第26話 領地戦 猛悪の大魔女による蹂躙
「それでは、勝利条件などを今一度確認します。
各家はそれぞれ旗を持ち、その旗を取られたら負けです。
王家が旗を取られた場合、王妃殿下は差し出せるものは全て差し出し、旗を奪った方のいかなる命令にも従うものとします。
逆に旗を王家に奪われた場合、その家は王家との不可侵条約を破棄し、また王家に領地の半分を差し出すものとします。
ここまでは、よろしいですかな?」
領地戦の条件について、審判役のハーゲン・アショフ侯爵が全員に一つ一つ確認を取る。
領地戦は、審判役の立ち会いの下で行われる。
領地戦は通常、血みどろの戦いにはならない。
面目が立つ程度に戦ってから調停により決着が付く。
通常は王家が審判役となるが、今回はその王家が当事者の一人だ。
このため、ハインツの父であるアショフ侯爵が審判役に選ばれている。
「以上ですが、何かご質問はありますかな?」
契約書の内容についての確認なので、どの家からも質問はなかった。
領地戦は、口上戦の段階へと入る。
「王妃殿下!!!
罪もない当家の後継者を殺すとは、言語道断!!!
その報いを受けるべし!!!」
「
王族と言えども、越えてはならぬ一線があります!!!
それを王妃殿下は踏み越えてしまわれた!!!
我らアウフレヒト家は、義を見て助太刀する所存!!!」
口上戦は、声のよく通る騎士によって行われる。
ボールシャイト家の騎士が最初に口上を述べると、次にアウフレヒト家の騎士が、その次にオルローブ家の騎士が次々と口上を述べる。
「ボールシャイト小侯爵に罪がないなんて、笑止千万ですわ!!!
王妃の貞操を汚そうとする下劣極まりない不忠者を返り討ちにしたまでです!!!」
カタリーナが口上を始めると、周囲が
およそ身分の高い女性のものとは思えない、腹の底から出ているような大音量だったからだ。
それはまるで、マイクもなしに大ホールの隅々にまで歌声を響かせるオペラ歌手のような声量だった。
前世では永らく司令官として戦場を駆け回っていたカタリーナは、大声を出すのが得意だった。
「不忠を覆い隠そうとするボールシャイト家も、不忠者の味方をするアウフレヒト家とオルローブ家も同罪です!!!
一人残らず
三家の兵たちよ、逃げ出すなら今のうちですよ!!?
今、逃げ出すなら命までは取りません!!!」
口上の後半にカタリーナがそう言うと、三家の軍勢からどっと笑いの渦が巻き起こる。
客観的に見れば、それも当然だった。
三家の軍勢は合わせて約一万三千、対してカタリーナたちは女性二人だ。
カタリーナが凄腕の呪術師とはいえ、それでも一人で百人も相手にできれば上出来な方だ。
いかに凄腕だろうと、呪術師一人では到底覆せない戦力差だった。
「さて。口上戦も終わりましたかな?
今より半刻後に雷火の術を上空に打ち上げます。
それが開戦の合図です。
双方とも所定の位置にお戻り下さい」
アショフ侯爵がそう言うと、口上戦担当の騎士と共に前に出ていたボールシャイト侯爵たちも自陣へと戻る。
カタリーナとジビラは
「あの……本当に大丈夫なんでしょうか?」
旗を持つジビラが不安そうな顔でカタリーナに尋ねる。
「あら?
わたくしが真剣に言った言葉なら、全て信じるのではなかったのかしら?」
「信じます。信じますけど……。
でもやっぱり、私は旗なんか持ってないで、剣を持って戦った方が良いと思うんですけど?」
「さっき説明した通り、何も問題はないわ。
それよりも、しっかりと旗を守り抜いてね?
万が一わたくしが捕まっても、旗さえ奪われなければ負けにはならないわ。
つまりね、今回の勝敗は旗を持つあなたが重要なの。
あなたを信じているからこそ、旗を託すのよ?」
「それは! 大丈夫です!
