第7話 『白雪姫』を知る者

少女の言葉はますます荒唐無稽なものになり、カタリーナは眉をひそめてしまう。


(異世界からの転生ならまだ分かるけれど、ここが本の中の世界って……。

本の中に入り込めるわけがないじゃない。

もう滅茶苦茶ね……)


「……なぜ本の中の世界だって思ったのかしら?」


「理由は、いくつかあります。

まず何と言っても、この国のお姫様の渾名あだながズバリ『白雪姫シュネーヴィットヒェン』だってことです。

加えて、王妃様がお姫様の継母だってことです。

しかも王妃様は毎日鏡を見てるって噂で、その鏡の名前が『真実の鏡』だって話じゃないですか?

これはもう、ほぼほぼ『白雪姫』の世界だって思いましたね!

それから、この国の国名がエンゲルラントなこともそうです。

初版以降は国名の記述が消えたんですけど、初版より前に書かれたエーレンベルク稿には白雪姫のいる国の国名らしきものの記述があるんです。

それがエンゲルラントです」


「初版以前の内容も知っているということは、あなたはその物語の作者なの?」


「違います。

その物語は世界的に有名で、研究者も多かったんです。

前世での私は子供が五人もいて、子育てもあったから在宅でもできる翻訳の仕事してたんです。

その仕事の関係で、研究者から翻訳のお手伝いの依頼があったんです」


カタリーナは考える。

嘘をけば隷属魔法の制裁が発動し、耐えがたい激痛に襲われる。

激痛は、術者であるカタリーナが解除しない限りずっと続く。

たとえ訓練を受けた特殊工作員であっても、出産の数倍と言われる激痛に突如襲われたら、その異変にカタリーナは気付けるはずだ。


しかし、彼女には制裁を受けた様子がない。

制裁は受けていない。

少なくとも「嘘をいている」という自覚はないのだ。


そして、夢物語のような話だが、筋は通っている。

初版以前の原稿の存在や子育ての都合での仕事選びなど、話の細部にも妙な現実味がある。


(……困ったわね)


ハッツフェルト家に関する情報は、できる限り入手したい。

だが、隷属魔法で縛ってもこれ以上は引き出せそうにない。


「……陛下。

この者をわたくしの侍女にして、しばらく近くで様子を見ようと思いますの」


考えた末にカタリーナは、しばらく側に置いて監視することにした。

側で観察していれば、自分なら何か気付ける。

その自信が、カタリーナにはあった。


「それは認められない」


フィーリップのその言葉に、カタリーナは首をかしげてしまう。


カタリーナの仕える侍女たちは、フィーリップが派遣した者たちだ。

彼女たちはフィーリップの目と耳だから、四六時中この少女を監視することができる。

少女が持つハッツフェルト家の陰謀に関する情報なども、侍女を通じて入手することができる。

彼にとっても利のある話なのに、フィーリップはなぜかそれを認めない。


「素性の知れない者を側に置いて、君に万が一のことがあったらどうする?」


(なるほどね。

それを心配していたのね。

そういえば、まだ伝えていなかったわ)


