42 おっさん、○○○


 ――英二くん。ねえ、英二くん。


 思い出のなかで、彼女は呼びかけてくる。


 それは、なんでもない日常風景。


 ダンジョン探索のない日。


 のどかな昼休み、高校の教室。


 比呂は女子に囲まれて、ダンジョンでの武勇伝を面白おかしく語って聞かせていて。


 英二はのんびり、自分の机で居眠りをしている。


「英二くん。起きてくださーい」


 ぷにっと頬を突かれて顔をあげると、そこにはにこにこと微笑む舞衣の姿がある。学校では黒縁眼鏡をかけて、長い亜麻色の髪をみつあみのおさげにしている。豊かなふくらみを示す胸には、分厚い本を大事そうに抱えている。


 いかにも「文学少女」という風情――。


 ダンジョンさえ出現しなければ、彼女は見た目通りの人生をつつがなく送ったことだろう。


「舞衣。また新しい本を読んでるのか?」

「えへへ。わかりますか?」


 わかる、と英二は思う。


 彼女がこんな嬉しそうにするのは、面白い本を見つけた時だけだから。


「『大英図書館』から秘蔵の魔法書(グリモワール)を借りられたんです。魔法と祈りの関係について、詳しい理論が載ってるんですよ」


 英二の前の席に腰掛けて、舞衣は本を広げて身を乗り出す。みつあみから、甘やかなシャンプーの匂いがふありと香った。


「この本によれば、魔法と祈りは本質的に同じものらしいんです」

「祈るだけで、モンスターが倒せれば苦労はないと思うけど」

「『祈り』っていう大きな括りのなかに『魔法』も含まれるって言った方がわかりやすいでしょうか。たとえば治癒魔法レベル1の詠唱は『光よ、彼を癒し給え』。――ほら、祈ってるでしょう?」

「なるほどね。祈ることから奇跡は始まるって話か」


 舞衣の頬に可愛らしいえくぼができた。


「英二くんにしては、ロマンチックな表現ですね」

「別にそういうつもりじゃないけど」

「魔術学において『祈り』で最上のものとされるのは『純潔の乙女が捧げる祈り』なんですって。乙女の祈りを束ねれば奇跡さえ起こせるだろうって」

「そういや『乙女の祈り』っていう曲があったっけ」

「はい。バダジェフスカ」

「新幹線のドアの曲な」

「そう言われると、ロマンがどこかにいっちゃいますけど……」

 

 くすっと笑うと、それから舞衣はふいに真面目な顔つきになった。


「英二くん」

「なに」

「もう、あんな無茶はやめてくださいね」


 思わず英二は舞衣の顔を見返した。


「なに、いきなり」

「だってこの前、手負いのミノタウロスの斧に飛び込むなんて」

「詠唱中の舞衣を守るのは俺の役目だから。それに、ケガしたって舞衣がすぐに治してくれるだろ」

「…………」


 舞衣は無言で英二の目をじっと見つめた。その丸い目にはうっすらと涙がたまっている。


 ――あっ。


 その時になって、ようやく、英二は本のタイトルに気づいた。ページ上部に印字されている。「回復魔法と祈り」。おそらく舞衣は、英二のためにこの本を借りてきてくれたのだ。


「その、……ごめん舞衣」


 舞衣は笑って、ふるふる首を振った。


「わたしも、いちおう乙女のはしくれですから。英二くんのために祈ります」

「……うん」


 頬が熱くなるのを英二は感じた。

 目をあげられない。

 まともに舞衣の顔を見られそうになかった。


 その時、大きな腕に後ろからがばっと抱きつかれた。


「二人とも!  何イチャイチャ見せつけてんだよ俺だけ仲間はずれで!」


 比呂だった。

 ギリギリとヘッドロックで英二の頭を締め上げる。


「イチャイチャしてない。お前こそ他の女子とずっとイチャついてただろ」

「あーあーあー悲しいなあ! 三人パーティーで俺だけ蚊帳の外でさあ! 生死を共にする仲間だっていうのに学校ではこの有様だよオーイオイ!」


 盛大な嘘泣きをかます比呂に、舞衣は笑って首を傾げた。


「じゃあ、比呂くんも一緒に魔法のお勉強しますか?」

「んっ? 勉強? ……それじゃ、そういうことで」


 さっと逃げようとした比呂のシャツを、英二は掴んだ。


「はっ、離せ英二! 離すんだッ」

「三人パーティーだろ? 生死を共にする仲間だろ?」

「離せェェェェェェェェェェェェェ」


 比呂の悲鳴が響き渡り、成り行きを見守っていた他のクラスメイトたちが大声で笑った。



 それは、遠い昔の話。



 少年の日の話。



 まだ、深い悲しみを知る前の話。





(祈ることから奇跡は始まる)

