第30話 ハインツとフィーリップのにらみ合い

「ジビラ……立派だ……本当に立派だ……」

「そうですね……こんなに立派になって……」

「僕は……お姉様が誇らしいです……」


ジビラの両親であるカセロッティ子爵夫妻と彼女の弟は、感激のあまり涙を流している。


「お父様……お母様……ルッツ……」


華やかなドレス姿のジビラもまた、ぽろぽろと涙を流している。


ジビラの一家は、泣きながら抱き合って喜んだ。

そんな彼女たちを、カタリーナとエミーリエは微笑ましげに眺めている。


先ほど、ジビラたちの叙勲式が終わった。

勲章のうち、サッシェが付けられたものを綬章じゅしょうと言う。

下賜されたその綬章じゅしょうは今、華やかなドレスで着飾るジビラの肩からたすきのように下げられている。

鮮やかな紫色のサッシェで肩から下げられる綬章じゅしょうは、勲章の中でも特に等級が高いものだ。


遠目からも一目で分かるその派手な綬章じゅしょうは、大功労十字星綬章だった。

歴史に名を残すほどの大活躍を見せた騎士などに下賜される重勲だ。


「勲章であんなに喜ぶなんて意外だね。

そんなものより、爵位と領地を貰ったことの方がずっと大きいと思うんだけど?」


ジビラたちを見ながら、エミーリエが言う。


叙勲と同時にジビラは子爵位も叙爵されている。

これまでカセロッティ子爵家の娘だった彼女だが、父親と同じ子爵位を賜り、それに伴い新たな家名も下賜された。

これによって彼女の名前は、ジビラ・カセロッティからジビラ・シュトランツへと変わった。

今や彼女は、領地を持つ領主の一人だ。

勲章よりこちらの方が、はるかに大きな地位的、経済的な影響がある。


「勲章って、騎士にとっては特別なものなのよ。

爵位や領地なんかよりも、ずっと重いものなの」


カタリーナがエミーリエにそう言うと、エミーリエはふーんと納得しているのか分からないような言葉を返す。


実際、カタリーナの言う通りだった。

名誉のために命を懸ける騎士にとって、勲章くんしょうとは涙を禁じ得ないほどの重い栄誉だった。


ちなみに、カタリーナも受勲している。

ジビラのものよりも二等級上で、勲章としては最上位の特等大十字星綬章を肩から下げている。


不可侵貴族連合軍をたった一人で討ち滅ぼし、三家に不可侵条約を破棄させた上に、三家それぞれから領地の半分を奪い取ったのだ。

カタリーナの重勲の叙勲は、当然のことだった。


しかし勲章に対して、カタリーナにはジビラのような感慨はない。

前世では、多大な戦功を挙げる度に貴族議会から勲章が贈られていたからだ。

前世でのカタリーナの正装は、女王でありながら歴戦の軍人のように勲章だらけだった。



◆◆◆



夜になり、叙勲を祝うパーティが始まった。

その立役者の一人であるジビラは、多くの仲間から祝福を受けている。


今回の領地戦で、王家は多くの領地を得た。

王家に連なる家門の者たちにとって、王家復権の契機を作ってくれたジビラはまさに救世主だ。


彼女たちの家族もまた、多くの者たちから祝福を受けている。

そんな祝福の言葉に、特に彼女の父親は感無量のようだ。

時折涙を拭きながら、浴びるように酒を飲んでいる。


一方、もう一人の主役であるカタリーナは、あまり人気がなかった。

もちろん誰もが祝福の言葉を掛けているし、誰もが彼女を称賛している。

しかし王家に連なる家門の者たちであっても、彼女に話し掛けるときにはおびえが見えた。


死刑囚を自らの手で処刑することを好む残虐な王妃として、カタリーナは知られている。

そんな彼女が持つ力は、万を超える軍勢さえありを踏み潰すかのようにみなごろしにしてしまうほど絶大なものだと、今回の領地戦で明らかになった。

彼女の機嫌を損ねることを誰もがより一層恐れるようになり、以前にも増して距離を置かれるようになってしまっていた。


カタリーナは周囲を見渡す。

領地戦で軍事力の大半をカタリーナに奪われた三家は、当然このパーティには来ていない。

大打撃を受けた彼らからすれば、忌々しい出来事でしかないのだろう。


領地を没収されたコルウィッツ家やハッツフェルト家などもまた、今日は来ていない。

どうやら、王家に対して相当思うところがあるようだ。


「王妃殿下。叙勲おめでとうございます」


カタリーナにそう声を掛けて来たのは、笑顔のハインツだった。

元不可侵貴族で顔を出しているのは、ハインツたちアショフ家だけだ。

そのハインツは、あまり人が寄り付かないカタリーナに対して積極的に話し掛ける。


「お聞きしましたよ。

今度は領地の視察に行かれるそうですね?」


「あら。耳が早いのね?