何が何でも、この旗だけは死守してみせます!」
「それなら安心ね。
そろそろ半刻だから、外に向かいましょう?」
「はい!」
上空に向かって開戦の合図である稲妻が放たれる。
一拍遅れて雷鳴が
「兵どもよ!
急げ! 他家に遅れを取るな!」
「各部隊は急ぎ
持ち場を
司令官たちが声を張り上げ、兵たちが
「なに!?」「なんだと!?」「どういうことだ!?」
しかし、半開きのまま朽ちて動かなくなってしまった正門の隙間から、そのカタリーナたちがひょっこりと顔を出したのだ。
(正門から一番近いところがボールシャイト家の陣ね。
なるほどね。
その位置を得るために、あんなにたくさんの財産を渡したのね)
敵軍の陣容を眺めながら、カタリーナはそんなどうでも良いことを考える。
「いたぞ!!
何としても捕まえろ!!」
「急げ!!
是が非でも当家で捕らえるのだ!!
捕らえた者は、報償も思いのままだ!!」
一瞬面食らった兵士たちだが、捕縛対象が目の前にのこのこ現れたとすぐに理解した。
兵たちは目の色を変え、
「さて、皆様。
戦も始まりましたので、もう容赦は一切しませんわ。
残酷な死を、これより皆様に贈らせて頂きます。
これは、これから冥府に旅立たれる皆様への最期のご挨拶です。
どうぞ、良い死出の旅路を」
カタリーナはそう言って、微笑みながら礼を
気品ある微笑みで、優雅な所作で、見た者の心が吸い込まれてしまうような美しさだった。
突如、地面から数百の半透明の
しかしその叫びは、長くは続かなかった。
絡め取られた兵士たちの誰もが、見る見るうちに老人のようになり声さえ漏らさなくなってしまった。
土中に
(やっぱり、罪人でもない貴族が相手だとびっくりするぐらい簡単に星が集まるわね。
死刑囚でこつこつ星を集めるのが馬鹿らしくなってしまいそうね)
カタリーナが吸星法で集める星とは、つまり宿命だ。
余命が長いほど、地位が高いほどこの世で成し遂げられることも大きくなり、その生命が宿す宿命も大きくなる。
拘束され処刑を待つばかりの死刑囚よりも、自分の号令一つで多くの臣下を動かせる貴族の方が、当然多くの星を持っている。
カタリーナは集めた星を使って自身の魔力の器を広げ、また器の中の魔力も満たす。
急増したその魔力を使って、今度は千数百人を
吸い取り終えると、また
「へ、へ、兵たちよ!!
生け捕りはもう考えるな!!
弓兵!! 矢を射掛けよ!!
槍兵!! 構わんから突き殺せ!!」
最初にそう叫んだのは、ボールシャイト侯爵だった。
その号令に従い、ボールシャイト軍の弓兵が矢を番え始める。
それに呼応するように、他の二家の軍も矢の準備を始める。
三家から放たれた矢は放物線を描き、カタリーナたちの
「ヒィッ」
「大丈夫だから落ち着いて」
雨あられのような矢に思わず悲鳴を漏らしたジビラだったが、カタリーナが言うように何も問題はなかった。
カタリーナたちの手前二メルトほどの距離で見えない障壁に阻まれ、一矢たりとも二人には届かなかった。
それを見た敵兵は驚いていたが、敵兵以上にジビラが目を丸くして驚いていた。
(開戦前に十分説明したのに、わたくしの言葉を実はあんまり信じていなかったのね……。
それでも、ここまで付き合ってくれるなんて。
本当に大した子だわ)
そんなジビラの様子を見てカタリーナは感心した。
また地面から半透明の
突撃を掛けていた槍兵たちは、カタリーナたちの
全て
彼らだけではない。
今度は一挙に残存兵力の六割ほどが捕らえられている。
その彼らからまた星を吸い取ると、カタリーナの保有魔力はまた格段に増加する。
「あら? どちらに行かれるのかしら?
