第31話 小人の山の真実 1/3

生まれて初めて王宮の外を見て大はしゃぎだったマルガレーテは、疲れて眠ってしまった。

カタリーナに抱っこされたマルガレーテは、幸せそうな顔ですやすやと寝息を立てている。


「七越山に入りましたね。

やはり、雰囲気が全然違います」


周囲の景色が変わったのを見て、ジビラが緊張した面持ちで言う。


馬車は既に、七越山に入っていた。

この山は七つの山が連なる連峰であり、標高はそれほど高くはない。

しかし、高さが数十メルトにも及ぶ巨大な唐檜とうひの木で覆われており、昼間でも地面にまで日が差し込まない。


悪霊のむ山、魔の山、暗黒の森などと呼ばれる場所だ。

それらの名が示すように、森は昼間なのに黄昏時たそがれどきのように暗く、八月とは思えないほど空気は冷たく、そして不気味な霧が立ち籠めていた。

身の毛がよだつような妖しい雰囲気だった。


「ここ、絶対ヤバいって!

ゆ、幽霊いるよ、これ!」


恐怖いっぱいの顔でエミーリエも言う。


「幽霊よりも注意しなくてはならないのは、人だと思うわ。

人の寄り付かない山奥に住むのは山賊や犯罪者って、相場が決まっているもの」


一方、カタリーナは冷静だった。

前世では永らく戦場にいた彼女は、死体の山の横での食事や睡眠にも慣れていた。

幽霊が出そうな雰囲気程度では、もう怖がったりはしない。


「……ところで、そのかぶとは何なのかしら?」


顔を引きらせたカタリーナがジビラに尋ねる。


七越山に入ってすぐ、彼女は騎士が使うフルフェイスの鉄兜てつかぶとを被った。

顔を保護するバイザー部分は、牙を剥く獅子を模したゴツいものだ。

どう見ても女性騎士用のかぶとではなかった。


「悪霊に取りかれないためのものです」


「……悪霊退散の呪術なのかしら?

もしかして、強力な呪術無効化のお守りを身に着けていることを忘れているの?

今は呪術を使っても意味がないわよ?」


夜会でイーヴォたちから襲撃を受けたとき、彼らはカタリーナ対策として強力な呪術無効化のお守りを身に着けていた。

そのお守りは中身の呪符をただの紙切れに入れ替えたので、王家は大量の呪術無効化の呪符を鹵獲ろかくしている。

その呪符を新たなお守り袋に入れ、全員がそれを複数身に着けている。

今の彼女たちに呪術は効かないし、自らもまた呪術を使えない。


「呪術の効果はなくても、悪霊が怖がってくれるかもしれませんから」


確かに、今のジビラは怖い。

ロングスカートの侍女服に獅子の鉄兜てつかぶとを被る彼女は、霧の立ち籠める不気味な森で出会でくわしたら悲鳴を上げてしまいそうなぐらいに異様だった。




「王妃殿下! 大変です!

真っ直ぐ進んでいるのに、先ほどから何度も同じところを通っています!」


馬車が停めた御者が、緊迫した声で叫ぶように報告する。

緊急事態発生のため、彼は一度馬車を停めてカタリーナに判断を仰ぐことにしたのだ。


御者の中年男性は、道に迷わないようにと、馬車を走らせながら木々のところどころに槍で傷を付けていた。

しかし、ただ真っ直ぐ走らせているのに、先ほどから何度も傷の付いた木が現れるのだと言う。

その傷は自分が付けたもので間違いないと、彼は言う。


日が差し込まないこの山は、草が生えていない。

幹の太さが二メルトを超える巨木ばかりのため木々の間隔も広い。

このため、馬車でも山に入ることができた。


馬車で入れるとは言っても、それをするには相当な技術が必要だ。

ここまで馬車で来られたのは、王宮お抱え御者であるこの男性の、卓越した操車技術があればこそだ。

目印を付けながら馬車を走らせるのも、彼の持つ技術の一つだ。


「ひいいいいい。

ヤバい。ヤバいって!

絶対にヤバいってこれ!