(乙女の祈りを束ねれば、奇跡さえ起こせる――)


 当時のことを思い出して、英二は無精髭の口元に笑みを浮かべた。


(信じてみるよ。舞衣。お前の言葉を)


「桜舞」を操り、襲いかかるRの爪を回避しながら、精神集中を開始する。


「さがみ」の甲板に設置された魔導機が「乙女の祈り」を集めて、桜舞に送ってくれている。まだ微弱な波動でしかないが、その力は確かに「桜舞」に組み込まれている顕現術式を通して伝わってくる。


 しかし――。


「っ!」


 灼熱息吹(メテオ・ブレス)が再びRから放たれた。全力で回避する「桜舞」だが、今度は間に合わなかった。脚部に被弾し、両脚が焼け落ちる。胴体まで延焼が及ぶ前にパージして、上半身だけの姿になった。


「出力が落ちた?」


 計器に表示されている魔導係数がグッと下がった。術式を維持できる数値ギリギリである。脚をやられただけなのに、どうやら「人型が大事」という舞衣の理論は本当だったらしい。「藁人形だって、人間に似せた形を作るでしょう? それと同じリクツですっ」。当時はめちゃくちゃだと思ったものだが、20年越しに答え合わせをされてしまった。


 厄介なことは、もうひとつある。


 かなり距離を取ってはいるが、Rとの戦闘空域周辺にヘリの姿が何機か見える。おそらく望遠でこちらの映像を狙っているのだろう。Rのブレスが強力すぎてまともに撮ることはできないだろうが、英二の回避運動には制約ができてしまう。下手にブレスかわせば、彼らに命中させてしまう恐れがあるからだ。


「もう、長くは持たないな」


 他人事のように呟きながら、英二はひたすら飛び回り、時間を稼いだ。





 緊急対策本部に「桜舞」外部オペレーションを担当する技術員たちの悲痛な叫びが響き渡った。


「脚部に被弾! 損壊率30%を越えました!」

「腰部魔導スラスター出力低下。各基部MPの半数が消失。このままでは飛翔状態を維持できません、墜落します!」


 先ほど起動成功の喜びに沸いたばかりだというのに、もう地獄へと叩き落とされている。


「英二くんと『桜舞』でも、Rには通用しないのか!?」


 ぎりぎりと歯噛みする黒岩長官だが、いっぽうで埠頭にいる比呂は別の見解をもっている。


(一番のネックは、年齢だ)


 英二も比呂も、すでに38歳。

 そろそろ40に手が届こうかという歳になっている。


 むろん、英二はまだまだ衰えてはいない。むしろ技術と戦闘知は年を経る毎に冴え渡り、総合的な実力なら「今が全盛期」といってもいいかもしれない。


 だが、回避行動に必要な瞬発力と動体視力だけをみれば、やはり十代の頃のままというわけにはいかないのだ。


(現役時代の英二なら、あんな攻撃に当たるはずはないんだ)


 桜舞がその動きについて来られたかどうかはともかくとして、比呂はそう信じている。


「なあ、舞衣よ」


 いつの間にか、比呂は祈るようにつぶやいていた。


「英二に力を貸してやってくれ! 頼む!」





「さがみ」の甲板で。


 未衣と氷芽。


 両手を胸の前で組んで、遙か上空の英二に祈りを捧げている。


 あどけない瞳をきらきらと輝かせながら、じっと見つめている。


「おじさん。あたし信じてるよ。おじさんならこの世界のどんなやつにも負けない。わたしのおじさんは世界一だって信じてる! 大好きだから!」


「藍川さん。これで終わりだなんて言わないよね? まだ教えて欲しいこと、たくさんあるのに。もっと鍛えてくれるよね? もっと強くしてくれるよね? またダンジョン連れて行ってくれるって、信じてるから!」





 八王子市内の避難所でも。


「主任……?」


 ふいに気配を感じて、椎原彩那はカレーをよそう手を止めて空を振り仰いだ。


 避難所に指定された小学校のグラウンドで、彩那は炊き出しを手伝っている。


「お姉ちゃん、どうしたの?」


 不思議そうに尋ねた避難民の子供に、彩那は微笑みかけた。


「お姉ちゃんの上司――尊敬する人の声が聞こえた気がしたの」

「そのひと、いまどこにいるの?」

「それは、わからないけれど……」


 彩那の胸には確信がある。


 彼はきっと、今このときも戦っているはずだと。


(私、また主任と一緒にダンジョンで仕事がしたいです)


(負けないでください――!)





 配信のコメント欄にも、祈りがあふれていた。


“おじさま 勝って!”

“がんばっておじさま!”

