17 おっさんと旧友


 比呂に連れ出されて退社した英二は、ニチダンの社旗がはためく黒塗りのリムジンに乗せられた。

 

 連れていかれたのは、英二のアパートからほど近い児童公園である。


 ブランコと滑り台、そして小高い丘がある。どこにでもある公園だが掃除が行き届いている。すっかり中年になった英二と比呂だが、この公園は子供の頃と変わらない。


「懐かしいなあ、このブランコ」


 サビの浮いた鎖を揺らして、比呂は言った。


 その腰には、真っ赤な鞘に収まった日本刀を差している。「熒惑(カグツチ)」。ダンジョンマスターを倒した際に獲得したマジック・アイテムで、今や剣聖の象徴と言われている。


「よく靴飛ばししたよな。三人で」

「ああ」

「英二が飛ばしすぎて、あそこの家のガラス割ってさ。あんときの爺さん、めちゃめちゃキレてたよなー」

「ああ。竹ぼうき振り上げて追いかけてきたっけな」


 応じながら、英二は比呂の横顔を観察している。


 こうして直接会うのは、いったいどのくらいぶりだろうか。もう思い出せないほど前なのは間違いない。英二も忙しいが、比呂の忙しさはその比ではない。日本で一番忙しい男と言っても過言ではないはずだ。


 そんな彼が、わざわざ会いに来るなんて――。


「あの爺さん、まだ生きてんのかなあ」

「さあな」


 なかなか本題を切り出さない比呂に、英二は言った。


「ダンジョンリゾートの社長に話をつけたのは、お前なんだな?」

「まあね」


 ブランコの鎖を引っ張ったりしながら、比呂は答える。


「下請けいじめなんて、今どき流行らないからな。業界全体のためにならないし、ここはビシッと言っておかなきゃと思ってさ」

「ふうん。……で、本当は?」


 比呂はぷっと噴き出した。


「その聞き方、昔と変わらないな英二」

「お互い様だ、比呂」


 笑いを収めると、比呂は話し始めた。


「例の『八王子のタイソン』とやらをお前がブッ飛ばした動画。撮影して流出させたのは俺なんだ」

「……」


 今朝からの疑問が、意外なところで解かれた。


「ダンジョン入窟者の顔は全員撮らせている。リアルタイムでAI解析が行われて、ある特定の人物が入窟した時、俺にホットラインで連絡が来ることになっててな」

「特定の人物というのは、俺のことか」

「そうだ。藍川英二がふたたびダンジョンに入ることがあれば、必ず俺の耳に入るようにシステムが組んであったのさ。当然、内部の定点カメラで動画も撮らせてる。タイソンが絡んできたのは予想外すぎたが――おかげで、お前のウデが錆びついてないことを確認できて、収穫だった。あんなクズでも役に立つこともあるんだな」


 英二は首を横に振った。


「わざわざ動画を流出させた理由は?」

「ひとつはお前をやる気にさせるため。もうひとつは――俺の個人的な腹いせだな」

「腹いせ?」

「だって――酷いじゃないか親友!」


 比呂は大げさに嘆いて見せた。


「この20年間、俺にばっかり面倒な英雄役をやらせてさ。政治家の選挙だの大企業の縄張りだの諸外国の対立だの、調整調整また調整、ほんと、何度あいつら螺旋衝撃剣(スパイラル・ソニック・ブレード)でブッ飛ばしてやろうと思ったことか! ったく俺は便利屋じゃねーっつの!! しゃちょーサマだっつぅぅぅぅのっ!!」