生家の支配を受けず王家の側に立つカタリーナは、フィーリップにとって非常に都合が良い王妃だ。

カタリーナが亡くなったなら、また別の女性を王妃にすることになるが、その女性は間違いなくカタリーナほど都合が良い王妃ではない。

王妃にとって後ろ盾である生家との縁を断絶することに、通常はメリットがない。

生家は後ろ盾をする見返りに王妃を都合の良いように動かして、王家に干渉しようとするだろう。


「それなら心配要りませんわ」


そう言うとカタリーナは護衛の騎士から剣を借りて、抜き身の剣をほいっと放り投げる。

ところが剣は地面には落ちず、弧を描いて宙を飛びカタリーナに襲い掛かる。

カタリーナの魔法で制御されて矢のような速さで飛ぶ剣が、彼女に突き刺さることはなかった。

ギンッという金属が硬い物に当たったときの音がして、体の直前で剣が止まる。


「こういった防御なら寝ているときもしていますから、襲われたところで大したことにはなりませんわ」


カタリーナを護ったのは、常時展開している防御魔法だ。

手で触れるなどの日常的な接触では反応しないが、運動エネルギーが一定以上の接触を検知すると自動で魔法障壁が展開される。


魔法を見せられても、フィーリップはまだ渋る。

そこでカタリーナは、こういった術をどれだけ使っても不運にも短命にもならないというのは嘘ではないこと、不運や短命になる術は決して使わないことを神々に誓う。

それでようやく、フィーリップも認める。






「あの。助けてくれてありがとうございます。

私、エミーリエって言います。

まさか、王妃様が助けてくれるなんて思ってませんでした」


カタリーナの少し後ろで廊下を歩くエミーリエは、ばつが悪そうにお礼を言う。

カタリーナは今、平民の少女エミーリエを連れて侍女長のもとへと向かっている。

エミーリエを彼女と会わせるためだ。


「他の人たちは、あなたのお話を信じなかったのよ。

でもわたくしは違うわ。

ここが本の中の世界だっていうのは信じていないけれど、転生したお話なら半分ぐらいは信じているわ」


「半分でも、信じてくれるんですか?」


エミーリエは意外そうな顔をする。

同じ話は、フィーリップや騎士にもしている。

だが、転生者であることを含めて、エミーリエの話は一切信じてもらえなかった。


一方でカタリーナは、全てが嘘だとは思っていない。


「それはそうよ。

だって、わたくしも転生者だもの」


カタリーナは、初対面の人間には話さないような秘密をあっさりと暴露する。

隷属の術が掛かっているエミーリエには、遠慮なく秘密を話せる。


別の世界からの転生、ということをカタリーナは自分自身が体験している。

彼女の話を、頭ごなしに否定したりはしない。


「ええっ!!?

王妃様も日本人だったんですか!!?」


「……いいえ。エルテル王国人よ。

何で日本人だって思ったのかしら?

あなたの世界にだって、他にもたくさん国があったでしょう?」


「いやいや。

国はたくさんあっても異世界転生するのは、ほぼほぼ日本人なんです。

そう、相場が決まってますから」


「そうなのね……理解できないわ」


「前世では、何してた人なんですか?」


「女王だったわ」


「そんなっ!! ……ズルい」


「……何がかしら?」


そんなことを言われると思わなかったカタリーナは、笑顔が引きってしまう。


「だって!

前世は女王様で、今世だって王妃様じゃないですか!?

私なんて、今世は平民で、前世もド庶民ですよ!?

今世では危うく遊女になるところだったし、前世だって子供が五人もいたから学費はもうホント大変で、部屋数も必要だったから家のローンだって、もう大変で大変で――」


そのままエミーリエの苦労自慢が始まる。

まさか、初対面の平民が王妃を相手にここまで饒舌になるとは思わず、カタリーナは困惑しながら笑顔で相槌を打つ。


(異世界からの転生者だって話は、本当である可能性が高まったわね)


苦労自慢から前世の子供の自慢へと変わったエミーリエの話にも相槌を打ちながら、カタリーナは思う。

王族を相手に平民がこれだけ気安く話すのは、この国や近隣国の人間ならあり得ない。

彼女の思想の基軸は、別の世界ではぐくまれたものと考えた方が自然だ。


(侍女にして正解ね。

この子がいたら退屈しないわ)


フィーリップが付けてくれた侍女たちは、王宮での振る舞いをよく知る宮廷人だ。

王妃を相手に自慢話なんて、絶対にしない。

これだけ気安く話してくれる人は、王宮では貴重だった。



◆◆◆



「エミーリエ。

あなたがアイディアを出してくれた物ができたわ」


自室のソファに座るカタリーナは、テーブルに品物を並べさせ、向かいに座る侍女服姿のエミーリエにそれを見せる。

火事で家を失ったエミーリエは今、侍女として王宮で暮らしている。


カタリーナの前世の両親は、彼女に惜しみない愛を注いだ。

彼らと遊んだ記憶なら、カタリーナにもたっぷりある。

だが、前世での親子の遊び方と言えば、親が魔法を使って子供に何かして上げるものが大半だった。


魔法を使った遊びを、マルガレーテは喜ばない。

魔法を見せるとすぐにハラハラした顔になり、早く止めるようにと泣きそうな顔で懇願し始める。

呪術と魔法の区別が付かない彼女は、魔法もまた使えば大きな代償を支払うことになると思っている。

だから、前世での親子の遊びのほとんどは、マルガレーテと遊ぶときにはすることができない。


今世での親子の遊びが分かればいいのだが、カタリーナには今世で親と遊んだ記憶がほとんどない。

実母を早くに亡くなっている。

父親は愛人宅に入りびたりで、再婚してからは腹違いの妹ばかりを可愛がった。

継母については、言うまでもない。

遊ぶどころか、彼女を虐待している。


この国での親子の遊びに、カタリーナは疎かった。

マルガレーテとの遊びで、もう少しバリエーションがあればと思っていたところだった。

そこでエミーリエの知恵を借りることにしたのだ。


もっとも、それだけが目的ではない。

本当に異世界から来た者であるのか、その検証も兼ねたものだ。


「これはどう使う物なの?」


エミーリエの指示で作らせたものは、見たことのないものばかりだ。

その一つ、木製のラッパのようなものを指差す。


「これはね。こう使う物なのよ」


石鹸せっけんを溶かした水に、小さなラッパのような物の先端を浸けてエミーリエが吹くと、いくつかの泡がラッパから飛び出した。

泡はふわふわと宙を舞う。


「まあ!」


カタリーナは感嘆の声を漏らす。


「へっへー。どう?

