33 吼える。
英二のもとへ比呂社長からラインが来る前――。
その2時間ほど前の出来事である。
地下5層の湖畔にて、先日中止となってしまった測量作業が再度実施された。
前回の失敗を踏まえて、人員は倍以上に増やされている。
護衛のレンジャーも切崎だけではなく、高い報酬で雇われたA級が5名。
さらに、この工事を推し進める我間代表までもが、視察と称してこの測量に同行していた。オーダーメイドの高級スーツはもともと似合っていないが、今日は黄色いヘルメットをかぶっているため、ますます似合わない。
一現場に社長みずから視察に来るのは珍しいことだが、それだけ彼はこの工事に賭けている。ドラゴンバスタープロジェクト(DBP)の成功は、彼がダンジョン業界の盟主にのしあがるために絶対に必要なのだ。
「まったく、こんなことじゃ困るんだよねえ。切崎くん」
高価なパナマ製の葉巻を吸い、臭い煙をダンジョンに撒き散らしながら、ガマガエルは不満たらたらである。ダンジョン内は禁煙が法令で定められているが、この男は気にする様子もない。秘書が躊躇いがちに注意しても「ワシの会社がカネを出してる工事だぞ」と、まるでダンジョンを自分の土地のように考えている。
そんなガマガエルにしてみれば、切崎だって「犬」にすぎない。
「君には普通のレンジャーの5倍のギャラを払っとるんだ。それは5倍の働きを期待してのことなのに、たった一人の邪魔者すら排除できないとは」
肥満した腹を揺すりながら、ガマガエルはグチグチ文句を言い続ける。
「国内最強とか言われているくせに、あの動画のていたらくはなんだね。え? どこの馬の骨ともわからん『無刀』ごときにボコされおって。こんなことじゃR殲滅の部隊指揮は任せられんよ。なんとか言ったらどうなんだ!」
切崎は無言である。
その顔はまだ英二にやられた傷が癒えていない。痛々しく腫れ上がっている。痣があちこちに残り、ハードパンチャーと戦って敗れたボクサーのような有様だ。誰とも目を合わせようとせず、むっつりと黙り込んだまま、湖の周辺を歩き回っている。
「さっきからふらふらと、何をしているんだ?」
切崎は答えない。
誰の声も耳に届いていないかのように、虚ろな目で、時折しゃがみこんではぶつぶつと何か呟いている。「あれはもう駄目だな」とガマガエルは思い、彼に支払った契約金を取り返すための法的手段をとろうと決めた。
「それにしても、ここはやけに蒸すねぇ」
秘書にうちわで扇がせながら、ガマガエルはネクタイを緩めた。湖畔で涼しいはずなのに、気温は二十八度を記録している。真夏の地上よりはまだ低い気温だが、湿度が高い。ハンカチで拭っても拭っても、汗が止まらなかった。
「5層っていうのはこんなに暑いのかね? 聞いてた話と違うじゃないか」
「いえ。このあたりはとても過ごしやすい場所のはずなのですが」
「これじゃここにリゾートホテルを建てる計画は考え直さなきゃならんよ。まったくダンジョンってのは、どうしてこう思い通りにならんのかねえ」
恐縮する秘書をにらみつけていると、作業員が報告に来た。
「代表、今日は中止して地上に戻りましょう」
「ああん?」
「水深1メートルまでの水温が、摂氏二十度を記録しています。これはおかしい。こんな異常は今までなかったのです」
「聞いとらんよ、そんな話ィ!」
まだ吸いきってない葉巻を作業員に投げつけた。
「ただでさえ遅れが出てるというのに今日も中止だと? ふざけたことを抜かすな! 損失をこれ以上膨らませてどうする、ワシのカネだぞ!」
「し、しかし、これは明らかに異常事態で……」
助けを求めるように、作業員は切崎を見た。顧問レンジャーである切崎は「ダンジョン探索」の専門家として、こういう時に意見を述べるために立ち会っているはず。
だが、依然として彼は口を閉ざしたままだ。
ガマガエルはわめきちらす。
「いいから突貫! 突貫でやれ! できない理由をいちいち並べやがって無能どもが! ビジネスは即断速攻! すべて自分事! 他人のせいにするな! それができんからお前らは底辺なんだよ! 底辺が!」
傷ついた表情で作業員が引き下がると、入れ替わりに赤い髪の巨漢が現われた。
「まあパパ、落ち着いてよ」
「おお、太尊(たいそん)か」
迷惑系ダンジョン配信者・八王子のタイソン。
ガマガエルの息子である。
配信用のカメラをその手に持っている。
英二に倒された動画が世に出回り、ダンジョン配信者として失墜して再生数が激減した彼だが、まだ配信業をあきらめたわけではなかった。「どうせ世間は移り気、あんな動画のこともすぐに忘れる」。そう見越して、ほとぼりがさめた頃に復活を狙っているのだ。
父親に同行したのは、やはり動画撮影のためだ。