逃がしませんわよ?」
不可侵貴族家の者たちは、軍勢を置き去りにして馬で逃げ出していた。
一挙に兵が失われたのを見て肝を冷やしたようだ。
しかし彼らも逃げられなかった。
逃げる彼らも、残る兵たちも、全員まとめて
彼らもまた、星を吸われた。
結局カタリーナがしたのは、吸星法により星を吸うことだけだった。
より迅速に敵を処理できる攻撃魔法は一切使用しなかった。
カタリーナにとって、魔法使いもいない一万数千の軍勢は敵でさえなく、魔力を増やすための養分でしかなかった。
この場で生き残っている敵軍はただ一人、ボールシャイト侯爵だけだ。
彼だけはまだ、星を吸われていない。
地面から伸びた半透明の
カタリーナの右腕に巻き付くように
浮遊魔法で彼を浮かせると、地面から伸びて彼に巻き付いていた
ぷかぷかと浮かぶボールシャイト侯爵を彼女の右腕に巻き付いた
カタリーナの右腕から伸びる
おかげで侯爵の叫びは、もがもがと聞き取れないものになっている。
「オットマー。
王家側からの参戦者は契約書に書かれてしまっているから、あなた自身の手でこの人を殺すことはできないわ。
でも、あなたの指示に従ってこの人を処理することは可能よ?
何か希望はあるかしら?」
「処理、と言いますと?」
「大体のことはできるわよ?
生皮を剥がすことも、指から骨だけ抜き取ることも、喉を引き裂いてそこから舌を抜き出すこともできるわ。
ああ。破廉恥なのは駄目よ?
淑女として、できる範囲のことだけね?」
たとえば裸にして恥を
しかしそれ以外のことなら、前世の戦場で大体経験済みだった。
「いや、生皮を剥がすのも淑女がすることじゃないから」
呆れた声でエミーリエが突っ込みを入れるが、オットマーの耳にその言葉が入っている様子はなかった。
ドス黒い歓喜が爆発したように、オットマーは暗く
「王妃殿下。
既に勝敗も付きましたし、それ以上される必要はないかと思いますが?」
「アショフ侯爵。
旗を取られたら負け、という勝敗条件をお忘れかしら?
わたくしはまだ一本も旗を取っていないし、旗を取られてもいないわ。
領地戦は未だに継続中よ?
領地戦の真っ最中なら、敵将を殺しても問題はないでしょう?」
カタリーナの正論の前に、アショフ侯爵も押し黙ってしまう。
アショフ侯爵が止めに入った気持ちも、カタリーナには理解できた。
普通の領地戦なら、戦闘は面目が立つ程度の小競り合いをするだけだ。
その後に行われる停戦交渉こそが、領地戦の本番と言える。
唯一の生き残りであるボールシャイト侯爵まで殺してしまったら、その本番自体がなくなってしまう。
自分が審判役のときに、そんな異常事態は起きてほしくなかったのだろう。
「では、その男の手の爪を全て剥がして頂けますか?」
オットマーがそう言ったので、カタリーナは地面から現れた
カタリーナの右手から伸びる
このためボールシャイト侯爵の声は不明瞭だが、それでも苦痛に喘いでいることぐらいは分かる。
「アハハハハ!!!
