第19話 夜会の同伴者はハインツに

「王妃殿下。よろしいでしょうか?」


貴族会議が終わって席を立つと、ハインツが声を掛けてくる。


「あら。どうしたのかしら?」


執務室に向かうカタリーナは、足を止めずにハインツに尋ねる。

ハインツもカタリーナの横を並んで歩く。


「陛下は今、ご休養なさっていますよね?

一週間後の夜会にはご参会になれそうですか?」


フィーリップは療養中のため、王妃であるカタリーナが業務の代行を務めている。

代行する業務は昼間の業務だけではない。

本来ならフィーリップが主催するはずの夜会なども、カタリーナが代行して主催する予定だ。


「難しいと思うわ」


「そうですか!?

では、王妃殿下のパートナーには、私をご指名頂けませんでしょうか!?」


王の体調不良による不参加を知らされたというのに、ハインツはぱあっと顔を輝かせている。


夜会は男女同伴で出席するものだ。

フィーリップが不参加なら、カタリーナは別の男性を探さなくてはならない。

その男性に自分を選んでほしいと、ハインツは言っている。


「陛下のご許可を頂けたら、ぜひお願いしたいわ」


「ほ、本当ですか!?

良いお返事をお待ちしています!」


ハインツは、歓喜が噴出したような笑顔だ。

童顔の割に背の高い彼だが、今の笑顔は子犬のようだった。




「王妃様! ご機嫌麗しゅう存じますわ!」


雑談をしながらハインツと歩いていると、声を掛けてくる女の子がいた。

マルガレーテだ。

嬉しそうに顔を輝かせて、とことこと駆け寄って来る。


(ここで待っていてくれたのね!

可愛いわ!)


ハインツと一緒にマルガレーテに挨拶を返しながら、カタリーナは感激する。


普段は王女宮にいるマルガレーテが、今は本宮に来ている。

そしてマルガレーテがいた通路は、貴族会議が行われる会議室から王妃の執務室に行く際には必ず通る場所だ。

ここに彼女がいるのは、自分を待っていたからだろう。


この場所は、貴族会議を行う会議室からは少し離れている。

ここで待つなら、会議に参加した貴族たちと顔を合わせることはほとんどない。

あまり貴族たちと顔を合わせないように、という言いつけをマルガレーテはしっかりと守って、ここで待つことにしたのだろう。


少し前のマルガレーテなら、待つことなんてしないで貴族会議に乱入してしまっていた。

それが今は、言いつけを守って待つことができるようになっている。

首飾りをプレゼントされてから、マルガレーテの心は目に見えて安定してきている。

そう考えて、カタリーナは嬉しくなる。


「今日は、マニの日ですわ!

お外遊びの日ですの!

王妃様とお外で遊びたいですわ!」


「うふふ。きっと楽しいわね。

一緒にお外で遊びましょう?」


「マニの日は、外遊びをされるんですか?」


「そうですわ!

マニの日にお天気だったら、お外で遊びますの!

王妃様もご一緒だと、とっても楽しいんですの!

噴水にお船を浮かべて、お船を扇子で扇ぎますの!

噴水のお魚も見て、お花のかんむりも作って、シャボン玉遊びもしますの!

噴水の横で、おやつも食べますの!」


これからどれほど楽しい時間が待っているのかを、マルガレーテは期待いっぱいの笑顔で一生懸命に説明する。

尋ねたハインツは、それを笑顔で聞いている。


(わたくしと遊ぶことを、ここまで楽しみにしてくれるなんて!

可愛いわ! なんて可愛いのかしら!)