これはね。しゃぼん玉って言うのよ?」


「……すごいわね。

じゃあ、これはどう使う物なの?」


「これはビーズって言うんだけど……。

これ、どうやって作ったの?」


「あなたが書いた指示書に基づいて作らせたんだけど、何か問題があったかしら?」


「いや、問題はないんだけどさ。

この世界にプラスチックなんてないよね?

これ、素材は何なの?」


「今あなたが手に持っているそれはルビーね」


「ええっ!!?

こ、こ、このサクランボみたいにでっかいのが!!?」


「これ一つ売れば、何十年も遊んで暮らせるよお」と独り言をつぶやきながらも、エミーリエは使い方を実演する。


宝石に空けた穴に糸を通し始めたので、カタリーナはてっきり首飾りでも作るのかと思った。

思い違いだった。

慣れた手つきで、あっという間に花を作ってしまった。


「ビーズが大きくて針を使わなくていいから早く作れたよ。

クマとかウサギとかも作れるから、後で見本として作っておくね?」


(異世界転生のお話は、どうやら本当のようね)


彼女の指示で作らせた玩具を見て、カタリーナは思う。

この世界にはない物を、いくつも作り出してしまった。



「でも王妃様が気さくな人で良かった~。

まさかタメ口OKなんて、思ってもみなかったわ~」


カタリーナは、臣下の言葉遣いには無頓着だった。

前世での彼女は、戦場にいる時間が長かった。

兵士には口が悪い者が多い。


前世のカタリーナがまだ少女だった頃、革命組織のリーダーである彼女を「お嬢ちゃん」と呼ぶ年配の兵士たちがいた。

そんな彼らも、戦場では命を賭して戦ってくれた。

涙せずにはいられないほど、見事な忠義を見せてくれた者だっていた。


だからカタリーナは、言葉遣いや態度は気にしない。

本当の忠義とはそんなものではないと、彼らは命懸けで教えてくれた。


それにもう一つ、細かいことは気にしなくて良い理由がある。


「言葉遣いが悪くても、何も問題ないわ。

あなたには、隷属の術が掛かっているもの。

どんな言葉遣いであっても、結局わたくしには逆らえないわ」


「へ?

隷属の術って、長くても一週間程度で効果がくなるんじゃないの?」


「それは呪術の場合でしょう?

あなたに掛けたのは魔法の隷属の術よ。

少なくとも、向こう三十年は効果が切れないわね」


「ええっ!?

そんなあ……」


そう言って落ち込むエミーリエの表情を、カタリーナは注意深く観察していた。


(本気で落ち込んでいるわね。

術の効果がまだ続いているって、本当に知らなかったのね……)


隷属の魔法を掛けてからエミーリエに下した命令は四つだ。

カタリーナに対してうそかないこと。

王家の人間を殺害しないこと、

王宮で見聞きした王家に関することを外部に口外しないこと。

仕事で関わる者以外からの接触があったら、すぐに包み隠さずカタリーナに報告すること。


隷属魔法の効果のため、命令違反となる行為をまだしていなくても、しようと考えただけで激痛が走る。

実際にその行為をしてしまうと痛みはより甚大なものになり、カタリーナが解除しない限り痛みは消えない。


術に掛かっていることさえ気付かなかったエミーリエは、一度も激痛を経験していないということだ。

命令違反となる行為を、考えることさえしなかったということになる。


(どうやら、他家の間者ではない可能性が高いわね)


カタリーナはそう考える。


「あなたはもう少し、自分の状況を理解するべきだと思うわ。

王家の秘密を知る平民なんて、他の貴族に見付かったらすぐに拷問されるわよ?

わたくしの庇護下にいるから、そんな危険もないのよ。

あなたの借金だってわたくしが肩代わりしてあげたんだし、侍女のお仕事なんてしてないのに侍女のお給金だって出しているわ。

むしろ、感謝してほしいぐらいよ?」


「いや、借金のことも、嘘みたいに高いお給料も感謝してるけどさ。

それとこれとは、話が別というか……」


(やっぱり可哀想ね。

まだしばらく様子を見る必要があるけれど、信用できる人だって確認できたら魔法は解除してあげなくてはね)


悪びれずにすまし顔でお茶を飲むカタリーナだが、心ではそんなことを考えていた。






エミーリエが教えてくれた遊びのおかげで、マルガレーテとの毎日はとても充実したものになった。

特に、ビーズ遊びと塗り絵は彼女のお気に入りだった。


(どうやら芸術の素養が高いようね。

将来は偉大な芸術家になるかもしれないわ)


そんなことを考えるカタリーナは、既に親バカの片鱗を見せ始めていた。

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