 顔を真っ赤にして、本気でキレている。

 剣聖のこんな顔は、テレビでも配信でもお目にかかれない。

 旧友だけに見せる本当の顔だった。


「お前が自分で買って出た役目じゃないか。今さら嫌とか言うな」

「……まぁ、そうなんだけどさぁ……」


 拗ねたように、足元の地面をげしげしと蹴る社長。

 その仕草は子供の時とまったく変わらない。


「せっかくバズったんだ。たまには英二もやってみろよ。『英雄』ってのを」

「ガラじゃないな」


 あっさりと英二は断った。


「どうしても?」

「どうしても」

「そこをなんとか!」

「なんともならない」


 拝み倒してくる剣聖を適当にあしらって、英二は尋ねた。


「それで、『俺をやる気にさせるため』ってのはどういうことだ。俺がまたダンジョンに戻らなきゃいけない理由があるっていうのか?」

「ああ――」


 すっ、と比呂の表情が変わった。


 真剣な顔つきになる。


「お前も気づいてるんじゃないのか。ここ最近、ダンジョンで起きている異変を」

「……」


 英二は無言で旧友を見つめ返す。


「モンスターの活動が明らかに活性化してきている。低級モンスターの大型化や縄張りの移動も見られる。今はまだ予兆の段階で、目立った被害も出てないが……」

「今のうちに手を打っておかねばならない、か」


 それは英二が課長に報告しようとしていた内容と同じだった。


「だったらニチダンが調査団を組織すればいいだろう。凄腕のレンジャーを雇ってチームを組ませて調査にあたらせればいい」

「ああ。先日の取締役会議でも、そう提案したさ。だが――否決された」

「否決? なぜ」


 比呂は苦々しい表情を作った。


「ダンジョンによる好景気が天井知らずの今、それに水を差すべきではないってさ。大規模な調査をするとしたら、今やってる開発なんかは一度ストップかけなきゃいけない。もし大きな異常が見つかれば、計画が頓挫する可能性もある」

「そんなこと言ってる場合じゃないだろう」


 英二の声が大きくなった。


「安全が確保されるまで、開発は止めるべきだ。そもそも最近の開発は少し行き過ぎている。ダンジョンに手を入れすぎているんだ。そのことが、モンスターの生態系を狂わせて異常を引き起こしている可能性だってあるんだぞ」

「だからこそ、お前に調査を頼みたいんだ」


 比呂の声も大きくなる。


「タイソンもそうだが、ここ最近のレンジャーの質の低下は目にあまる。不正合格が横行して名ばかりのA級が増えてしまった。今、俺が確実に信頼できるレンジャーは、お前くらいなんだよ。英二」


 かつて共に遊んだブランコを挟んで、二人はにらみ合う。


「お前の力を、この国は再び必要としているんだ。『無刀の英雄』の力を」


 その言葉に、英二は乗らなかった。


「それは順番が違うな。比呂」


 かつての親友の目を見つめて、静かに言った。


「お前がやるべきことは、政治家だの資本家だのを説得して、大規模調査を行うことだ。そのうえでなら俺は力を貸す。だが、開発を続けたいからこっそり俺に頼むなんてことは、筋が通らない」


 比呂は全身でため息をついた。


「本当にあいかわらずだな。あいかわらずの頑固者だ」

「それはお互い様だ」

「今日のところは引き上げよう。だが、ダンジョンに異変が起きているのは確かなんだ。そのことは、覚えておいてくれ」


 その時である。



「おじさん?」



 亜麻色のポニーテールを夕風になびかせた未衣が立っていた。

 半袖のセーラー服姿で、スクールバッグを背負い、手にはスーパーの袋を持っている。


「あっ、その、おじさんの家に行こうと思って。そしたら公園から声が聞こえたから。お話の邪魔しちゃってごめんなさい」

「…………」


 未衣の姿を見た比呂の顔に、驚きが広がった。

 目を大きく見開き、かすれた声で、その名前を呼んだ。



「……ま、舞衣……」



 そう口にした瞬間、比呂は自分の間違いに気がついた。


「いや、ごめん。未衣ちゃんか」

「う、うん。比呂おじさん、おひさしぶりです」

「いやあ、大きくなったな。それにめちゃくちゃ可愛くなった! 学校でもモテまくりだろ?」

「その、女子校なんで」

「あーそうだった! いや、年取ると物忘れ激しくなって、やばいな。なぁ英二!」


 大笑いして誤魔化す比呂の目尻に、光るものがある。


 英二はそっと目をそらして、言った。


「今、俺は未衣たちに付き合ってダンジョンに潜っている。学校から正式な部として認めてもらえるまで、しばらく潜ることになりそうだ。あくまで浅い階、危険の少ない階にしか行かない。それでよければ――俺が気づいたことを報告しよう」


 比呂はまじまじと英二の横顔を見つめた。


「ありがとう。恩に着る!」


 深々と頭を下げるニチダン社長のことを見ようとせず、英二は未衣の肩を叩いた。


「腹が減ったな。何か作ってくれ」

「……うんっ! まかせてっ!」


 未衣は嬉しそうに頷き、英二の肩に肩を寄せて歩き出した。

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