そうよ。そう決まったの」


本当は七越山に行くのだが、それは極秘事項だ。

王家が新たな霊宝を探していることを、貴族に知られてはならない。

外出の理由について、カタリーナは新たに得た領地の視察に行くと公式には発表されている。


「あなたのような可憐な人に、陛下はなんて危険なことをさせるのでしょうね。

この玉のように美しいお肌に傷が付いてしまったらと、私は心配でなりません」


熱の籠もったハインツの眼差しに、カタリーナはひるんでしまう。


「そ、そんなことにはならないと思うわ。

わ、わたくし、こう見えても、つ、強いのよ?」


「領地戦はていましたから、もちろんそれは知っています。

しかしそれでも、あなたには微塵みじんも危ない目に遭ってほしくありません。

あなたように美しい人は、できればずっと安全なところで、かなうなら私以外の誰も立ち入らないところで、穏やかに笑って暮らしてほしいのです。

私が陛下の立場だったら、絶対にそんな危険なことをあなたにさせたりはしないのに」


「そ、そ、そ、そうなのね……」


ぐいぐいと迫るハインツに、カタリーナはたじろいでしまう。


「せめて、あなたをお守りさせて下さい。

今回の視察に、当家の軍を率いて私が同行することを、どうかお許し下さい。

この命に代えても、王妃殿下をお守りします」


「止めろ。カティが困っているだろう?」


そう言ってカタリーナの手の甲にキスをしようするハインツを、彼の胸を押し止めてフィーリップが制止する。


「カティ、ですか?」


これまでフィーリップは、少なくとも公式の場ではカタリーナを王妃と呼んでいた。

公式の場で初めて愛称で呼んだことに、ハインツは反応する。


「妻を愛称で呼んだとしても、おかしくはないだろう?」


「妻、なのですか?

初夜さえ相手にせず女性に大変な恥をかせても平気なあなたが、この人を妻だと言うんですか?

霊宝を得たことで王妃殿下に使い道ができたら、随分と態度が変わるんですね?」


そう言ってハインツは、フィーリップをにらみ付ける。


(やっぱり、初夜のことは知っていたのね……)


王族の動向は、使用人たちの口から貴族にも広まってしまう。

王と王妃の間に初夜はなかった、などという人の興味をき立てる醜聞は、それを知った使用人たちが驚くほどの早さで広めてしまう。

自分の夜の事情まで男性のハインツにも知られていると分かって、カタリーナは真っ赤になってしまう。


「有用だと分かったから態度が変わったのではない、と言っても君は信じないだろう?」


「そうですね。

それを信じる人なんて、いないんじゃないですか?」


そう言い合ってから、フィーリップとハインツは無言でにらみ合う。


「王妃殿下。

一曲、お願いしてもよろしいですか?」


ふいっとフィーリップから視線を逸らして、ハインツは笑顔でカタリーナをダンスに誘う。


「すまないが、今日のカティは私の貸し切りだ」


ハインツとカタリーナの間に自分の体を強引に差し入れてフィーリップが言う。


「……分かりました。

今日のところは引きましょう。

王妃殿下。

視察のときに、またお話ししましょう」


そう言い残してハインツはカタリーナたちのもとを去る。

一触即発のピリピリした空気の会話が何事もなく終わって、カタリーナは胸をで下ろす。


「カティ。

一曲、お願いできるかな?」


先ほどの厳しい顔から打って変わって、優しい笑顔を浮かべるフィーリップからダンスに誘われる。

断る理由もないので、カタリーナはそれに応じる。




「すまなかった」


二人で踊り始めてからしばらくして、フィーリップがつぶやくように謝罪する。


「何のことですの?」


「初夜のことだ。

君もショックだっただろう?

