第24話 霊宝 2/2 彼の抱擁、彼女の赤面と涙

「ハインツから打診があった。

領地戦より前に君を逃がしてほしい、とな。

君が彼と一緒になりたいなら、私も応援しよう。

私が手筈てはずを整えるから、彼に匿ってもらうと良い。

好きでもない男の性奴隷になる必要はない。

君は……幸せになるべきだ」


「な、な、な、なんでアショフ小侯爵が、そこで出てくるんですの!?」


「君は、彼と親しいではないか?

夜会で衣装の色をそろえるなら、相当深い仲のはずだ」


「あ、あ、あ、あれは偶然ですわ!

決っっしてっ! 断じてっ! そんな意味ではありませんわっ!」


「しかし、会場で告白されて、君も満更まんざらではなかったと報告を受けているが……」


「いいえっ!!!

満更まんざらでしたわ!!

明らかに! 間違いなく! 満更まんざらでしたわ!!」


「そうなのか?

顔を真っ赤にして、興奮のあまり走り出してしまった、と報告書にはあったが?」


「人前であんなことをされたら、恥ずかしいに決まっていますわっ!!

それで居たたまれなくて、逃げ出しただけですっ!!」


顔を真っ赤にして、カタリーナは誤解を解いた。

誤解が解けた途端、フィーリップは急に嬉しそうな顔になる。


「可愛らしい人だ」


(っ!!?)


突然カタリーナの前でひざまずくと、フィーリップはカタリーナの手を取る。

そして、彼女の手の甲にキスを落とす。

まるでハインツに対抗するように、彼がしたことをフィーリップもしてみせる。


「ここにいるのは、私たち二人だけだ。

ここなら問題はないだろう?」


「ふ、ふ、ふ、二人だけのときだって、だ、だ、大問題ですわ!」


林檎りんごのように頬を染めてしまったカタリーナを見て、フィーリップは笑った。

愛おしそうにカタリーナを見詰め、とても楽しそうな笑顔だった。


「ハインツと一緒になるつもりがないのは、分かった。

それなら、ハインツとは関わりがない逃げ道を用意しよう。

一人で逃げても良いし、マルガレーテを連れて逃げても良い。

君と一緒だとアショフ家などに追われるだろうが、君が一緒ならマルガレーテも大丈夫だろう。

ちょっとした刺客なら君は撃退できるし、隠形魔法を使えば大勢に囲まれても切り抜けられるからな。

領地戦より前に、ここから逃げてほしい」


「……陛下は、わたくしが王家を裏切ったとお考えなんですよね?

どうして、お怒りにならないんですの?」


好きでもない男の性奴隷になるよりハインツと一緒になるべきだと、フィーリップは言っていた。

おそらく彼は、オットマーと同じ誤解をしている。

カタリーナは、性奴隷となることを公式文書に明記することで王家から解放され、その後は他家に身を寄せるつもりだと、思っているはずだ。


それなのに彼は、怒り一つ見せない。

穏やかな笑顔でカタリーナを心配してくれ、カタリーナを助けるために逃げ道を用意してくれると言っている。

その理由が、カタリーナには分からなかった。


カタリーナを逃がす理由として、他家に霊宝を得させないため、というのは考えられない。

霊宝など持っていないことを、彼は最初から知っている。


フィーリップからすれば、自分は彼を見捨てた裏切り者に他ならない。

普通なら怒るべき場面だ。

なぜ、逆に気遣ってくれ、優しくするのだろう。

カタリーナには、そう疑問に思った。


「合理的に考えれば、君は私を裏切ったのだろう。

だが、君は以前に言っていたではないか?

裏切って信用を失った者を、それでも信じるのが信頼だと。

人を信頼するのは人として必要なことで、それが私の幸せの道だと、そう言っていたではないか?

だから私も、人を信頼してみたくなったのだ。

信頼するなら……最初の一人目は、君以外に考えられない。

たとえ裏切られたとしても、私は今も君の誠意を信じている」


カタリーナは驚愕きょうがくした。

裏切った者を信じ続けるなんて、普通の人でも難しいことだ。

これまで人を信じなかったフィーリップが、その困難なことをしているのだ。


「……わたくしとマルガレーテを逃がして、その後はどうされるおつもりだったのですか?」


「領地戦の対戦相手は、軍を率いて私が討ち滅ぼすつもりだ。

それで領地戦の話は立ち消えになって、君の安全は確保できる」


「そんな!!

