22 おっさん、会議でも無双


 7月も終わりに近づいた。


 学生は夏休みに入ったところだが、ダンジョン観光業は今が繁忙期である。英二も連日の早出残業、さらに休日出勤をこなさなくてはならず、未衣たちに付き合う時間がなかなか取れないでいた。


「夏休みなんだし、ちょっと『デゲイゴ』に行ってくる!」

「せっかく慣れてきたんだから、勘を鈍らせたくないもんね」


 そう言って二人が出かけていったのは、桜桃(おうとう)女子大学のダンジョン部である。


 夏休みを利用して、女子大生たちに混じって練習と実践を積もうというのだ。


 大学ダンジョン競技界のなかでは名門とされる桜桃女子大の練習に中学生がついていくのは無理だと、以前は断られてしまったらしいのだが――。


「サラちゃんと契約したって言ったら驚かれてさ。だったらいいよーって、お姉さま方が」

「私たちの動画、見ててくれたらしくて。足手まといにはならないって認めてもらえたよ」


 と、いうことで参加できたらしい。


 なんでも未衣と氷芽は、今、ネットで人気急上昇中のダンジョン配信者になっているらしい。サラマンダーと契約したり氷系魔法を使ったりする中学生なんて海外でもなかなかいないのだから当然の結果、しかも二人のルックスときたらアイドル顔負け。人気が出ないはずがない。


「毎日毎日、動画にものすごい数のコメントが来るの! 登録者も20万人超えちゃった」

「メンバーシップも申請がすごいよね。鳳雛生以外は入れないって言ってるのに、しつこく何度も来るんだよ」


 未衣と氷芽が運営する「鳳雛だんじょん♥ちゃんねる」は、動画は誰でも見られるが、生配信はメンバーでないと見られない(アーカイブもなし)。そしてメンバーは、二人と直接面識のある鳳雛生に限ってるらしい。


「だから、おじさんの正体はまだ世間にはバレてないと思うよ!」


 と、未衣は言っていたのだが――正直、今の英二にネットの評判を気にする余裕はない。


 なにしろ忙しい。


 通常業務が繁忙期なのに加えて、もうひとつ、自分で仕事を増やしている。


 それは――。





 事務所に朝陽が差し込む時刻。


「あの、主任。おはようございます」


 その控えめな声で、英二は目を覚ました。


 眠い目を開けると、椎原彩那が心配そうに英二の顔を覗き込んでいる。


「ん……。おはよう、椎原」

「起こしてすみません。また、泊まり込みですか?」


 事務所のソファをベッド代わりにして眠っていた。机の上には夜食に食べたカップ麺やコンビニおにぎりの殻が散乱している。まだ少し残っていた生ぬるい缶コーヒーを喉に流し込み、英二は瞼を軽く揉み込んだ。


「昨夜も泊まり込みだったんですか? このところ毎日ですね」

「ああ、どうにか終わったけどな」


 会社のPCでないと調べられないデータの分析を、英二は連日行っていた。第4層から帰ってきてからずっとかかりきりだったのだが――きょう未明、ようやくひとつのメドがついた。


 結果は、やはり英二の思った通りのものだった。


 データは正直だ。


 見たくないものまで、はっきりと可視化してしまう。


「……」

「主任? そんな苦い顔をされて、どうかなさったんですか?」

「いや。なんでもない」


 このデータは、おそらくダンジョン業界には歓迎されないだろう。


 だが、それでも、誰かがやらなくてはならないことなのだ――。


「椎原こそ早いな。今日の団体さんは何組だ?」

「午前に3組、午後に5組です」

「多いな。かき入れ時ってやつだな」


 煙草が吸いたいな、と思う。普段は吸わないが、徹夜明けの朝は吸いたくなる。


「そういえば、前に話した男性の件なのですが」

「男性?」

「ほら、ネットで噂になってるっていう、強いのか弱いのかわからない正体不明の」


 コンビニに行こうと立ち上がりかけて、英二は動きを止めた。


「あれから、彼の動画は編集したフェイクだったことが判明したそうです。自作自演でバズらせようとしていたって」

「自作自演?」

「やっぱり、そんなすごく強い人なんて、そうそういるわけないですよね」

「……まったくだ」


 サラマンダーとの戦闘を撮られていたのだろうと、英二はあたりをつけた。自演とはなんのことやらわからないが――時間を凍らせた映像を「編集」「フェイク」と解釈してくれたのなら、これ幸い。認識阻害魔法のおかげで顔バレはしてないようだし、このまま忘れてもらえれば生活を乱されずに済む。


 今度こそコンビニに行こうとした時、デスクの電話が鳴った。どうやら運命はどうしても英二に煙草を吸わせたくないらしい。その方が健康にいいかと思いつつ、受話器を取った。