「俺がばっちり撮ってパパのDBPを動画化するからさ。プロジェクトXみたいな波瀾万丈ドキュメンタリーに仕立てるから」
「ほう、そんなことができるのか?」
「演出と編集でどうにでもできるさ。任せてよ。俺のチャンネルは登録者一千万超えてるんだから」
「そうかそうか。お前は親孝行だな」
子供(といっても、すでにタイソンは30を越えているのだが)には目尻を下げるガマガエルだが、部下たちには容赦がない。
「息子がこう言ってるんだ! お前らもさっさと作業進めんかっ!」
げんなりした顔で作業員たちは頷いた。
タイソンは、ひとり輪からはずれている切崎のところへ、カメラを持ったまま近づいていく。
「ねえ切崎サン。あんたも俺の動画に出てくんない?」
「…………」
「ねえってば。聞こえてるんだろ? 『あんあんあんっ』」
切崎の頬がひくり、と動いた。
作業員の誰かが、笑いをこらえきれず「プッ」と噴き出すのが聞こえた。
勢いづいて、タイソンはニヤニヤと笑った。
「切崎サンさぁ、もっと危機感もとうぜ? あんたはもう凄腕レンジャーでもなければ『二刀流』(ダブル・ブレーダー)でもないわけ。『あんあんあんっ』の人なわけ。でもさぁ、逆転の目がないわけじゃないぜ? 俺の動画に出て『あの動画の裏側をすべて本音で暴露します』みたいなタイトルで撮ろうよ。うまく編集するからさ。きっとすげーバズるぜ。ウィンウィンだ。なあ? 『あんあんあんっ』」
今度は誰も笑わなかった。
切崎がものすごい目つきでタイソンを睨んだからだ。
「な、なんだよ」
タイソンはたじろいだ。我がまま放題に育った彼も、レンジャーとしての実力はすべて切崎のほうが上であることは理解している。切崎に「殺人嗜好」があるという噂も知っていた。
「動画撮るなら、いいネタを教えてやろう」
切崎はぼそりと言った。
「ここの湖はな、水脈で下層とつながってるんだ。湖に深く潜ると下層にしかいない生物にお目にかかれるし、たまにそいつらの死骸が水際に打ち上げられてることだってある。本物のA級レンジャーなら経験で知ってることさ」
本物の、という言葉に切崎は力を込めた。
A級の肩書きを持つタイソンが、配信ばかりでろくに探索もしてないことを指摘したのである。
「湖の水温が上がってるってことは、ここより更に下層で何かが起きてるってことなんだ。そう、何かがな――」
「は、はは、レッドドラ……、いや、Rの仕業だって言いたいのか? ありえないって」
父親の前で恥をかきたくないと、タイソンは汗だくになりながら反論を試みた。
「仮にRの活動が活性化しててもだよ? あいつの巣は11層にあるんだろ。この5層にまで影響を及ぼせるわけねーよ」
「ああ。普通ならな」
切崎の手には、いつの間にかカードが握られている。
複雑な文様と、魔族の用いる言語「ルーン文字」が書かれたカードだ。
「この呪符にはな、レベル7の火系と風系を組み合わせた爆裂魔法が込められている。闇ルートで一枚百万ドル以上で取引されてるシロモノだが、五枚もあればこの一帯を湖ごと吹き飛ばせるだろう。その呪符を――この周辺に十枚、仕掛けておいた」
タイソンもガマガエルも、親子揃ってあんぐりと口を開けた。
「へっ? 何? なんの話? 爆裂魔法?」
「なんの話をしてるんだいったい。頭でもおかしくなったのか?」
切崎は二人の質問を無視して話し続けた。
「なにしろレベル7魔法だ。俺は呪文詠唱者じゃないし、呪符があればできるってわけじゃない。触媒――いや、生け贄が必要となるのさ。それさえあれば、この湖を吹っ飛ばし、水脈を通じて11層までつながる大穴を開けることができる」
「い、生け贄?」
「知ってるか代表。黒魔法の儀式には、古来、カエルが付き物なんだぜ――」
ガマガエルはごくりと唾を飲み込んだ。
「じょ、冗談はやめたまえ。そんな爆発じゃ、君だって無事じゃすまないだろう」
「いいや俺は生き残る。バリア魔法の呪符も準備ずみだよ。――ひとりぶんだけだがね」
それまでずっと無表情だった切崎の唇が、にぃっ、と三日月型に吊り上がった。
「なっ、なんのためにそんなことするんだよ!?」
「教えてやるよドラ息子。本物のレンジャーにとって、敗北ってのは死を選ぶほどの屈辱なんだ。お前みたいに負けてヘラヘラしてるようなのは――本物じゃねえんだよ」
どすっ、と鈍い音がした。
じわっ、とシャツに血のシミが広がっていく。
タイソンの腹からの出血だ。
みぞおちに、切崎の刃の切っ先が突き刺さっていた。
「痛いよパパ痛いよおおおおおおおおおおおお」
悲鳴をあげてのたうち回るタイソンを見下ろして、切崎は言った。
「そして、本物の中の本物、超一流レンジャーが選ぶのは『復讐』だ。自分を負かしたやつへの復讐。そして――この切崎塊をコケにしやがった世界への、復讐だ!!」
「ひっ、ぃぃぃ」