ねえ、もう帰ろうよ?」


エミーリエは泣きそうな顔で言う。

鉄兜てつかぶとを被っているので表情は分からないが、ジビラもまた手が震えている。


「わたくしが確認するわ」


抱いていたマルガレーテを彼女の侍女に任せ、カタリーナはさっさと馬車を降りてしまう。

エミーリエは降りたがらなかったが、彼女の手を引いてジビラは無理矢理一緒に降りてしまった。

主が馬車を降りたなら、一緒に降りて主の身の安全を護るのが侍女の務めだ。


「……魔法でも呪術でもないわね。

でも、何かおかしいわ」


魔眼で周囲を確認したカタリーナはそうつぶやく。

続けてカタリーナは、様々な感知系魔法を使い始める。


怖がるエミーリエたちとは対照的に、カタリーナは冷静だった。

魔法使いとは、魔法という分野の科学者だ。

科学者らしく、こういう謎解きはカタリーナの好物だった。


しばらく観察した後、突然カタリーナは衝撃弾の魔法を放つ。

その直後、数十メルト先でカンという金属が弾き飛ばされたような音が聞こえる。

音が聞こえた方向に、カタリーナは向かって行く。




「これで感覚をおかしくさせていたのね」


衝撃弾で弾き飛んだと思われる物をカタリーナは手に取る。

西瓜すいかを半分に切ったほどの大きさのそれは、どう見ても人工物だった。


「ええっ!? スピーカー!?

何でそんな物がここに!?」


カタリーナが拾い上げた物を見て、エミーリエが驚く。


「踏迷陣法って言う魔法と同じ原理ね。

人間の耳では聞こえない低い音のうち一定の波長のものは、人間の感覚器官と共鳴してしまうの。

それを利用して、陣の中に入った人の感覚を狂わせることができるのよ。

そんな音が、これから出ていたの」


人の可聴域を超える低周波で感覚を狂わせる魔法を、前世で大魔法使いだったカタリーナは知っていた。

感知魔法でその低周波を検知した彼女は、感覚を狂わせる原理に気付くことができた。


「方向感覚を狂わせるために、誰かがこれを置いたということですか?」


カタリーナの説明にジビラが驚く。


「そうだと思うわ。

おそらく似たような物が、あちこちに置かれているはずよ。

踏迷陣法と同じものなら、最初は方向感覚が狂う程度で済むけれど、奥に進むほど音源の数も増えて感覚も狂いも深刻になって、いずれ幻覚も見えるようになると思うわ」


「幻覚ですか?

もしかして、この機巧からくりが悪霊の正体なんですか?」


悪霊の正体らしきものを知ってジビラは目を見開く。


「そうかもしれないわね……。

でもこれは、魔法で音を作り出しているのではないわね。

どうやって音を出していたのかしら?」


カタリーナはしげしげとその人工物を見ながらつぶやく。


「そりゃ電気でしょ。

どう見てもスピーカーじゃん」


「電気って、雷のことよね……。

うふふ。とっても面白いわ。

持ち帰って研究したいわね」


エミーリエから未知の技術を聞かされ、研究対象を見付けたカタリーナは上機嫌になる。


「……ね、ね、ねえ?

じゃ、じゃ、じゃあ、あ、あ、あ、あれも幻覚だよね?

そ、そ、そうだよね?

お、お、お願いだから、そ、そうだって言って!」


真っ青な顔で声を震わせるエミーリエが指差す方向には、三十メルトほど先に人がいた。

霧でぼやけてはいるが、十歳前後の少女だった。


少女は、数メルトほどの高さに浮いていた。

明らかに普通の人間ではなかった。


「……いいえ。あれは幻覚じゃないわ」


険しい顔をしてカタリーナが言う。


「ひぎゃああああああああああ!!!

出た!!! 出た!!!

出たあああああああああああああ!!!!」


カタリーナの回答に、エミーリエは絶叫して腰を抜かしてしまう。


(いきなりこの距離に現れたわね……。

わたくしの感知魔法をすり抜けて……)


カタリーナは常に周囲を警戒して、感知魔法を展開させている。

常時発動させている魔法は、呪術師や暗殺者などこの世界の敵を想定したものだ。


この少女は、その魔法をすり抜けて至近距離に現れた。

この世界では通常考えられない、カタリーナが想定していなかった方法で接近したということだ。

慌ててカタリーナは、追加の感知魔法を何種類も発動させる。


「……ここは我らの領域……出て行きなさい」


「あら。そうなの?

でも、ごめんなさいね。

わたくしたちは、この山に用があるの」


無表情に警告する少女に、カタリーナはそう答える。


「……それなら排除するまで」


少女が右手を上げるとカタリーナに向けた手のひらから光が放たれる。

その光は、カタリーナの魔法障壁によって防がれる。


(雷撃魔法……いえ……効果は雷撃魔法でも魔力は使っていないわね。

未知のわざだわ……)


攻撃を防ぎながらも、カタリーナは冷静に敵の攻撃を分析する。


「うわあ!」


エミーリエが驚愕きょうがくして悲鳴を上げる。

にゅっと突然地面から生えたように、エミーリエの足元に真っ黒な何かが現れたのだ。


真っ黒な何かは、人の形をしていた。

背丈は一メルトほどだった。

不自然なほど光を反射しないその人影は、まるで闇をそのまま人の形に固めたようだった。

およそ、この世の者とは思えなかった。


突然間近に現れた真っ黒な何かは、エミーリエに襲い掛かる。

しかし、カタリーナの魔法障壁によって阻まれる。


(やっぱり、空間魔法みたいなわざだったのね。

感知魔法をすり抜けて接近できたのは、このわざのせいね……)