ハインツの横でマルガレーテの話を聞くカタリーナは、だらしない笑顔になっていた。


マルガレーテは一週間に一回、マニの日に外遊びをしている。

場所はいつも、王族以外には立ち入れない区域にある噴水の近くだ。

マルガレーテがしたい遊びがほとんどできて、すぐ近くにおやつを食べるためのガゼボもあるそこは、彼女のお気に入りの場所だった。


曜日と場所が決まっているのは、臣下の負担を考えてのことだ。

外遊びをするなら、侍女たちも用意が必要だ。

侍女だけではない。

警備体制を変更したり、おやつのメニューを屋外向けのものにしたりなど、王女の遊び場の変更は様々な人たちの仕事に影響する。

食材の仕入れや衛兵のシフトなどの問題もあり、事前に決まっている方が臣下も仕事がしやすい。


マルガレーテに誘われたため、カタリーナは仕事の中断を決めた。

カタリーナの優先順位は、仕事よりもマルガレーテが上だった。


◆◆◆



「私が出席しよう」


「駄目です。お休みになっていて下さい」


フィーリップの寝室に来たカタリーナは、夜会のパートナーをハインツとすることの許可を願い出た。

するとフィーリップは不機嫌になり、パートナーとして自分が出席すると言い出した。

もちろん、カタリーナに止められる。


「陛下はまだ、快復されていませんわ。

それに、今回のわたくしの計画は、陛下が療養中であることが重要なのです」


「……他に誰かいないのか?」


「現状を考えると、アショフ小侯爵以外に選択肢がありませんわ。

それは、陛下もお分かりでしょう?」


代理とは言え、公式行事での王妃のパートーナーだ。

有力貴族家から選ばなくてはならない。

だが不可侵貴族たちは、自分たちの利権を強引に奪うカタリーナを露骨に嫌悪し、警戒している。

パートナーに立候補してくれる不可侵貴族は、現状ではハインツだけだ。

しばらく抵抗したフィーリップだが、渋々ながらもハインツをパートナーとすることを認めた。


「夜会で君が何かしようとしていることは知っている。

何をするつもりなのかまでは分からないが、本当に大丈夫なのか?」


しっかりと休んでもらうために、療養中は仕事の話をフィーリップにしないことになっている。

カタリーナがそう決めたので、夜会の計画についての詳細な話を誰も彼にしていない。


「もちろんですわ。

危ない橋は渡りませんし、王家に損失も出しません。

それをここに、神々に誓いますわ」


カタリーナは、顔の横に持ち上げた右手の手のひらを前に向け、左手を胸に置いて言う。

神々へと誓いの作法だ。


神々への誓いは、この国では非常に重いものだ。

誓ったことについては、誰もが命懸けで遵守する。


「すまない。

そこまでさせるつもりはなかった。

少し君が心配になってしまっただけだ」


「陛下。

わたくしは、心配の要らない女ですわ。

ご安心下さいませ」


そう言って見せたカタリーナの鮮やかな笑顔に、フィーリップは見惚みとれていた。



◆◆◆



カタリーナはこれまでも多忙だった。

王妃としての公務をこなし、マルガレーテの母親としてたっぷり時間を掛けて彼女と遊び、さらにマルガレーテの教師として彼女の教育もしている。


ただでさえ多忙な彼女が、数日前からフィーリップの代行として王の仕事までしている。

常人では、到底負担しきれない仕事量だ。

しかし彼女は、それら全てを完璧にこなしていた。


それができたのは、彼女が大魔法使いだからだ。

『速読』の魔法を使えば、書類は全て秒で熟読できた。

『睡眠圧縮』の魔法により、睡眠時間を極端に減らすこともできた。


もう深夜だが、彼女はまだ自室で働いている。

持ち帰った山のような書類を驚異的な速度で決裁すると、次にマルガレーテの教育のための教材作りに取り掛かる。


この世界で勉強と言えば、本を読むことと、読んだ本について教師と議論することだ。

カタリーナの前世でも、それは同じだった。

勉強と言えば、読書と議論だ。


だがエミーリエの前世には、この世界やカタリーナの前世では馴染なじみのない勉強法もあった。

穴埋め問題と言われるものだ。


この世界には文字隠しという遊びがある。

著名な詩の一部を隠して全文を当てさせる遊びだ。

穴埋め問題は、その遊びと似ていた。


これなら、遊び感覚で学べるのではないか。

そう思ったカタリーナは、深夜にマルガレーテのための穴埋め問題を作っている。


もちろんカタリーナは、エミーリエの前世でそうだったように一人黙々と問題を解かせるつもりはない。

文字隠しの遊びのように「ここに入る言葉は何かしら?」とおしゃべりしながら、楽しく問題を解かせるつもりだ。




「あら? どうしたのかしら?」


ノックされたので入室を許可したら、入って来たのはマルガレーテだった。

とことことカタリーナに駆け寄ったマルガレーテは、椅子に座るカタリーナのスカートをぎゅっとつかむ。


「夢に、お化けが出てきましたの。

お化けが追いかけて来ましたの」


スカートを掴んだままカタリーナを見上げるマルガレーテは、不安げな目でカタリーナを見詰めている。


(わたくしが忙しくなったことで遊ぶ時間が減ってしまって、それで不安になってしまったのね……)


マルガレーテの寝室は王女宮にあり、自分が今いる場所は王妃宮だ。

二つの場所には、それなりの距離がある。

子供のマルガレーテにとって、蝋燭ろうそくあかりを頼りに深夜の王宮を歩くのは、お化けの夢よりもずっと怖いはずだ。


それでも、彼女はここに来た。

自分と遊ぶ時間が減ったことで、愛情に不安を感じてしまったのだ。

それで甘えたくなったのだろう。


昼間に自分を外遊びに誘ったのも、同じ理由なのかもしれない。

夢で彼女を追い掛けたお化けとは、もしかして孤独が具象化されたものではないだろうか。

カタリーナはそう考えた。


「それなら、今日はわたくしのベッドで一緒にお休みしましょうか?