それでは、陛下は……」


不可侵貴族三家を相手に戦ったら、王家は相当に疲弊してしまう。

そこまで疲弊してもなお、王家は霊宝を使えない。

そうなればいよいよ、霊宝が失われていることを貴族たちも確信してしまう。

三家と戦った直後で疲弊しているなら、攻め入る絶好の機会だ。

しかも、不可侵条約違反という侵攻の大義名分まである。


残りの貴族たちは連合して、王家を滅ぼすだろう。

フィーリップは、討ち死にできれば良い方だ。

捕縛されたら、侮辱にまみれる中で悲惨な死に方をすることになる。


「気にすることはない。

特別何かをしなくてもそう遠くないうちに、霊宝が失われていることを貴族たちも知るはずだ。

そうなれば私も命はないだろうが、その時期が少し早まっただけだ。

どうせ、数年内に失われる命だからな。

できれば、君と娘のために使いたい。

形だけの夫であり、形だけの父親だったが……最期ぐらいは、夫らしく、父親らしくありたい」


「な……なんで……」


言葉を詰まらせ、カタリーナは涙をあふれさせた。

戦場に散っていった前世の戦友たちが、彼女の脳裏に現れてしまったからだ。


『猛悪の大魔女』と恐れられた前世のカタリーナだが、最初から強かったわけではない。

革命軍を組織した当初は、読書と魔法が好きな普通の貴族令嬢でしかなかった。

平凡だった少女は、戦友たちを少しでも死から遠ざけようと死に物狂いで努力した。

その異名は、彼女が成し遂げた驚異的な努力の成果だった。


『お嬢様。

ここでお別れです。

これまでお仕えできて、本当に幸せでした。

どうか、立派な国をお造り下さい』


貴族令嬢時代からずっと仕えてくれた父親と同年代の騎士は、笑顔でそう言って撤退戦の殿しんがりを買って出た。

そのまま彼は、二度と帰って来なかった。


『僕が戦うのは、自分の信念のためです。

僕みたいな孤児でも笑って暮らせる国ができるって信じてるから、そのために戦うんです。

だから、もし僕が死んでも、それは僕の信念のせいです。

リーダーのせいじゃありませんから、責任なんて感じないで下さいね?』


なついてくれていた顔にあどけなさが残る少年兵は、笑顔でそう言い残すと不利な形勢の戦場へと向かって行った。

彼ともまた、二度と会うことはなかった。


そんな戦友たちとフィーリップの姿が、カタリーナには重なって見えてしまった。

フィーリップが見せた笑顔は、彼らが見せたものと同じだった。

青空のように晴れやかで、驚くほど澄んだ目で、消えてしまいそうなほどに美しかった。


大粒の涙は、ぽろぽろと止め処なくこぼれ落ちる。

そんなカタリーナを、フィーリップはそっと抱き締めて頭をでる。




「へ、へ、へ、陛下は、ご、ご、ご、誤解していますわ!」


しばらくして少し落ち着いたカタリーナは、自分がフィーリップの腕の中にいるという緊急事態の発生に気付いた。

慌ててフィーリップの胸を突き飛ばして彼の腕から抜け出ると、顔を真っ赤にしながらそう言う。


「誤解?」


「そ、そうですわ。

おそらく陛下は、領地戦の契約書をご覧になったんだと思いますわ。

それでわたくしが、絶対服従の条項を利用して王家から離脱して、領地戦の対戦相手のいずれかの家に身を寄せることを計画しているってお考えになったんですわね?

それが誤解ですわ」


「……違うのか?」


「それは、偽装です。

わたくしをあなどってくれて、穴だらけの契約書だと思ってくれれば何も問題はありませんけれど、ボールシャイト侯爵たちがわたくしをあなどらない可能性もありましたわ。

侮らなかった場合、王家から逃れて生き残るための苦肉の策だって、侯爵たちが誤解するように契約書を作ったのです。

あんな契約書にした理由が分かれば、侯爵たちも警戒を解きます。

侮った場合と同じく大胆に動いて、最終的に三家とも敵に回ってくれますわ。

ですから、王家から逃げ出すための契約書に見えるのは、そう見せているだけですの。

あの契約書の本当の狙いは、また別にあります」


「本当の狙い?」


「はい。

本当の狙いは、三家の軍の殲滅せんめつです」


「なんだと!?