黒い影の襲撃に対してカタリーナは危なげなく対処できた。

今度はカタリーナも接近を感知できたからだ。


感知魔法をすり抜けたのは、時空間魔法の類いではないかとカタリーナは考えた。

時空間の揺らぎを検知する魔法も、今は展開していた。


「お、王妃様を、いじめないでくださいませ!」


その声に、カタリーナはぎょっとする。


「マ、マルガレーテ!? どうしてここに!?」


馬車の中で眠っていたはずのマルガレーテは、いつの間にか外に出て来ていた。

エミーリエの絶叫で目を覚ましてしまったのだろう。


カタリーナの前に飛び出たマルガレーテは、おやつを入れていたバスケットをかぶととして頭に被り、馬車の室内清掃用のほうきを剣のように構える。

彼女の頭上には純白の光球が生まれ、それがどんどん大きくなっている。


カタリーナは慌てて、何重もの魔法障壁でマルガレーテを保護する。

それから、ちらりと馬車の方へと目を向ける。


扉の開いた馬車の中で、マルガレーテの侍女は気絶していた。

およそ人間とは思えない襲撃者たちに驚いたのだろう。

侍女が気絶してしまったからマルガレーテを制止するべき人がいなくなってしまい、こんな危険な場所に彼女は飛び出してしまったのだ。


「お遊びは終わりよ。

あなたたち、死になさい?」


そう言うと、カタリーナは膨大な魔力を練り始める。


これまでカタリーナは、攻撃を受けて敵を分析するだけだった。

襲撃者が霊宝に関係しているかもしれないと考えて、積極的な攻撃は控えていた。

しかしマルガレーテに危害を加えるなら話は別だ。

容赦をするつもりは一切なかった。


「コード認証が完了しました。

マスターの命令により、全ての防衛行動を中止します」


「え?」


宙に浮いていた少女の言葉が理解できなかったカタリーナは、疑問の声を漏らしてしまう。

しかし少女が宙から下りて来て、亜空間に身を潜めていた黒い影が無防備に姿を現したのを見て、彼らにこれ以上戦う意思がないことは理解できた。


「こちらは、これ以上の防衛行動を取るつもりはありません。

停戦を提案します」


「ええ。同意するわ」


少女の停戦要求を受け入れ、カタリーナは魔力を練ることを止める。

二人は無防備に近付いて来ると、マルガレーテの前でひざまずく。


「初めまして。マスター。

アシスタント・アンドロイドのセルビータと申します」


「初めましてです。

アシスタント・アンドロイドのオンブルです」


少女と真っ黒な人影から丁寧な挨拶を受けたマルガレーテは、ほうきを構えたままぽかんとしている。

マルガレーテの頭上に浮かぶ光の玉が小さくなっていくのを見て、カタリーナはほっとする。


「ええ!!? アンドロイド!!?」


エミーリエだけが、その単語に反応して大層驚く。


「お、王妃様を、いじめないでくださいませ!

他の人たちも、いじめないでくださいませ!」


「マスターの命令を受諾しました。

ここにいる人たち全員を非攻撃対象に設定します」


マルガレーテの要請を、セルビータと名乗る少女はすんなりと受け入れる。


「それで、あなたたちはなぜ、マルガレーテをマスターと呼んで従うのかしら?」


「ご利用になる前に、ユーザー情報のご登録をお勧めします。

ユーザー情報のご登録がなくても本システムをご利用頂けますが、機能の全てをご利用になるにはユーザー情報のご登録が必要です」


カタリーナの質問に対して、セルビータはそう答える。


「マルガレーテ・エンゲルラントと申しますわ」


よく分からないままカタリーナが承諾すると、セルビータは名前や住所、生年月日などをマルガレーテに尋ね始める。

マルガレーテは元気よくそれに答える。


「お、王妃様。お化けがいますわ。

がおーってお顔で、怖いですわ」


カタリーナのスカートの影に隠れたマルガレーテは、彼女の足にしがみ付く。

落ち着いて周囲が見渡せるようになったマルガレーテは、牙を剥く獅子を模した鉄兜てつかぶとを被るジビラの存在に気付いた。

異形であっても背丈が自分と変わらず、ひざまずいて服従の姿勢を示すオンブルよりも、大人の背丈で威圧的なかぶとのジビラの方がよほど怖かったようだ。

カタリーナに注意されて、ジビラはかぶとを脱いだ。

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