『藍川くん。君、今日は新宿に行ってくれ』


 権田課長が、いつものごとく唐突に無茶振りしてきた。


「新宿? どういうことでしょうか」

『ダンジョン関連の役所や企業が一堂に会して、会議が開かれる。ダンジョン庁の長官やニチダン社長も出席する重要な会議だ』

「うちみたいな零細が、そんな大会議に席があるんですか?」


 下請けのそのまた下請けが出ていいような会議には思えない。


『知らんよ。うちにも出席せよと、ダンジョン開発庁のお役人から早朝に連絡があったんだ。それも君をご指名でね』

「私を? 官僚に知り合いなどいませんが」

『だから、知らんよ。こっちが聞きたいくらいだ』


 課長は声を潜めた。


『いいか藍川。お役人や親会社の心証を悪くするようなことは絶対に言うな。何を聞かれようと言われようと『はい』しか言うなよ。わかったな?』

「はあ……」

『そうだ、椎原くんも連れて行け。君ひとりじゃ不安だし、綺麗どころがいれば少しは見栄えも良くなるだろう』


 そんなキャバクラじゃあるまいしと思うが、課長はそういう次元の思考しかできない人だった。英二より上の世代は、たいていそうだ。


「彼女も私も、今日は別件がありますが」

『そんなものはこっちでなんとかする。詳しい時間と場所はこれからメールするから、いいな?』


 英二はため息をついて受話器を置いた。


「俺たち、今日はダンジョンじゃなくて新宿に行くことになったぞ」

「ほ、本当ですか? 主任と一緒に?」


 なぜか嬉しそうにメイクを直し始めた彩那を眺めつつ、英二は憂鬱な気分になるのだった。





 京王線に小一時間揺られて、西新宿のオフィス街にそびえたつニチダン本社ビルに英二と彩那はやって来た。


『今後のダンジョン開発における戦略策定会議』


 それが会議の名称である。


「ようするに、何を話し合う会議なんでしょうか?」

「今後のダンジョン開発における戦略を策定する会議なんだろう」


 スーツ姿も麗しい彩那の問いに適当すぎる回答をして、英二はあくびした。眠い。やはりこの歳で徹夜はこたえる。会議中は睡魔と戦うハメになりそうだ。


 エレベーターに乗って最上階の50階まで上り、会議場となっている大ホールに足を踏み入れた。すでにかなりの人数が着席している。いずれも意識の高さを全身からみなぎらせているエリートばかり。徹夜続きで無精ひげは伸び放題、ジャケットの上着を手に持ち、ネクタイもよれている英二のことを、異物を見るような目で見つめている。


「なんだ、あの男は」

「どこかの社のお抱えレンジャーでしょう」

「そのわりには、無刀じゃないか」

「A級を雇えないような企業が、この重要な会議に参加してるのか?」


 さざ波のように悪意の囁きが押し寄せてきて、彩那は唇をへの字に曲げた。


「私、あの方々に言ってきましょうか。主任はA級ですって」

「必要ない、必要ない」


 英二はひらひらと手を振って、指定された席に座って頬杖をついた。


「ここに集ってるのは超がつく一流企業ばかり。雇ってるレンジャーはA級が当たり前だ。彼らを見てみろ」


 あきらかに一般人とは異なる空気感を漂わせている男たちがいる。

 彼らは全員、腰に刀を帯びていたり、背中に剣を背負ったりしている。


「彼らは権力者(エグゼクティブ)の用心棒も兼ねているからな。A級レンジャーがなぜ法的に帯刀を許されてるか、わかるだろ」

「自分たちに恨みを持つ者のテロから身を守るために、というわけですね」


 彩那の見方はやや皮肉を含んでいたが、確かにそういう側面もある。ダンジョン利権で巨額の富を得た上級国民に、一般国民の怨嗟の声が集まってるというのは事実で、特に過酷な工事や冒険に駆り出されて子供を亡くした親、親を亡くした子供たちの憎しみは誰にも止められない。そういった憎しみが引き起こすテロから我が身を守るため、権力者たちは法律を整えたのである。


 その時、扉が開いてひとりの男が入ってきた。


 黒縁の眼鏡をかけた恰幅のいい男で、歳は60歳間近というところ。この暑さだというのに黒のスーツをかっちり着込んでいる。面長の顔は青白く、険しい目つきで会場を見回している。


 周囲に緊張が走る中、男はゆったりと歩いていく。


 ダンジョン開発庁のトップ、黒岩賢(くろいわ・けん)。


 長年官僚としてダンジョン開発に携わり、一昨年長官に就任した。ニチダン社長の来栖比呂と並んで、この国のダンジョン開発の最重要パーソンのひとりである。


 名だたる大企業のトップも、彼の前では愛想笑いを浮かべるしかない。彼がNOと言えば、もうこの国のダンジョンでビジネスはできなくなるのだから。

 