しかし、今回の領地戦は君の捜索が鍵になる。

何としても最初に君を見付けようと、どの家も人海戦術で大量の人員を投入するはずだ。

合計すれば、おそらくは一万を超える大軍勢になるぞ?」


「それも計算のうちですわ。

大兵力を動員してもらうためにわざわざ廃墟はいきょの街を戦場に選んで、三家にわたくしの捜索を競わせることにしましたの。

普通の平原で戦ったら、たかが女二人を捕らえるだけだって舐められて、出兵費用を抑えて千人程度の動員になりかねませんでしょう?

動員数をり上げたのも、三家に致命打を与えるための布石ですわ」


「……本気なのか?」


「もちろんですわ。

陛下。

陛下がマルガレーテを愛せないのは、いずれ王家が滅ぶことを予測されているからですわね?」


「そうだ」


「それでは、今回の領地戦で証明してご覧に入れますわ。

たとえ貴族たちが連合を組んで攻め入って来たとしても、王家は虫けらを踏み潰すように彼らをみなごろしにできるということを。

もし、わたくしがそれを証明できたら、もう王家の滅亡を心配する必要もありませんでしょう?

そのときは、父親としてマルガレーテに愛を注いで頂きたいですわ」


「……それが可能なら、今後は父親としてできる限りのことをすると約束しよう。今更だが。

しかし、本当に可能なのか?

私は……君には、君だけには死んでほしくない」


「陛下がわたくしをご信頼下さったので、わたくしももう一歩、陛下への信頼を深めますわね?

わたくしの秘密をお話ししますわ」


フィーリップは、カタリーナの戦力に疑念を持っていた。

だからカタリーナは、自分の前世についてフィーリップに打ち明けた。

『猛悪の大魔女』がもたらしたおびただしい死を、一万の軍勢など鎧袖一触であることを説明する。

前世の記憶について話すのは、エミーリエ、ジビラに続いてこれで三人目だ。


エミーリエに話したのは、彼女が隷属魔法を受け入れたからだ。

ジビラもまた、カタリーナと内緒話をするエミーリエが羨ましくて仕方がなくなり、自分にも隷属魔法を掛けてほしいとカタリーナに志願している。


隷属魔法を掛けずに前世の話をしたのは、フィーリップが初めてだった。

自分の命と引き替えにカタリーナを救おうとしたフィーリップを、前世の戦友たちのように笑った彼を、カタリーナはいつの間にか深く信頼していた。


「なるほど。それでか。

魔法というこの世界にはないものを使えることもそうだが、高等数学をあっという間にマスターしてしまったのも不思議だったのだ。

速読ができるのは知っているが、速く読めたところで数学の修得には時間が掛かるのが普通だからな。

歴史が苦手なのも、そのためか」


前世の知識があることを知り、フィーリップも色々と納得がいったようだった。


「陛下には今後、包み隠さず全てをお話ししますわ。

前世のことでも、今世のことでも、お聞きになりたいことがありましたら何でもお尋ね下さいませ」


「ありがとう……。

より信頼してもらえるというのは、なんとも嬉しいものだな……」


フィーリップは笑った。

大きな嬉しさが、心の深いところからゆっくりと湧き上がるような、そんな笑顔だった。


「早速だが、気になって仕方ないことが一つある。

それを、少しだけ教えてほしい」


「はい。何なりと」


「その……君の……前世の夫のことだ。

どんな人だったのだ?

もちろん、話したくないなら話さなくても構わない。

きっと、忘れたくても忘れられない人だろうし、言葉にはできない複雑な想いもあるだろう。

簡単に説明できることではないのは、分かっている」


「え?」


驚きの声を漏らしてから、カタリーナは言葉に詰まってしまう。


複雑な想い、なんて何一つない。

説明も「ずっとお一人様」という簡単な一言で済んでしまう。

だが、最後まで売れ残ったままの人生だったことは、彼だけには隠しておきたいことだった。


しなくても良い心配をするフィーリップは、深刻な顔をして答えを待っている。

結婚は当然している、と言わんばかりの彼の視線が、カタリーナには辛かった。

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