あなたさえ良ければ、わたくしは一緒にお休みしたいわ」


マルガレーテの愛情不安を軽減するために、カタリーナが思い付いたことはそれだった。

この国にも、カタリーナの前世にも、貴族の母親が子供と一緒に寝る風習はない。

どちらの世界でも、はしたないことだった。


しかしエミーリエからは、前世では子供と一緒に寝ていたと聞かされていた。

子供はそれを喜んだと、教えられていた。

だからマルガレーテのために作法を無視して、それを真似してみようと思った。


「ほ、本当ですの!?

王妃様も同じベッドでお休みしてくれますの!?」


マルガレーテは、不作法を嫌がることはなかった。

それどころか、きらきらと目を輝かせて大喜びした。


「ええ。

マルガレーテさえ嫌でなければ、わたくしはそうしたいわ」


「嫌じゃないです! 絶対に嫌じゃないです!

でも王妃様は……お仕事をされていますわ」


愛情に不安を感じても、以前ほどには酷くない。

仕事の邪魔をしないようにと、カタリーナを気遣うことができている。

そんなマルガレーテを見て、カタリーナは少し安心する。


「今作っているのは、来週のあなたの授業で使う問題集なの。

明日以降に使う今週分はもう作ってあるから、これは今作らなくても大丈夫よ」


マルガーテを抱え上げると膝の上に乗せ、今作っていた問題を彼女に見せる。


「とっても面白い問題ですわ!

文字隠しみたいで、楽しそうですわ!」


「そう言ってもらえて嬉しいわ。

あなたが少しでも楽しく勉強できるように、ちょっとだけ工夫してみたの。

将来は素敵な淑女になってほしいから、わたくしも頑張らなくてはね?」


マルガレーテのためであることを、カタリーナは強調する。

彼女が安心できるように、愛情をはっきりと言葉にして伝える。


カタリーナの膝の上に座るマルガレーテは、座る向きをくるりと九十度変えるとカタリーナのお腹に抱き付く。


(か、か、可愛いわ!!)


きっと、自分のために深夜まで問題作りをしていたことが嬉しかったんだろう。

純粋で幼い彼女の愛情表現が、お腹にしがみ付く小さな手を通じてストレートにカタリーナへと伝わった。


表面的には穏やかな笑みを浮かべるカタリーナだが、マルガレーテの可愛らしさが直撃して心は大地震だった。


「さあ。お休みしましょう?

ベッドでご本を読みましょうか?

それとも、すぐにお休みしたいかしら?」


「ご本が良いです! 絶対に、ご本が良いですわ!」


「どんなお話が良いかしら?」


「お姫様のお話が! お姫様が幸せになるお話が良いですわ!」


カタリーナはマルガレーテを抱き上げるとベッドまで運び、彼女と一緒にベッドに入る。

それから侍女を呼び、マルガレーテの枕と童話の本を持って来させる。


童話を聞きながら、マルガレーテは寝てしまった。

カタリーナに抱き付いて眠る彼女は、安らかな顔をしていた。


この子の代に国を引き継ぐとき、風前のともしびのような国であってはならない。

国に巣喰すくう害虫をことごとく駆除して、盤石な国とした上で引き継がなくてはならない。

幼い寝顔を眺めながら、カタリーナは決意を固めた。



◆◆◆



今日はこれから夜会だ。

パートナーであるハインツが、出迎えのために王妃宮に来たとの連絡が入った。


「いよいよですね」


そうカタリーナに言ったのは、補佐官のオットマーだ。

王妃宮に彼がいるのは、直前まで二人で打ち合わせをしていたからだ。


「ご武運をお祈りします。王妃殿下」


オットマーは、深々とカタリーナに礼を執る。

その言葉は、これから夜会に向かう女性に掛けるものではなかった。

戦場に赴く者に向けた言葉のようだった。


執った礼も、数時間後には何事もなく帰って来る者に対してするものではなかった。

今生の別れも覚悟しているかような、深々とした礼だった。


「予定通りにいかなかったら、ごめんなさいね。

でも、どう転んでも王家にとって都合の悪いことにはならないわ。

それは約束するから、安心してね?」


笑顔でそうオットマーに返すと、カタリーナはハインツのもとへと向かう。

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