アハハハハハハハ!!!」
彼の
汚濁した歓喜を満面に浮かべたオットマーは、それを皮切りに次々とカタリーナに注文を出し始める。
カタリーナがこんなことをしているのは、主にフィーリップのためだった。
ボールシャイト家から受けた屈辱により、オットマーの母親は憤死したと言われている。
彼女がボールシャイト侯爵の怒りを買ったのは、フィーリップの教師であったのに彼の信頼を得られなかったからだ。
もし他の者たちと同様にあっさりとボールシャイト侯爵を討ち取ってしまったら、ドロドロに鬱積したオットマーの
そうなった場合、その矛先は、もしかしたら原因を作ったフィーリップに向いてしまうかもしれない。
カタリーナはそれを危惧して、彼の
復讐は天に任せよ、という言葉がある。
その言葉は正しいと、カタリーナは思う。
前世で圧政と戦乱の時代を生きたカタリーナは、復讐に燃える者など飽きるほど見てきた。
彼らの生き方が賢いものだとは、とても思えなかった。
自ら戦火に飛び込むなんてことをせず、これまで通り仕立て屋や宿屋をやっていた方がずっと幸せだったはずだ。
一方で、復讐を天に任せることの難しさも、カタリーナはよく知っていた。
前世のカタリーナも、それができなかった。
王家に両親を殺されてすぐ、彼女は革命組織を立ち上げてしまった。
「王妃殿下。
心より感謝を申し上げます。
このご恩に報いるため、以降あなたに絶対の忠誠を」
ボールシャイト侯爵が息絶えても続いていたオットマーの遊戯だが、ようやく彼も満足したようだ。
積年の大願が
オットマーが満足したので、カタリーナは侯爵の遺体を放り捨てる。
そして右手の
「お、王妃殿下!? い、一体なぜ!?」
「これが……こんなものが……呪術なの?」
「まさかこれは! 伝説の
アショフ侯爵は、カタリーナを問い詰めるような驚きの声を上げる。
観戦者たちも口々に驚きの声を上げる。
旗を回収し終えたカタリーナが、辺り一面を火の海にしてしまったからだ。
この日、カタリーナが初めて使った攻撃魔法だった。
「だって、仕方ないでしょう?
こんなにたくさんの遺体があったら不衛生ですもの。
悪い病気が流行る原因になりかねないわ」
カタリーナはアショフ侯爵にそう答えるが、彼女の本当の狙いはまた別にあった。
三家の軍の高官には、お守りらしきものを持っている者が数多くいた。
おそらくはカタリーナ対策のためのもので、その効果は呪術無効化だろう。
お守りの防御限界を超える呪術により討ち取ったなら、お守りの中の呪符は破損する。
しかしカタリーナは呪術により討ち滅ぼしたわけではないので、呪符は無傷だ。
呪符を見られてしまえば、呪術で殺したのではないと気付かれてしまう。
その証拠を隠滅するため、カタリーナは全てを燃やしてしまうことにした。
「ああ……ご遺族の方々になんと説明すれば……」
そう言ってアショフ侯爵は頭を抱える。
火は急激に勢いを増し、今は火の手も高さ十数メルトにまで及んでいる。
もはや平坦な火の海ではなかった。
無数の大樹が
その中では、剣や
これほどの高温では、遺品はもちろん骨でさえ残るかもあやしい。
「アショフ小侯爵。
あれは何をしているのかしら?」
できればハインツには近付きたくないカタリーナだが、そうも言っていられない場合もある。
今がそうだ。
ハインツが連れて来た
その理由を探らなくてはならない。
「はは。そのうち分かりますよ」
ハインツは、そう言って誤魔化した。
だが、それだけでカタリーナにはある程度の推測ができた。
領地戦の結末を自領に伝達するだけなら、誤魔化す必要はない。
彼が連絡を送った先は、自領以外だ。
「王妃殿下。
本当にあなたは、私の予想を
この上ないほどに、興味深くて面白い方です。
そんな魅力的なあなたを、今回私のものにできなくて非常に残念です。
私のものになったなら、こんなに危険なことは絶対にさせないのに」
「りょ、りょ、領地戦も終わりましたし、わ、わたくし、も、もう王宮に戻らないといけませんわ。
こ、こ、これで失礼しますわね?」
前日に彼から言われた過激な言葉を、カタリーナは鮮明に思い出してしまった。
それで恥ずかしくなってしまい、その場から逃げ出してしまった。
こうして、不可侵貴族三家の連合軍と女性二人による領地戦は幕を閉じた。
大方の予想に反して、女性二人が万を超える軍勢を全滅させてしまった。
軍事用語の、軍を作戦行動不能に陥らせるという意味での全滅ではない。
一人残らず滅ぼし尽くすという、文字通りの全滅だった。
口上戦でカタリーナが「一人残らず
彼らだけではなく、観戦者たちもまた笑っていた。
しかし、皆が笑い飛ばしたあの言葉は、虚勢ではなかった。
カタリーナにとっては、いとも簡単に実現できる未来であり、誇張を一切含まない純粋な警告だった。
それに気付いた観戦者たちのカタリーナを見る目は、
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