もあげてくれよと思いつつ、珍しく英二は上司に同意したのだった。





 事務所に顔を出すと、椎原彩那がわざわざ起立して待っていてくれた。


「主任! 退院おめでとうございます!」

「ありがとう。そんな大げさなもんじゃないけどな」

「3日間とはいえ、入院は入院ですから!」


 本当はお見舞いに行きたかったんですけど、と手作りのクッキーまで渡されてしまった。15歳も年下の、若い美人の部下にそこまでされると、さすがに気恥ずかしい。


「今日の現場の予定は?」

「残念ながらありません。しばらくは警察の現場検証が続いて、ダンジョンには入れないでしょう。破壊された『アンドロメダの鎖』の再設置作業もありますし」


 今日以降、予定されていたツアーもすべてキャンセルになったらしい。課長がぼやくわけである。


「じゃあ、しばらくヒマなわけか」


 彩那はにっこり笑って首を振った。


「幸運なことに、問い合わせのメールやFAXが山ほど来ています。残業しても終わるかどうか」

「だと思った」


 給料をもらいつつサボれると思ったが、現実は甘くないようだ。


 事務所の古いテレビがニュースで国会の模様を流している。尾形総理が野党から「R事変」の対応のまずさを追求されてしどろもどろになっている。今まで目立った失点のない政権だったが、今回は命取りになるかもしれない。


「次の選挙、民憲党は負けるかもな」

「政権交代があるかもしれないですね」

「応援してる政治家でもいるのか?」


 彩那は大きく頷いた。


「西園寺魔鈴(さいおんじ・まりん)東京都知事です。彼女は元英雄でA級レンジャーですし、ダンジョンという財産をきっと日本のために活かしてくれますよ」

「……あー、うん……」

「あ、主任はお嫌いでしたか、彼女」

「いや、そういうわけじゃない。いい政治家だと思う」


 彼女は英二と同年齢の38歳。かつてラストダンジョンに挑んでいた「英雄」のひとりである。非常に優秀な冒険者であり、英二たちに匹敵する成果をあげていたパーティーのリーダーでもあった。学校も隣同士で何かと張り合ってきて、正直、英二は苦手だった。スタイル抜群の美少女だったので比呂は喜んでいたが、英二はひたすら逃げていたものだ。


 魔鈴には娘がいるとのことだが、そうなると、未衣たちと同い年くらいだろうか……。


 ニュースはダンジョンリゾートの件に切り替わった。「R事変」を起こした責任を追及され、経営陣が謝罪会見を開いている。我間代表が亡くなっているため、残された役員は責任転嫁で逃げの一手であるが、マスコミの追及は厳しく、今後の経営は難しいように思われた。


「ダンジョン開発は、これからどうなっていくんでしょうね」


 テレビを見ながら、彩那は不安げな声を出した。


「Rを倒すために地上で魔法を使用したという話が本当であれば、大きなパラダイムシフトが起きるかもしれませんが――未だに政府はR事変の全容をぼかしていますね。本当のところはどうなんでしょう?」

「発表できないことが、色々あるんだろう」


 他人事を装って、英二は言った。


 黒岩長官とこの件については打ち合わせてある。R事変にまつわる様々な事情、特に「魔導装甲」の件については、当分のあいだ隠匿するという結論になった。


 だが、いつまで隠し通せることやら――。


「そういえば、ダンリゾの顧問レンジャーだった切崎氏は亡くなったそうですね」

「ああ……」


 彼が亡くなったと聞いた時、英二には残念に思う気持ちがあった。嫌なやつではあったが、彼はまだ若かった。心を入れ替えてやり直すことはできたはずだ。


「これからの日本がちょっと心配ですね。世界では若いレンジャーがたくさん活躍しているのに、日本には若い人材が圧倒的に不足してます。かつての英雄たちくらいしか、頼れるレンジャーがいなくて」

「そんなことはないさ」


 英二は言った。


「この国でも、若い世代がどんどん育ってきている。特に今の10代はすごいぞ」

「そういえば、鳳雛女学院に有望な子たちがいるそうですね。まだネットの噂レベルですけど」

「ああ。きっと彼女たちは、すごいレンジャーになる。間違いない」


 そう言って、英二はテレビを消した。


「若者たちに負けないよう、大人も仕事するか」

「はい主任!」


 無刀のおっさん。


 藍川英二。


 かつてダンジョンマスターを倒し、今回はR事変から日本を救った「英雄」。


 その正体を知るものは少ない。


 今日も彼は、人知れず、サラリーマンとしての戦いを始めるのだった。

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【第1部完結】『無刀』のおっさん、実はラスダン攻略ずみ 末松燈 @dddddddddd1

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