私の自業自得なのだが……ああいう言われ方をするとさすがにこたえるな。

戻せるものなら、結婚した当時に時間を戻したい」


「べ、べ、べつにそれは……。

あの頃は、わたくしも洗脳されていましたから……。

それに、ハッツフェルト家の増長を抑えるために必要なことだって分かりますし……」


息が触れ合うほど間近にいる男性から急に夜の事情についての話をされて、カタリーナは動揺してしまう。

恥ずかしくて、顔を上げられなかった。


あの頃のカタリーナは、洗脳状態で正気ではなかった。

そんなときに初夜なんてあったなら、きっと後悔するようなものになっていただろう。

カタリーナとしては、初夜がなくてむしろ幸運だと思っていた。


それに、ハッツフェルト家の増長を抑えるために、あの時点ではカタリーナとの間に子供を作らないというフィーリップの考えも、カタリーナは理解できた。

そのことに対して、怒るような気持ちはなかった。


「本当は今すぐにでも、君と夜を共にしたいが……君はそれを望んでいないのだろう?」


「…………」


カタリーナが何も言えず、林檎りんごのように赤く染まってしまったのを見て、フィーリップはくすりと笑う。


「ハインツのような者もいるからな。

正直に言えば、焦りもある。

だが私は……君の気持ちに合わせたい。

すぐに受け入れてくれなくても、もちろん構わない。

私たちは、ゆっくりと夫婦になっていけば良い。

外野など気にせず、これから二人だけの時間をゆっくりと積み重ねていきたい」


フィーリップがそう言ってくれて、カタリーナはほっとした。

ハインツからあんなことを言われたので、フィーリップから強引に迫られ続けることになるかもしれないとも思っていた。

既に結婚している以上、求められたら拒み続けることは難しい。


そうなってしまったらどうしよう、というのがカタリーナの本音だった。

カタリーナはまだ、そんな心の準備はできていなかった。


それにこれは、自分の心の問題だけではなかった。

今、子供ができてしまったらマルガレーテがどうなってしまうのかということも、カタリーナは心配していた。


(やっぱりこの人は大人ね……)


安心したカタリーナは、そんなことを考えてしまった。

余裕のある態度でカタリーナを思い遣ってくれるフィーリップの優しさが、カタリーナは嬉しかった。

二人だけの時間をゆっくりと積み重ねるというのは、カタリーナも大賛成だった。


「えっ?」


カタリーナの背中に回されている腕をフィーリップが突然ぐいっと引き寄せたので、カタリーナは驚愕きょうがくの声が漏れてしまう。

フィーリップに抱き寄せられると、カタリーナの視界はぐるぐると回る。

その直後、周囲から喝采が上がった。

フィーリップがして見せたのは、三回転スピンだった。


「これぐらいなら良いだろう?」


フィーリップのその声でカタリーナは、彼の顔を見上げてしまう。

彼はいたずらに笑っていた。


その笑顔で分かった。

以前ハインツがカタリーナにしたことを、フィーリップも対抗してやってみせたのだと。


不意に男性から抱き寄せられたその直後にその男性と見詰め合っていることに気付いて、カタリーナはうつむいてしまう。

周囲の拍手と、肌に残るフィーリップと触れ合った感触が、カタリーナはとても恥ずかしかった。



◆◆◆



「くれぐれも気を付けてくれ」


「心配は不要ですわ。

無事に帰って来ること自体は、何も難しくありませんもの」


心配そうに言うフィーリップに、カタリーナはそう返す。


これから、カタリーナたちは七越山へと向かう。

お忍びで行くため、馬車は家紋のない質素なものであり、王宮を出るのも裏口からこっそりとだ。

その裏口に、フィーリップは見送りに来ていた。


護衛は最低限の者しかいない。

絶大な戦闘力を持つカタリーナがいるからこそできる、同行人員の最少化だった。


貴族たちの目を欺くため、フィーリップはまた呪術で姿を似せたカタリーナの影武者も用意していた。

影武者は豪華な馬車に乗り、大量の護衛を引き連れて二日後に出発する予定だ。

同行を希望するハインツは、この影武者で釣ることになっている。


「王妃様! 早くお乗りくださいませ!」


もう馬車に乗り込んでいるマルガレーテは、うきうきした声で言う。

カタリーナに向ける彼女の笑顔は、期待で満ちあふれている。


特異な異能のため、マルガレーテは周囲から隔離されて育って来た。

彼女が王宮の外に出るのはこれが初めてであり、彼女にとって人生で初めての旅行だった。


「分かったわ。

うふふ。楽しみね?」


マルガレーテに笑顔でそう返して、カタリーナは彼女の待つ馬車へと乗り込む。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る