 その黒岩がふいに英二の姿に目を止めた。


「なんでしょう、長官がこちらを睨んでいますよ」


 不安な声で彩那が言ったが、英二は眠気に襲われてそれどころではなかった。眠い。このまま居眠りを決め込みたいが、それはレンジャー以前に社会人としてどうなのか。今は中学生二人を指導する身であることだし、さすがに――などと船を漕ぎながら葛藤していると、黒岩がつかつかと歩み寄っていた。


「藍川くん! ひさしぶりだね!」


 英二の肩を叩いて、長官は言った。


 彩那が「えっ」と小さく声をあげる。周りにいた社長連中の驚きはそれ以上だった。あんぐりと大きく口を開けて、冴えないサラリーマンに親しく話しかけるダンジョン官僚トップの姿をぽかんと見つめている。


「ええ、はい。黒岩さんもご立派になられて」

「何を言うんだ。今日の私があるのは、君たちのおかげなんだから」


 あくびをかみ殺しながら、英二は応じる。そうだ、忘れていた。自分にも官僚に知り合いがいた。最後に会ったのはもう十年以上前だからすっかり忘れていたが、きょう英二を呼んだのはこの黒岩長官に違いない。


 そう――。


 英二と黒岩は面識がある。


 初めて会ったのは、ダンジョンクリアの翌日、とある一流ホテルの会議室である。

 

 あの時の黒岩の肩書きは「内閣情報分析官」であり、英二は高校三年生だった。あれから黒岩は出世して――そこには様々な苦労や競争があったに違いないが――二十年かけて、ひとつの庁のトップにまで登り詰めたのだ。


「私が長官になれたのは、表では来栖くんが、裏では藍川くんがダンジョン開発を支えてくれたおかげだよ」

「私は何もしてませんよ。ただ知ってることを教えただけです。……くあぁ」


 自分の存在を秘密にしてもらう代わりとして、英二は自分が持てる知識の大半を当時の内閣調査室に提供した過去がある。


 そのことを今でも感謝してくれているのはありがたいが、今は居眠りさせて欲しい。


 彩那はきらきらと憧れのまなざしを英二に送っている。「主任がそんなすごいお仕事をされていたなんて!」。眠いのに、やめてほしい。いっぽう、社長連中からの視線は驚き半分、嫉妬半分といったところで、長官と美女に挟まれている英二を湿った目つきでにらみつけている。


 その時、再び扉がバァンと開かれた。


 キザな白いスーツに全身を包んだその優男は、ぴんと小指をたてて秘書が差し出したマイクを持ち、スピーカーを通して場内に美声を響き渡らせた。


『ぃやっふぅぅぅぅぅーーーい! レディース・アン・ジェントルメンッ! ようこそ我が城へ!』


 剣聖・来栖比呂社長のご登場である。彼の場合はこれが平常運転なので、会場の反応はごくごく普通だ。


 比呂はそのまま一曲歌い出しそうな勢いだったが、英二と長官の姿を認めると、マイクを秘書に放り投げてササッと駆け寄ってきた。


「おお英二、心の友よ! 長官と旧交を温めていたのか? ずるいですよ長官! 英二は俺の親友ですよ!?」

「いいや来栖くん。私にとっても彼は恩人だ。君といえど譲れないな」


 英二を挟んで、ダンジョン業界のトップ二人が言い合いを始めた。

 周囲はもう、ただただ唖然として成り行きを見守るばかりだ。


「いったい、あの男は何者なのだ?」


 そんな囁きに、英二は心の中で答える。


(ただの徹夜明けのおっさんだよ。まったく――)


 そうぼやきながら――。


 ふと感じた視線、いや殺気に目をやると、そこには背の高いひょろりとした若い男が立っていた。


 紺の着物を、着流しで着ている。


 ヘビのような男だ、というのが第一印象だった。


 分厚いミカンの皮にナイフで切れ目を入れたような、細い目。


 その両眼から放たれるギラギラした殺気は並のものではなく、英二をして振り向かせるほどであった。


 腰には、長い日本刀と、短い日本刀を、一本ずつ帯びている。


 眼は険しいのに、薄いくちびるには笑みが張りついている。


 そうして笑いながら、いや、嗤いながら――壁を背にして英二をじっと観察している。


 誰かがささやきあう声が聞こえた。


「あいつ、切崎塊(きりさき・かい)だ」

「第50層まで単独でクリアしたとかいう、あの?」

「どこかの企業が雇ったのか」

「今まで、無頼だったのに」

「いったい、何億積んだのやら――」


 切崎塊。


 その名前だけは英二も聞いたことがある。


 職業(クラス)は二刀流(ダブル・ブレーダー)。


 現役最強の日本人レンジャーと言われる男だった。

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