“おじさま、お慕いしております……ポッ///”

“はじめて尊敬できる大人に出会えました”

“いいねボタン1億1回連打してますわ!”

“ダンジョン部に入ればお会いできますの?”

“ずっと おじさまのおひげのこと かんがえてます”

“お手紙 未衣ちゃんに渡すので 読んでクダサイ”

“甘いもの好きですか?”

“おっ お嫁さんにしてくださいませっ”

“どさくさに紛れてコクッてるんじゃないですの!”

“おじさまの勝利を お祈りいたします!”





 それらすべての祈りが。


 乙女の祈りが。


 人々の祈りが。


 光となって、凄絶な戦いを繰り広げる英二のもとへと集まっていく。



『グオォォォォォォォォォォォォォォォォォォォッッッッッ!!』



 その祈りを打ち砕くかのように、Rの咆哮が響いた。


 同時に吐き出される灼熱息吹(メテオ・ブレス)。


 紅蓮の炎が、横浜の空をまっぷたつに引き裂いていく。


「桜舞」は、ついにその攻撃をかわすことはできず、英二の張った魔法障壁の重ねがけも突破されて、前面の装甲が熔けてコクピットがむき出しになってしまった。


 今の攻撃でまたひとつ魔核が壊れて排出された。


 残すはあと、たったひとつ。


「よう、はじめまして」


 はじめて直接肉眼でRと対面して、英二は軽口を叩いた。


 Rはその真っ赤な両眼で英二をまじまじと見つめている。いったい何を思うのか。自分を手こずらせた相手がこんな冴えないおっさんだったことに失望しているのかもしれない。だとしても反論できないな、と肩をすくめるしかなない。


「あと、もう少し――」


 物言わぬ竜に対して、英二は語りかけた。



 英二の体が、いつの間にか光に包まれている。


 その輝きはどんどん強くなり、英二の姿(シルエット)を白く塗りつぶしていく。


『グルゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッッッッッ?』


 Rの唸り声に驚きの色が含まれている。


 何千年、何万年と生きるといわれている古竜が、人間を見て驚くなどということがあるのだろうか? だが、事実、Rは硬直していた。自分の目の前で起きつつある「奇跡」に、ただ、見入ってしまっていたのだ。


「お前さんより、ずっとひ弱で、脆くて、醜い俺たちだが」


 白い光のなかで、声がする。


 それは英二の声には違いない。


 だが、少し声のトーンが高い。


「こうして肩を寄せあって、必死に生きているのさ。そこんところ、わかってくれや。なあ『竜』よ」


 白い光が次第に収まっていく。


 現われたのは、38歳のおっさん――――ではない。


 少年。


 歳は、おそらく10代前半。


 未衣や氷芽と同じか、あるいはさらに年下か。


 水が滴り落ちそうほど瑞々しい香気に満ちた少年が、桜舞のコクピットの中に立っていた。



「『無刀の少年』藍川英二だ」



 20年前に呼ばれていた名を、英二は名乗った。


 右の拳を握りしめる。


 そのなかには、残る最後の魔核が握られている。


「藍川英二の名を賭して、我が拳に命じる。お前は炎だ、燃え上がれ。握って、潰して、焼き尽くす――」


 それは魔法の詠唱ではない。


 暗示。


 己こそが天上地上地下最強であると、拳に刻み込むための暗示――。



『グアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッ!!』



 硬直から解けたRが、再び攻撃を開始する。喉の奥に烈しいマグマが出現する。これまでの比ではない、腹や喉まで発光するほどの火炎を溜め込み、少年めがけて吹き付けた。


 だが――。


 少年の拳の方が。


 迅(はや)くて、勁(つよ)いッ!!!




「無刀・三つ星レネシクル



 拳が、三度、突き出された。


 Rの眉間と、顎と、胴体に、それぞれに命中する。


 命中した場所が、えぐれる。


 ヒットした場所、その空間ごと、えぐり取られた。


 えぐり取られた場所は、黒い穴となり、その穴へと、Rの全身が吸い込まれている。強靱さを誇った鱗も、鋭い牙も、真っ赤な両眼も、すべて塵となりながら黒い穴――マイクロ・ブラックホールの中に吸い込まれていく。


「終焉(ブラック・アウト)」


 少年がつぶやくと同時に、黒い三つの穴はかき消えて、Rの巨体も消え去った。


 暗黒の世界へと旅だったのだ。


 勝利。


 その瞬間――。


 少年の拳のなかで魔核が砕けた。さらに「桜舞」の姿勢制御に用いていた魔核も砕け散り、全機能を停止する。


 ――ありがとう、舞衣。

 ――ありがとう、みんな。


 巨大な魔導装甲は、無刀の少年とともに、海の中へと墜ちていった。

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