息子を見捨てて逃げようとしたガマガエルの背中に、もう1本の刃が突き刺さった。
「『即断即決。すべて自分事。他人のせいにするな』。さっきあんたが言った通りだよ。代表みずからが生け贄になることで、DBPは予定より半年以上早く実行される。経営者の鑑だな。株主どもが泣いて感謝するだろうぜ」
血を払って刃を鞘に収めた後、切崎は詠唱を始めた。
「ザード・カイザード・グ・スク・グロス・クルス! 我が求めに応え、贄を喰らい、火と風混じりて爆ぜよ!! 死風爆裂(ギバドデズド)!」
途端――。
湖の周辺で、複数の「火の柱」が出現した。
その火の柱は、いわゆる六芒星を形作った。続いて、地下5層全体が激しい揺れに見舞われる。岩肌に亀裂が走り、地面が大きく揺らぎ、穏やかな湖に荒波が生まれて作業員達を飲み込んでしまう。
だが、これは前ぶれにすぎなかった。
レベル7魔法となると戦術兵器並の威力を持つものがほとんどで、切崎が使用したのは特に効果範囲が広いと言われる爆裂魔法だ。この程度の爆発ではすむはずがない。
本命の爆発は、湖のなかで起きた。
水柱が何本も何本も立ち上り、さらなる揺れが襲った。天井が崩れ、岩石が落ちてくる。作業員たちが何人も下敷きになった。いち早く逃げ出したレンジャーたちも、立ち塞がった切崎によって次々に斬られた。
「はははは。はははははは。あはははははははははは、ざまぁみやがれ」
血塗られた2つの刃を手に、切崎は笑った。
哄笑。
まさにその言葉が相応しい笑いかただった。
しかし。
――グルゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッッ!
地の底で、別の低いうなり声が響いてきた瞬間、切崎は笑うのをやめた。
「ようやくお目覚めか。R」
ビシッ、ビシビシビシッ、と耳障りな音が響き、地面が崩れていく。
割れた地面から、真っ赤な炎のような鱗が放つ光が洩れて、地下5層の薄闇をカッと照らしていく。
対象R。
その力の恐ろしさから、名前を呼ぶことすら憚られる存在。
世界じゅうの伝承、神話、お伽噺にもその名が轟く存在。
その名は――竜(ドラゴン)。
『 グオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!! 』
燃えさかる火炎に包まれた長い首だけを、第5層に現わして吠える。もう、この首と頭だけの時点で10メートル以上はある。いったい全身となるとどれほどの巨体なのか。
「さあ、頼むぜぇ、R」
吹きつける灼熱の風を魔法障壁(バリア)で耐えながら、切崎は頬が割けるかと思うほど唇の両端を吊り上げた。
狂いの笑みだ。
「このくそったれな世界を――この俺をバカにする世界をぜんぶ、ぶっ潰せ! 焼き尽くせ燃やし尽くせ! そしてその後、俺がお前を狩る。そうすれば俺は世界を救った英雄だぁ、来栖比呂や桧山舞衣に並ぶ、英雄って呼ばれるようになる、そうすれば、過去の恥なんて、みんな忘れちまうんだ!! はははは、ひゃああはははははははははははははははははははははははは!!」
その瞬間――。
Rが、切崎のほうを振り向いた。
がばぁっ、と、大きくその顎を開く。
喉の奥に、煮えたぎるマグマのような赤を、切崎は見た。
そして、次の瞬間――。
『 オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッッ 』
メテオ・ブレス。
R最大の武器と呼ばれる灼熱息吹が、放射された。
切崎が秘蔵していた魔法障壁の呪符、おそらく世界最高水準の防護魔法が込められたそのカードは、あっという間に灰となり――
「あん」
それが、国内最強と呼ばれたレンジャーの、最後の言葉となった。
彼の着物も、二刀も、数々の栄光も、そして恥さえも――火竜は焼き尽くしてしまった。
息吹(ブレス)は、さらに続く。
ダンジョンの天井すら焦がし、溶かし、穿っていく。
5層の天井は、4層の床とつながっている。
天井を穿ち、穿ち、穿ち続けていけば、その炎はやがて、地上に達する。
そして。
真紅の巨大竜の背中には、翼があった。
飾りではない。
大空を羽ばたき、自由自在に飛翔するための大翼だ。
ダンジョンのなかに棲む生物が、翼を持つという矛盾。
それこそ、この古の竜が「この世ならざる場所から来た、知的生命体」と呼ばれるゆえんだ。
Rは巨大な首をめぐらせて、自らの炎で溶かした天井を見上げた。
『 オオオオオオオオオオオオオオオッッッッッ!! 』
咆哮とともに、羽ばたいた。
巨大な穴が開いた天井に向かって。
その先には、何がある?
地上がある。
人間の住む世界が、ある――。
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